今日も今日とて、精神的なお話です。

今日は、「人とは違うものを作りたい」よりも「好きなものを作る」方がいいですよ、というお話をしてみましょうか。

 

「人とは違うものを作りたい」という思いの落とし穴

私はここ半月で、5件ほどプロットのチェックやら作成をお手伝いしていたり。

で、クリエイターさんなら、よく「ありふれたものは作りたくない」とか、「人とは違ったものを作りたい」って思うものですよね。

まさに境地開拓型というか、新たな境地に向かいたいクリエイターらしい発想で、私もプロットチェック時に複数の人からそう言われたりして。

私も昔、強烈にそう感じていましたしね。

 

ただ、「人とは違うものを作りたい」よりも、「好きなものを作る」方がいいかな、と思います。

なぜかというと、「人とは違うものを作りたい」は、基本が他人軸にあるんですよね。

本来なら自分軸で動くところを、「自分」という存在の定義を他者にゆだねてしまうことになります。

すると、他人が変わったら、自分まで影響を受けてしまうことになって、他人や社会に振り回されることになりがちです。

で、自分を見失いやすいんですよね。

 

特にこれは、成功した後で苦しむことになります。

例えば「自分は他の人と違うことをするのが自分だ」と思っていて成功すると、まねをする後続がどんどん出てくるわけです。

すると、みんなが自分と同じことをすることになり、「まねをするな!」と怒りを持ったり、自分を見失ってしまったりすると。

そして、せっかく作り上げた成功を手放すはめになったりするわけですね。

どんどん新たなことに挑戦するのはいいことですが、望まずに好きなジャンルから追い出されるのはしんどいですからね。

 

自分が欲する好きなものを作って分かち合うと、まねをされることが嬉しくなる

そうじゃなくて、「好きなものを作ろう」とする方がいいかと思います。

すると、自分軸になって、他者がどう動こうが関係なくなります

それに、まねされても仲間が増えるので、怒りもわきませんし、むしろ嬉しくなります。

 

例えば私の場合でも、どんどん価値観だとか考え方、ノウハウを教えているじゃないですか。

で、まねをされると私は嬉しいんですよ。

というのも、それだけ与えたものを受け取って、人生に取り込んでもらえて、喜んでもらえた、ということですからね。

すると、まねをされても仲間ができて嬉しくて、喜ばれて、自分も喜ぶ形にできます。

 

「社会から自ら出る」か、「社会から追い出される」か

これは言うなれば、「社会から自ら出よう」とするか、それとも「社会から追い出される」という形になるか、とも表現できるでしょう。

ここでは、人が集まっていて、便利だけどしがらみや競争が多い場所を「社会」と表現するとします。

一方で、人があまりいなくて不便だけど、しがらみや競争が少ない場所を「境地」と表現するとしましょう。

 

で、「好きなものを作る」というのは、自分が「こっちに行く道が欲しいから、道を切り開こう」とするようなものです。

自らの意思で、「社会から出よう。そして新たな境地で道を作ろう」とするわけですね。

この場合、どのみち自分が欲しい道だから、道を作った時点で誰よりも自分が「作ってよかった」と満足できます。

後は、その道をどう使ってもらおうが、関係ありません。

むしろ、他の人に有効利用してもらえれば、より嬉しくなるものです。

 

その一方で、「人とは違うものを作りたい」という場合、他人の価値観が主軸なので、社会から追い出されたような形になります。

社会から追い出されて、仕方なく別の場所を開拓しなきゃいけなかったと。

でも、せっかく開拓したところを、社会の人たちが「こんなところに道があるぞ」と発見されて、侵略されるようなものです。

「お前らが自分を追い出して、自分はここを必死で苦しんで豊かにしたのに、それを奪うのか!」と感じると、怒りを持って当然ですよね。

 

しがらみが強い場所にいると、「好き」より反発心が勝ってしまう

なら、なぜ「人とは違うものを作りたい」と思うようになるのかというと、やはりまだ社会の中に居続けているからじゃないかと思います。

すなわち、しがらみが強い場所にいると、「好き」よりも、社会に対する反発心が勝ってしまうわけですね。

 

だいたい「こういうものを作りたい」っていうクリエイターは、しがらみが強い社会よりも、自由にできる余地がある境地の方が合っているんですよ。

社会では何をするにしてもルールがあったり、人間的なしがらみや制約があるものです。

すると、しがらみが強い社会ほど、「周囲の迷惑を考えなさい」とか、「わがままを言うんじゃありません」、「みんながこうしているんだから、あなたも我慢してこうしなさい」みたいに、自由にできなくなると。

 

クリエイタータイプの人にとっては、こういう社会的な不自由さって、もう地獄のような苦しみですよね。

すると、「とにかくここから出たい」という気持ちが勝って、自然と「違うことをしたい」という反発心になるんじゃないかと思います。

 

他人軸で成功すると、面白くなくなる

実はクリエイタータイプの人ほど、他人軸で成功すると、面白くなくなるんですよ。

だいたい私たちクリエイタータイプの人って、どんなことでも、人から言われてやりたくないじゃないですか。

私たちが学生時代の頃を思い出してみても、「勉強しようかな」と思っていたときに「勉強しなさい!」とか親に言われると、一気にやる気がなくなったでしょ(笑

それは、自分軸ではなく他人軸を受け入れることになってしまうからですね。

 

で、もしそれで成功したとしても、成功を自分のものにしきれなくなってしまいます。

勉強で言うと、親に「勉強をしなさい」と言われてやって成績がよくなったとしても、「自分が勉強をした手柄」じゃなくて「親が『勉強をしなさい』と言った手柄」の領域ができてしまって、手柄(成功)を自分のものにしきれなくなります。

すると、せっかく勉強をしたとしても、なんか面白くないですよね。

自分で考えて、自分で決断して、自分でその報酬を得るからこそ、挑戦と成功は面白いんですから。

 

しがらみが強い場所にいるクリエイタータイプの人ほど、「自分の好きにさせてよ!」と言いたい欲求が強いんじゃないかな、と思ったりするんですが。

でも、その反発心で成功したとしても、それは他人軸をベースとするので後々がしんどくなるんですよね。

「俺たちがお前を追い出したから、お前は成功できたんだぞ」とか言われると、やっぱり怒りたくなりますからね(笑

 

まとめ

そんな感じで、他人軸を主体として成功してしまった場合、多くの場合で「面白くない」という出来事が起こります。

せっかく作り上げた自分のスタイルでも、「まねされて奪われるばかり」に感じられて、怒りを持つことになります。

それは、成功した後で苦しむことになるので、あんまりおすすめしません。

 

そうではなくて、自分軸で「私はこうしたい」、「私はこれを作りたい」で動くことですね。

すると、分かち合うことができて、どんどん与えて、まねをされることが嬉しくなって、かつ「まねをされることで成功する」ことができます。

こういう成功スタイルの方が、気持ちよさそうですよね。

 

こう考えると、より楽しく、分かち合うことができるんじゃないかなと思います。

 

ということで、今日は、「人とは違うものを作りたい」よりも「好きなものを作る」方がいいですよ、というお話をしてみました。

今日はここまで~。

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