ファンや応援してくれる人を増やしたい場合、嫌われる覚悟を持とう。
劣等感のある人は、「人類全ての人に愛されたい」、「人類全ての人に貢献したい」と言う。
それは裏を返すと、「誰からも嫌われたくない」ということだ。
しかし、現実ではそのようなことは不可能だ。
イエスや釈迦ぐらいの人間であったとしても、彼らを嫌う人は多くいる。
いわんや、私たちをや、である。
「みんなから好かれたい」と思うと、結局は何もできなくなる。
というのも、「みんな」が求めているものは、様々で統一性がないものだ。
ある人は冒険を求めて、一方で、ある人は安定を求める。
ある人は恋愛物語を求めて、一方で、ある人はサスペンスやホラーを求める。
そんな中で、「みんなに受け入れられるようなことをしたい」などと言うのは、非現実的だ。
冒険が好きな人は、安定を求める人から嫌われる覚悟を持とう。
恋愛物語を作る人は、サスペンスやホラーを好む人から、嫌われる覚悟を持とう。
それは言い換えると、「他の人を信頼する」ということだ。
私たちは全てのことをできるわけではない。
冒険をする人は「冒険をしたい人」の手引きをすればよい。
一方で、「安定を作りたい人」への手引きは、「安定を作る人」を信頼して、任せればいいのだ。
すると、「貴方にはこれができない」と言われたとしても、「この人を尋ねるといいでしょう」と、人を紹介できる。
自分にできないことは、他の人に任せればいいのだ。
全てを一人でできる必要などない。
しかし、劣等感のある人は、それを受け入れられずに、結局は何もできずに終わってゆく。
1万人を救う薬を開発する薬剤師は、目の前で苦しんでいる1人を救えないかもしれない。
しかし、医者が目の前の1人を救うことで、薬剤師ができないことを為すことができる。
どちらが素晴らしいなどと比較できることでもないし、医者は薬剤師になる必要もない。
100万部を売って多くの人に希望を与える作家と、ひたすら真剣に1人を救うカウンセラーも、同じだ。
「どちらが優れている」などと、言えるはずもない。
自分にできないことは、できる人を信頼しよう。
そしてその上で、自分の信念で、動けばいい。
嫌われる覚悟を持つと、自分の信念で動くことができる。
すると、自然と応援してくれる人も、増えてゆくのだ。