今日はお休み日記です。
ついでに、「新作本は語彙の数を減らしました」、というお話でもしてみましょうか。
語彙の数を減らすようになりました
引き続き新作本のチェックをしているんですが、だいぶ時間をかけて分かりやすい構成にしつつ、理屈が取っているかを調整しています。
まぁこのブログでもそうですが、最近の私はだいぶ使う語彙の数を減らすようになりました。
というのも、説明系の文章では、語彙の数を減らす方が分かりやすくなるんですよね。
もし心理描写とか情景描写をするのであれば、いろんな語彙を使う方が飽きませんし、何より色とりどりになって美しいですよね。
小説とかは、そういう風に表現の華やかさで楽しませることも重要になります。
でも、説明系の文章で語彙の数を増やすと、逆に分かりにくくなるなと。
むしろ、中学生ぐらいにでも分かるような言葉で、中学生にでも理解できるような構成がいいな、と思うようになりました。
それで専門家にしか分からないような複雑なことを、簡単に理解させることができれば、それって素晴らしいことですからね。
優れた理論家ほど、頭が良さそうに見えない
これはとても残念なことですが、優れた理論家や育成者ほど、あんまり頭がよさそうには見えないものですよね(笑
というのも、その人の手にかかれば物事を分かりやすく説明してくれて、「あ、こんなに簡単なんだ」と理解しやすくなるからですね。
そして、理解すればするほど世の中が簡単になって、実は裏を返すと、それこそが「自分のレベルが上がった」ことになります。
だから、体感で「こんなに簡単なんだ」と感じるほど、本人のレベルが上がっていく、ということです。
逆に、頭が良さそうな人って、難しいことを言ってるものなんですよ。
何を言っているのか理解できないことが多いから、聞いている側は「自分にはよく分からないや」と感じるようになります。
すると、「その人の言うことに従おう」とか、「その人に相談しよう」となって、自分の思考や成長を放棄して、他者に判断をゆだねてしまうと。
だから、本人のレベルはいつまで経っても上がらないんですよね。
自立するには、「自分で考えらること」が大切
まぁ、重要でないことは、そういう風に外注すればいいんですよ。
でも、もし自由に生きたい場合、生き方とか収益の作り方みたいな中核部分は、自分の力を上げる方がいいかと思います。
すなわち、自立するには、「自分で考えられるようになること」が重要になる、ということです。
というのも、好きなことをして生きていると、人によっていろんな状況とか、解決しないといけないことがありますからね。
そんな場合、人にいちいち聞いていたりしたら、何もできなくなります。
それに、相談相手が適切に自分の状況を把握してくれるかも分かりませんし、適切な回答をしてくれるとも限りません。
私たちだって、親とか教師が言う「こうやって生きなさい」とかは、だいたいデタラメだったでしょ(笑
親や教師が言うことにただ従っても、豊かにも幸せにもなれないから、私たちは苦しんでいるわけで。
自立するのは、最初ほどしんどい
ならば、自分で考えて、自分で新たな創造性を発揮して、自分の環境をよくしていく方がよさそうだと分かります。
これは、やっぱり最初ほどしんどいんですよね。
不労所得と一緒で、収益システムを組み上げるには、最初ほど結構な労力がかかります。
もし、自立することとか、自分の思考を放棄すれば、結構簡単に収益は上げられます。
適当に会社勤めをしながら、言われたことをやっていれば、さほど能力がなかったとしても、それなりの収入は作れるでしょう。
それは、自分にとっての自由とか時間みたいな「大切な資産」を売っているから、手軽に収益を上げられて当然です。
でも、私たちはそんな自由とか、人生の時間を他者に売り渡すなんて、したくないと。
そんな自分を殺して生き続けるような世界には、一瞬たりともいたくない。
自分の好きなことをして、それで楽しく生きながらも、より豊かになって、人に喜んでもらいたい。
なら、どういう道を取るのか。
それで、自らがしんどい道を選べる人が、自由を得られるんじゃないかと思います。
「最初のしんどさ」を乗り越えられるか
で、実はしんどいのは最初の方だけで、能力を身につければつけるほど、楽になっていきます。
もちろん最初は、しんどいんですよ。
まず最初に、だいたいそういう夢を持つと、必ず現実を直視せざるを得なくなります。
「夢を持った後に直視させられる現実」というのは、必ず身を引き裂かれるような痛みを伴います。
だって、自分にはその能力も才能も、これっぽっちもない状態なんですから。
もしその能力があれば、そもそも悩んだりしませんからね。
能力がないから、夢を見て、現実を見なければならなくなるわけです。
その「能なしの自分」を受け入れられるかどうか、ですよね。
周囲から「お前は無能だ。才能がない」と言われて、自分でもそれを認めていて、それでも前に進めるかどうか。
これは、常識で考えると、「頭が悪いこと」をしていることになります。
全く合理的でも何でもありませんよね。
でも、よくよく考えると、それは5歳児に「お前は今までひらがなしかできなかった。だから才能がない。漢字なんか学べない」と言っているのと同じです。
「能なしの自分」という過去と、「きっかけを持った自分」という未来は、非関連です。
以前に「アキレスと亀のパラドックス」がなぜ矛盾を起こすのかを説明しましたが、それと同じで、人生での変化はいくらでも起こります。
状態が変化すれば、未来も大きく変わります。
そういう風に、「常識で考えても、頭が悪いことをできるかどうか」が、最初の関門になるでしょう。
見栄を手放せるかどうか
もしできたとしても、次に来るのは「見栄を失う」という問題です。
周囲とは違う方向に向かう場合、今まで他人のために使っていた時間を、自分のために使う必要があります。
「自由や人生の時間を売らない。売る量を減らしてゆく」と決めると、その分の収益が減っていきます。
すると、それだけお金を節約する必要があるでしょうし、今までよりも質素に生きて、工夫する力を伸ばす必要があります。
その能力を身につけるまでに、そして収益を伸ばすまでには、やはり少し時間がかかるものです。
その間、周囲の人は、自由や時間を売ることで、どんどんお金を得て豊かになっていきます。
一方で、自分は自由や時間を売らないことで、周囲に比べてより質素に生きなければなりません。
すると、見栄を張れないことで、苦しむようになります。
周囲から浪費を伴う遊びに誘われても、断らないといけないかもしれません。
「お金がないから」なんて、恥ずかしくて言えなくて、だから適当な嘘をでっち上げて、自己嫌悪に陥ったり。
もしくは、誘惑に逆らえずに浪費をしてしまって、「自分は何をしているんだ」と自己嫌悪をしたり。
「それでも、自分はこうして生きたい」と、そんな見栄を捨てられるかどうか、ですよね。
実際のところ、「お金」という観点では一時的に周囲よりも減るでしょうが、「見えない資産」という観点なら、周囲よりも豊かさを多く持つようになります。
だって、そういう「自分のために生きる」ことをすると、より自由が増えて、満足度が増えてゆきますからね。
それが分かれば、少しずつ「自分を伸ばすほど、豊かになれる」と楽しくなって、より学んで、自分を伸ばすことができます。
他にも、いろんなしんどいことはあります。
勉強もしないといけないし、工夫も考えないといけない。
戦略も練らなきゃいけないし、自分の特性を考えなきゃいけない。
時代の流れも見抜かなきゃいけないし、うまく予測して、勇気を出して行動しなきゃいけない。
そして予測に反していたら撤退しなきゃいけないし、損切りもしなきゃいけないと。
でも、それこそが面白いところで、能力を身につければつけるほど、豊かになっていける世界なんですよね。
まとめ
そういうサイクルを回していくには、「自分で考えられるようになること」が大切なように思います。
そしてそうなるには、複雑なことよりも、複雑なことを簡単にできるような、技術やノウハウが必要で。
だから、今回の新作本でも、「できるだけ語彙の数を減らそう」として、分かりやすい構成にしています。
とまぁそんな感じで、新作本に取りかかってます。
結構時間がかかっているので、リリースは10月下旬ぐらいになるかも。
もうちょいお待ちくださいませ。
ということで、今日はつらつらと日記を書いてみました。
今日はここまで~。