今日は、精神的なお話です。
社会で苦しい場合、「生きる力」があると心地よく生きられそう、というお話をしてみましょう。
なぜ今いる社会を出られないのか
Twitterでいろんな人のつぶやきを見ていると、いろいろ思うことがあるんですよ。
で、最近よく思うのが、社会で苦しんでいる場合、「生きる力」があると、心地よく生きられそうだな、ということです。
「生きる力」がないと、今いる社会から出られなくなります。
例えば台風が来たときに、「学校を壊していって欲しい」とか、「会社を壊していかないかなぁ」とか言う人がいるじゃないですか。
それとか、北朝鮮のミサイルが発射されたときでも、「うちの会社だけをピンポイントで爆破してくれればいいのに」みたいな(笑
まぁ、サラリーマンが居酒屋でくだを巻くのが、Twitterで愚痴を言うことに変わっただけなんですが。
言葉を素直に受け取ると、「ならやめればええやん」と言いたくなるんですが、やめられないから愚痴っているわけですよね。
で、こういう人は、もし実際に学校や会社が破壊されても、しばらくすると別の同じような学校や会社に、とぼとぼと向かっているでしょう。
それは、それ以外の生き方を知らないし、自分にできるとも思わないから、ですよね。
他にも、周囲の目を気にすることで、「あいつは社会の負け犬だ」と言われるのを恐れているから、ということもあるでしょう。
すなわち、別の社会では生きられないから、そうせざるを得ないわけです。
「生きる力」とは「別の社会でも生きられること」
「生きる力」とは何かと言われると、私は「別の社会でも生きられること」じゃないかと思います。
いろんな社会でも生きられることが、生きる力なんだと。
「会社がつぶれたら、生きていけなくなりました」なんて状態は、生きる力があるとは言えませんからね。
なら、今いる社会で苦しんでいる人ほど、「生きる力」、すなわち「別の社会でも生きられる能力」を身につけることが大切なように思います。
より正確に言うと、「その社会でのみ通用するもの」を手放していって、「どの社会でも通用するもの」を身につけると。
それは質素なものでも満足できる考え方だったり、自炊みたいな自分で自分を世話できることだったり、自分で作ったものを売る能力だったりするわけです。
すると、家族の常識とか、親戚の目とか、会社で必要なことなんて、実はとてつもなくローカルルールだと分かります。
世界には、いろんな考え方や生き方があるんですから。
そういう基礎的な「生きる力」がある人ほど、自由に、安心して生きられるんじゃないかと思います。
クリエイターは「永遠の旅人」タイプになりやすい
私は、クリエイターのような内向性の強い人ほど、「永遠の旅人」タイプじゃないかと思っています。
言うなれば、ムーミンに出てくるスナフキンのように、一カ所に居続けると苦しくなるタイプですね。
実際に何か夢や願いを叶えた人なら分かるでしょうが、「こうなれば最高だな」と願いを実現したとしても、しばらくすると飽きるでしょ(笑
そして、次第に「ここではないどこかに行きたい」と思うようになると。
さらに移動したとしても、しばらくすると、また「ここではないどこかに行きたい」となると。
そんな風に、クリエイタータイプの人は、「こうなるのが夢」というよりも、「今いる場所から次々と出て、人生で旅をし続けるのが夢」というのが正確な表現じゃないかと思うようになりました。
私自身、そうでしたからね。
その場合、最初から「この社会に行こう」と考えるよりも、「しばらくこの社会に腰をかけさせてもらおう」というノリの方がいいんじゃないかと思います。
すなわち、今の社会でも、そういう旅人的なライフスタイルで生きる、ということですね。
そのためには、荷物を少なくして、身軽にして、どこでも収益を上げられるような能力を身につけるといいかと思います。
それで、その社会でしか通用しない成功よりも、自由に生きられるスタイルを重視するわけです。
いろんなものやしがらみがあるだけで、その社会からは逃げられなくなりますからね。
社会から出るときは、どんなときでも命がけ
実のところ、社会から出るときっていうのは、どんなときでも命がけのような気がします。
言うなれば、それは紛争地帯から脱出する難民と同じで、その先に何があるのか見えないけれども、自分が「生きる」ために場所を移すことです。
それは途上国の紛争地帯だろうが、先進国や戦場、王宮だろうが、同じように思います。
すなわち、自分にとって合わない社会というのは、紛争地帯にいるのと似たようなものです。
そこに居続けても無意味で、そして人生を疲弊させてゆくだけなんですから。
すると、その社会から出ることを恥じなくなります。
例えば、私たちが戦場にいる少年兵、少女兵を見ると、「無意味に死ぬぐらいなら、逃げればいい」と思いますよね。
外から見たら、その内戦や利権の奪い合い、そのための民族の誇りなんて無意味なんですから。
その家族、その学校、その会社から逃げたとしても、外の社会にいる人は、誰もそこで「負け犬だ」とは言いません。
「負け犬だ」と言って見下すのは、常に「他の社会を受け入れられない、元いた狭い社会」だけです。
なら、そのままいても無意味な死があるのであれば、生きる方に走って行くのもいいように思います。
当然、最初ほど粗末な食べ物とか、厳しい生き方を強いられるかもしれません。
社会にいるときから、その状態を開始しなければならないかもしれません。
でも、「それでも行きたい」と受け入れた人には、そういう厳しさを受け入れられるんですよね。
だから、どんどん移動できるようになると。
まとめ
そういう「生きる力」を身につけられていれば、身軽に移動し続けられるように思います。
それは、「どこでも生きていける」という自信が身につくからですね。
一カ所に居続けられないクリエイタータイプの人ほど、そういう「生きる力」を優先して身につけるのがいいように思います。
身軽になって、自分で自分を満足させられる力を伸ばす、ということですね。
すると、気楽に移動しながら、楽しんで生きることができるんじゃないかと思います。
ということで今日は、「生きる力」があると、心地よく生きられそう、というお話をしてみました。
今日はここまで~。