今日は、クリエイティブなお話です。

可能性とは「表面はボロボロだけど、良質な中身があること」かな、というお話です。

 

築300年の家をリノベーションする動画

ちょっとした動画があったので、ご紹介。(英語のみ、日本語字幕もなし)

動画の内容は、「築300年というボロボロになった田舎の家を、2年かけて住めるようにリノベーションした」というものです。

動画主の男性はイギリス人なんですが、いろいろあって夫婦でフランスに住むことになったようで。

 

で、予算もない中で家を探していると、その築300年というボロボロの家に可能性を見いだしたと。

そして実際に住んでみると、想像以上に問題だらけだったんですが、それでもそこから少しずつ、自力で修繕やリノベーションをしてゆきます。

ボロ家と雑草だらけの絶望的な環境から、家を修繕して、畑を作り、ニワトリを飼い、少しずつ住み心地のよい、自分にとって理想的な環境を作ってゆく、という流れです。

 

可能性は「表面はボロボロ」にある

もうね、私はこういう「問題だらけの環境を、自力でよくしてゆく」系の動画って大好きなんですよ。

だって、これって私たちの人生と同じだからですね。

「与えられたのは何もかもがボロボロの環境だったけど、知恵と工夫で少しずつよくしてゆく」とか、まさに私たちの生き方しょ。

 

で、こういうのを見ると、「可能性って、表面はボロボロだけど、良質な中身と、修繕のための材料があることなんだな」と感じたりもします。

これが分かると、意外と世の中には「工夫次第で価値ができる、安価なお宝」が多くあると分かって、希望を持てるかもしれません。

 

「表面はボロボロでもいい」から作る戦略

「見た目がよくて、最新で、輝いていて、誰もが話題にするもの」って、やっぱり多くの人があこがれますよね。

そして当然ですが、そういうものほど果てしなく値段が高いわけです。

 

私たちはそういうのをいくらでも買えればいいんですが、私たちが持つ資源には限度があります

特に個性がある人ほど、社会の歯車になれないので、最初ほど豊かさを持たないもので。

 

そういう場合、「表面はボロボロでもいい」と割り切ってみるのもいいように思います。

そして、基礎や中身が比較的無傷でしっかりしていて、材料にアクセスできる環境があれば、可能性は一気に広がると分かります。

 

例えば家でもスマホでも家電でも、表面がボロボロな中古品は、すっごい安い値段がついてるものです。

だけど、その中でもたまに「基礎や中身は無傷」というもので、なおかつ「表面を修繕できる材料にアクセスできる」という状況があるんですよ。

なら、後は自力で表面を修繕すれば、十分に使えると分かります。

 

「本質を見抜く」ことで得られる価値

私はこういうのが、「本質を見抜く」ことで得られる価値だと思うんですよね。

ここで言う「本質」とは、「価値の根幹(貴重な部分)は損なわれていないこと」と、「貴重ではない部分を修繕できること」ですね。

 

実のところ、多くの人が表面しか見ていません

「表面しか見ていない」というよりも、「表面でしか判断できない。中身の善し悪しを理解できない」と表現する方が適切かもしれません。

だから、多くの人が「みんなが買っているから」とか「話題になっているから」だけで飛びついて、いろんなブームができるように思います。

 

そして中古品市場でも見てみると、「見た目が悪くても、中身は良質」というものは、実は世の中には結構あると分かります。

もちろん、その「中身のよさ」を見るには、見る目が必要でしょう。

だけど工夫できるタイプの人なら、普通に見抜ける性質を持っているように思います。

 

なら後は、そういうものを得てきて、表面を自分好みに修繕すれば、かなりの低コストで自分が欲しいものを入手できます

場合によっては、「表面の善し悪しは気にしない。機能さえ使えればいい」というものは、そのままだったり、最低限の修繕で使うこともできるでしょう。

 

「キラキラ輝く場」には可能性がない

なら、私たちが希望や可能性を得たい場合、「キラキラ輝く広告の場所」にはさして可能性がないと分かります。

だって、そこには「見た目がいいもの」ばかりしかないんですから。

 

むしろ、「ごちゃごちゃしていて、くすんでいて、ジャンクな中古品ばかり」という環境に可能性があると分かります。

もちろんそこには、「本当のゴミ」とか、「何に使うか分からないもの」も多いでしょう。

でも、「表面は悪いけれども、中身は使えるもの」もそれなりにあります。

 

実際にジャンクパーツ屋をイメージすると分かるでしょうが、ゴミのように積み上げられたジャンク品だけど、実は結構「中身は生きているし、むしろ良質」というものは多いわけです。

なら後は、そういうジャンクパーツを、どううまく修繕して、自分の人生に組み込むかになります。

 

「人生に役立つパーツ探し」は面白い

そしてこういうジャンクパーツ探しって、実は結構面白いんですよ。

これはパーツだけでなく、心理学などでも同じです。

このブログでもそういう心理的な「ジャンクパーツ」を提供しているんですが、「このメカニズムは使える」という要素を自分の人生に組み込むのって、希望が出るし、面白いですよね。

 

これはパーツに限らず、「人生を作る可能性」は、「キラキラ輝くメインストリート」を歩いているだけでは、見つからないものです。

可能性は、「くすんだゴミ置き場のようにも見える場」にあるように思います。

しかもかなりの格安で入手できて、楽しめて、人生を豊かにできるんですから、最高でしょ。

 

普段でも、輝くメインストリートを通るのではなくて、業者が使うようなマイナーな路地を注意して見ると、そういう世界が見えるかと思います。

「こんなもの、誰が買うんだ」とか、「こんなに大量にゴミみたいなジャンク品を抱えて、誰に売るんだ」みたいな、不思議な世界です。

 

まとめ

なので可能性が欲しい場合、「表面はボロボロでもいい」と割り切るのもいいように思います。

「キラキラ輝く場」ではなく、「ごちゃごちゃしたジャンクパーツ屋」に通ったり、そういう場をメインにするのもいいかなと。

 

裏を返すと、「キラキラ輝く場や情報」ばかりに触れているから、いつまで経っても可能性が見えないように感じます。

実際に、「見た目がよくて、最新で、輝いていて、誰もが話題にするもの」って、クリエイティビティーを発揮しているのは「売る側」でしょ。

「買う側」には、クリエイティビティーは一切ありません。

 

なら私たちがクリエイティビティーを発揮したい場合、その逆で発想すればいいと分かります。

「見た目が悪くて、くすんでいて、誰も話題にしないけれども、中身はしっかりしているもの」を見抜いて、うまく修繕するなりして、人生に組み込めばいいと。

なら、少しのコストでどんどん豊かになって当然のように感じます。

 

それに私たちには、欲しいものなんて山のようにありますからね(笑

私の中では、「人生で欲しいものがたくさんある!」というのでいいように思います。

だって、そういう欲しいものが元気をもたらしてくれるし、何より「面白そう!」というエネルギー源になるんですから。

 

むしろ本当は欲しいのに、自分に嘘をついてごまかしたり、「そんなものなくても生きていける」なんて言い訳をし始めると、人生はくすみ始めるように感じます。

 

もちろん私たちが持つ資源は有限なので、何もかもを入手できるわけではありません。

だけど、「表面はボロボロでもいい」とできて、「基礎や中身がよく、修繕材料があるものは、世の中にはかなり多くある」と分かると、可能性ががらりと変わるかと思います。

すると世界を見る目が変わって、希望が持てるかもしれません。

 

ということで今日は、可能性とは「表面はボロボロだけど、良質な中身があること」かな、というお話でした。

今日はここまで~。

この記事をシェア:
Share