ここんとこずっと、「『頑張る』をやめる方がいいこと多いですよ~」、というお話をしていますが、今日もそういうお話をしてみましょうかね。
今回は、「みんなに希望を与えるために頑張る」ってのは、ちょっとおかしいですよね、というお話です。
「みんなに希望を与えるために頑張る」はおかしい
今はサッカーのワールドカップが開かれていますが、まぁワールドカップでもオリンピックでも、「頑張る」ことが重要ですよね。
というのも、そういうのはだいたい決められたルール上で戦わないといけないので、クリエイティビティーがほとんど発揮できないわけです。
すると、他の人よりも「努力」や「根性」で耐え抜いた人の方が、より優位に立てるようになるわけです。
ただ、そういうアスリートほど、特にオリンピックに出るようなアスリートほど、「みんなに『やればできるんだ』みたいな希望を与えたいために、頑張ります」みたいなことを言う人がいますよね。
でも、それはおかしいでしょうというのが、今回のお話です。
「希望」とは、「勝つこと」ではない
そもそも、「希望」って何なの?ということですよね。
希望とは、未来への可能性のことですよね。
それを、多くのアスリートは、「勝つこと」イコール「希望」だと勘違いしていると思うんですよ。
そもそも、何のために勝つのか。
「勝つ」ということは、その一方で「負ける」というものを生み出します。
これはいわゆる、「ゼロサムゲーム」と呼ばれるもので、決められたパイを奪い合うというものです。
これは、他の人から奪えば奪うほど、「すごい!」と言われる世界ですね。
例えばオリンピックでは、一人が金メダルを取れば、他の人は取れないわけです。
野球では、一つのチームが勝てば、もう一つのチームは負けるわけです。
そんな人が「勝つことで希望を与える」っていうのは、奪って奪って奪いまくることで、「ほら、君たちもこんなに人から奪えるんだよ」と教えているようなものなんですよ。
これ、ちょっと怖いですよね。
勝つことができるのは、裏返すと「相手のおかげ」
勝つことができるのは、相手のおかげでもあるんですよね。
例えば、ある選手が頑張って頑張って、ついにオリンピックで優勝して、世界一になった。
それは、「その選手が頑張ったから」勝ったことでもあるでしょうが、裏を返すと、「他の選手たちが、その選手のように頑張らずに、怠けてくれたおかげ」で勝てたわけじゃないですか。
他にも、「他の選手が、その選手よりも、勝利への執着がなかったり、育成環境がなかったり、家庭環境や師、サポーターがなかったり、社会情勢が悪かったり、紛争がないこと、健全な体が得られなかったこと、強靱な肉体が得られなかったことなど、恵まれた環境がなかったおかげ」で、勝てたわけですよね。
その辺をさっぱり忘れて、例えばアラブの王族が、「私は世界一の金持ちだ。それは、私が努力したたまものだ」なーんて言っていたら、ぶっ飛ばしたくなるでしょ(笑
裏を返すと、負けることは、相手に与えることにもなると気づいていないわけです。
「希望を与えるために、オリンピックで優勝したい」とか言っても、その選手が負けたら、他の国の選手が金メダルに輝くわけです。
だったら、その国の子どもたちに、その選手が希望を与えてますよね。
頑張ってパイを奪わなくても、頑張らずにパイを作ることもできる
本当の希望っていうのは、「頑張る」必要なんかないんですよね。
「自分にできる」と思える、そんな可能性を与えさえすればいいんですから。
パイを奪わずとも、パイを新たに作ることだってできるわけです。
それが、クリエイティビティーなわけですね。
一つのいいたとえ話として、「ウサギとカメ」のお話があります。
ウサギはカメと、山の頂上まで競争したと。
それで、カメはのろのろだけど、頑張って頑張って歩いて、途中で居眠りしたウサギを追い越して、見事勝ちました。
だから、あきらめずに頑張ることが大切ですよ、と。
でも、現実では、ウサギが寝ることなんてないんですよね。
ウサギが寝るまで待ちましょう、というお話なんですから。
ウサギが寝なければ、貴方は永遠に勝てませんよ、と教えているようなものですよね(笑
カメは、ウサギに泳ぎで勝負すればよかった
ただ、カメは泳ぎで勝負すればよかったんですよ。
だったら、ウサギに一瞬で勝てるわけです。
それが、クリエイティビティーというものですよね。
「貴方は、この分野で素晴らしい力を持っていますよ」と見つけてあげれば、その人は一瞬で花開くわけです。
プロになるのに1万時間も続ける必要もありませんし、「頑張る」必要なんてないわけです。
「ほら、君も僕のように努力して、忍耐して、頑張ればいいんだよ」なーんて言う必要すらないわけです。
それを見つけるには、自分の内面を見つめればいいだけです。
そして、自分が誰かを知ればいいんですよ。
「あ、自分はウサギではなかった。自分はカメだった」と知ればいいわけです。
それを、周囲の人が「徒競走で勝てば、威張れるよ。世界一になって、表彰されますよ。金メダルがもらえますよ」という誘惑に乗ってしまって、カメは苦しみの人生を歩み始めるわけです。
そして、永遠に勝てずに、「自分はダメな奴だ」と苦しんで、劣等感に満たされてゆくと。
パイを作ることで、その新たなパイで自分を満たすことができる
だったら、「私は陸に住む生物の中で、泳ぎはこれだけ速いですよ」と表明すれば、一気にトップでしょ。
その瞬間、新たなパイが生まれるわけです。
すなわち、「1位という地位」を新たに作り出したってことですから。
そんな風に、多くの人が「1位」を作れば作るほど、パイは広がってゆくわけです。
逆に、「1位を奪え! 奪わなければ、お前に価値はない!」と言っている人ほど、貧困意識にとらわれている人ですよね。
そして、貧困意識に満たされた人は、お腹がすいた、心の渇きを潤す水が欲しい、満たされたい、愛されたい、尊敬されたい……そう思いながら、それを満たすことができないわけです。
でも、クリエイティビティーを発揮すれば、短期間でそれを満たすことができると。
自分を知ることができれば、もうすぐにでも解決できますよ、ということです。
まとめ:希望を持ち、豊かに幸せに生きるのに、勝たなくても頑張らなくてもいい
そういうこともあって、「自分を見つめる」とか、「自分は誰かを知る」ということは、大切なんじゃないかなと思います。
幸せになるのに、他の人に勝つ必要なんかありませんよと。
まぁ、勝負が好きな人はそれはそれでいいんですが、もし勝ち負けが得意でなかったり、負け続けで落ち込んでいる場合は、「頑張る」を捨ててみるといいかなと思います。
「頑張る(奪う)」から「創造する(作る)」ということですね。
そして、「みんなに希望を与える」ということで言うと、「みんながパイを作りましょう」というアプローチを広げてゆく方が、いいんじゃないかなと思ったりもします。
ということで、今日は「『みんなに希望を与えるために頑張る』って、おかしいよね」というお話をしてみました。
今日はここまで~。