今日も、昨日に引き続き、精神的なお話です。
「100人が同じ方向に行く中で、1人だけ逆行してもいい」、というお話をしてみましょう。
「自分は周囲と同じようにできない」という悩み
クリエイター気質の人ほど、「自分は、周囲にいる『普通の社会人』と同じようにできない」っていう思いを持つものですよね。
周囲の社会では、しっかりとどこかに就職して立派に勤め上げていたり、多くの人と付き合えたり、社交的に活動できているわけです。
一方で自分は、周囲のように我慢して生きられなかったり、チームプレイができなかったり、人付き合いがうまくできなかったりするものです。
そして、「自分はダメな奴だ」、「自分は見下される側の人だ」と悩む人が多いんですが。
私も以前はそう感じていたんですが、最近はそう思わないようになりました。
むしろ、それはパイオニアの気質なんですよね。
だから、オドオドせずに、胸を張って違うことをすればいい、ということです。
じゃあなぜそう感じるようになったのか、今日はそんなお話をしてみましょう。
ある年の正月、車の誘導をしたお話
ちょっとした出来事を思い出したので、お話ししてみましょうか。
それは何年前の正月だったか、知人たちと初詣に行ったんですよ。
で、車に乗せてもらって、みんなで神社に向かって。
その神社は少し田舎にあったので、駐車場が狭い上に、車が入りにくい場所だったんですよ。
それで結構混雑して行列ができているのに、誘導員がいなくて、車からは見えない場所で無駄に空いた駐車エリアがあって。
それで私は、「あんなに待ったのに、空いてるやん!」と、到着して車を降りた後で、ちょっと車道側に出て、車の誘導をしたんですよ。
まぁ私は米軍基地の横に住んでいて、近所には工事関係で誘導員とか多くいるので、自然と誘導の仕方を見て覚えていたという(笑
そんなのは30秒もあればできるので、台数分ほど見事におさまって、後は待たせて、「よかった、行こう」とみんなに合流したんですが。
すると、知人の一人が、私に「すごいね。あんなこと率先してできるんだ」と、ちょっと驚きつつ、尊敬のまなざしで言って。
その人からすると、「あんな風に目立って恥ずかしいのに、気にせずに他人のためにできるなんてすごい」みたいな感じだったんでしょう。
実は私からすると、目立つとか全然考えてもなくて、「非効率だから詰めればええやん」程度だったんですが(笑
それでみんなでしばらく神社を見て回って、お参りして駐車場に戻ると、やっぱりまた車が混雑していて。
すると、さっきのその人が、たたっと小走りで行って、自分から車の誘導を始めたんですよ。
きっと、先ほどの私の姿を見て、神社のお参り中にでも、思うところがあったんでしょう。
で、少し誘導をして、満足げに微笑みながら戻ってきて。
誰もやらない中でするから、「格好いい」になる
「自分は周囲と同じようにできない」っていうのは、ある意味、こういうことじゃないかと思います。
私たちは、周囲のように我慢して生きられなかったり、チームプレイができなかったり、人付き合いがうまくできなかったりするわけです。
なら、だからこそできることもあるんですよね。
普通、「車の誘導をする」というのは、あんまり社会的に優れた仕事だとは思われないことでしょう。
普通の人ほど、「地位ある比とやお金持ちは誘導をされる側で、誘導をする側ではない」みたいな思い込みを持っているように感じるんですが。
でも、誰もやらない中で、堂々とそれをして貢献すると、周囲からは「格好いい」と思われるんですよ。
ナイチンゲールも、同じように貢献して影響を与えた
同じような例として、「クリミアの天使」で有名な看護師、フローレンス・ナイチンゲールがいます。
彼女はクリミア戦争で傷ついた負傷者を多く救った英雄として、語られているんですが。
でも当時の社会は、看護師なんて下女がするような、卑しい身分の人が就く仕事だと考えられていました。
また、野戦病院なんてお金をかけるだけ無駄で、そんなところに力を入れるなんて、誰も考えないような時代でした。
ある意味、だからこそ彼女は自由に手当ができたんだろうと思います。
彼女はそこに、「傷口や環境を清潔に保てば、生存率が上がるはず」と、独自の理論を持ち込んで、助けていきました。
実際にそれで、それまで30~40%近くもあった死亡率が、5%ぐらいにまで下がるという劇的な成果を出したわけです。
こうして彼女は英雄になり、看護師という地位が確立されていくことになります。
ナイチンゲールも、誰もやらないような中で、堂々とそれをして貢献したんですよね。
すると、周囲から「あの人すごい」と思われて、格好悪いことが格好良くなると。
マザー・テレサも、手塚治虫も、「見下されること」をしていた
マザー・テレサも同じですよね。
当時、ホスピス(回復が不可能な、死を間近に控えた人が過ごす場所)で、「これから死にゆく人と一緒にいる」ということなんて、世間では無価値だと思われていた時代です。
世間では、「身分がある人や、地位がある人、有名な人と時間を過ごせることが、価値ある時間だ」という常識がありました。
ひょっとすると、今でもそういう価値観があるかもしれません。
でもそこで、彼女はそんな人たちに寄り添い、死にゆく人々の考えを尊重して、愛を与えたわけです。
彼女はカトリックなのに、イスラム教の人にはコーランを唱えてあげて、ヒンドゥー教の人にはヒンドゥー教の仕方で祝福して、弔ってあげたと。
それが地元で「これはすごい人だ、本物だ!」と話題になって、インド中にその名が響き、そして彼女は英雄としての道を歩いて行くことになります。
漫画業界で言うと、手塚治虫だってそうですよね。
当時、「漫画を見るとバカになる」とか、「漫画家なんて、子ども相手のくだらない仕事だ」なんて言われていた時代です。
それが、成果を出していくことで、今では「漫画家になりたい」という人が多く出ているわけで。
なら、何が格好悪いことで、何が格好いいことなのか、分かりませんよね。
あるのは、他者の価値観を信じる生き方か、自分の価値観を信じる生き方か、じゃないかと思います。
100人が同じ方向に向かっている中で、自分1人だけ逆行する道
私は「ニッチに向かおう」とよく言っていますが、それはこういうことのように思います。
それは、100人が同じ方向に向かっている中で、自分1人だけ逆行するようなものです。
100人がずらーっと歩いていて、ふと横を見ると、1人の歩けない子がうずくまっています。
でも、誰もその子に声をかけようともしないし、助けようともしない。
そこで、流れに逆らって、その子に手をさしのべられるかどうか、ということですね。
「何で誰も助けないんだ!」とか、「この世界はおかしい!」なんて、Twitterで愚痴や不平不満を言う必要はありません。
ただ、100人の流れの中で、自分だけが逆行して、「助けは必要かい?」と、手を差し出せばいいだけなんですから。
そして相手が助けを求めていれば助ければいいし、「自分でやりたい」と言えば挑戦させてあげればいいと。
それだけです。
「価値がないことをすること」を恐れる必要はない
もし、その「歩けない子」が誰か分からない場合、自分に与えられるものをどんどん配ればいいだけです。
多くの場合、その活動は「世の中では価値がないもの」として、見下されるものになるでしょう。
ナイチンゲールしかり、マザー・テレサしかり、手塚治虫しかり、です。
でも、それを惜しみなく分かち合っていると、自然と必要とする人が集まってきます。
すると、人から、「すごいね。あんなこと率先してできるんだ」とか、「あんな風に目立って恥ずかしいのに、気にせずに他人のためにできるなんてすごい」と言われるようになります。
本当は、ただ単純に、周囲のように我慢して生きられなかったり、チームプレイができなかったり、人付き合いがうまくできないだけなんですよ。
なのに、気がつくと「それがすごい」と言われているわけです。
なら、「価値がないことをすること」を恐れる必要はないと分かります。
意味があると感じれば、堂々とそれをすればいいと。
そして喜ばせたら、対価としていろんなものを置いて行ってくれます。
それは時に「喜んでもらう喜び」や感謝になるかもしれませんし、時にお金になったり、食べ物や差し入れになったり、時にその子が大切にしているおもちゃをくれたりするかもしれません。
どんなものでも、それだけで嬉しいものですよね。
また、応援してくれる人も出てきます。
すると、いつの間にかそれで生きられるようになっていて、しかも尊敬される人になっているわけです。
まとめ
そんな風に、「自分は周囲と同じようにできない」と悩む必要はないように思います。
だからこそ、行動できることもあるんだと。
100人同じ方向に歩いていたら、自分も同じ方向に行かなきゃいけない、なんてことはありませんからね。
むしろ私は、思いっきり逆行することに快感を覚えたりもします(笑
いつだったか、朝にオフィス街の駅で、背広姿のサラリーマンたちがせわしなく会社へと向かう中、私だけが普段着で「今から遊びに行くぞ!」と歩いたことがあるんですよ。
これなんかもう、最高に気持ちよかったですから(笑
で、そういう風にしていると、その100人の中から「実は私もそうしたかった」と言う人が、必ず出てくるんですよ。
そして、その人は私の生き方から決意ができて、本当に行きたい方向に行くと。
私はそういう人がいると知っているから、「自分は一人ではない」と分かり、だからこそ堂々とできるわけです。
なので、これが分かれば、孤独も感じませんし、堂々と100人の流れにも逆行できるんじゃないかと思います。
ということで、今日は100人が同じ方向に行く中で、1人だけ逆行してもいい」、というお話をしてみました。
今日はここまで~。