今日も精神的なお話をしてみましょうか。

「プレイヤー目線で見ると、感情的情報に左右されなくなる」、というお話です。

 

ツイッターのトレンドって、ありますよね

今の私は1日に1回ほど、ツイッターで日本エリアのトレンド(いわゆる話題になっているキーワード)を見てます。

私の場合、トレンドワードの感情にはあまり深くは立ち入らずに、トレンドを「こういう未来の流れになってきたかな」という未来予測の判断材料にしてます。

まぁもちろん、ツイッターだけでなく、いろんなサイトからチェックしているんですが。

 

ちなみにツイッターのトレンドは、ある分野では相当恣意的な傾向が含まれているんですが、まぁそれもふまえて一つの判断材料にできると。

それ以外はアメリカもしくは赤道ギニアのトレンドにして、距離を取っている状態です。

 

怒りをあおる情報に影響される人もいる

で、私の知り合いのツイートを見ても、ちらほらそういうトレンドに影響されている人がいて。

特に、怒りをあおる系の情報に、大きく感情を左右されていることが多いように感じます。

 

少し離れて見れば、そういうのの一部には「あ、これはこの勢力が、こういうメリットを得るために作られたものだ」ってあるのが分かるんですよ。

特にツイッターは、それが分かりやすいと。

でも、それが分からない人は、怒りに感情を奪われて、「うわーうわー許せない!」と叫んでいるように感じます。

 

将棋やチェス、オセロをしている感覚

言うなれば、将棋やチェス、オセロをしている感覚です。

そういうゲームをする場合、私達は「(将棋やチェスなどの)コマの感情」なんて考えませんよね。

コマを動かして、勢力を広げてゆくと。

 

で、プレイヤーは、そのコマに「こう動かそう」と餌を与えます。

餌はいろいろありますが、その一つに「怒りを持たせること」があります。

いわゆる扇動的なメッセージを与えることで、爆発的に動かすことができると。

するとコマは、「うわーうわー許せない!」と叫んで、相手陣地へと攻め込んでゆきます。

 

相手も当然プレイヤーなので、同じように要所で怒りを放って、コマを動かします。

するとコマは、また「うわーうわー許せない!」と叫んで、反対方向に向かいます。

まるで家畜の大移動のように、「こっちだー! 次はあっちだー!」と、どどーっと動いていくわけですね。

 

プレイヤー目線で見る感覚

で、重要なのは、そのプレイヤー目線で見ることです。

逆を言うと、プレイヤー目線で見ることができない人ほど、コマにされていいように扱われてしまうわけです。

そして自分が何をしているのか分からずに、一貫性のある行動もできずに、目先の怒りに左右されて疲弊してゆくと。

当然そういうコマは、自分なりの戦略性なんかないので、流れに応じて豊かさを確保することもできません。

 

もちろん、ほとんどのトレンドワードは、そういう恣意的なものではないように感じます。

それとか、別に陰謀論みたいに「世界はこの勢力が全て操っている!」とか言うのでもありません。

むしろ私は、「個々の人や集団が、魚のような群体となって、カオス的な中で全体が動いている」というイメージで全体を見ています。

 

でも、そういうカオス的な情報の渦の中でも、結構クリティカルな部分で、「あ、これは恣意的だ」とか、「こういう流れか」と分かるものがあるんですよ。

どういう内容かとか、どういう判断基準かとか言い始めると、このブログが炎上するのでやめておきますが(笑

 

流れを読み解く側に立つスタイル

まぁ恣意的な部分は無視しても、そういうプレイヤー目線で見られると、少なくとも怒りに左右されることはなくなります

それは、全体の流れ、群れの流れを見抜けるんですから。

言うなれば、目の前の餌に左右される側に立つか、盤面の外に出てその流れを読み解く側に立つか、ということです。

 

私自身はコマにされるよりも、盤面の外に居たいタイプなので、そういう視点を持っています。

で、私はコマを動かすのにも興味はないので、「こう動くかな?」と予測して、それに対応して身の振り方を考えると。

そして小さくとも安全に平和に、余裕を作って、ちまちま分かち合いながら生きられればいいな、というスタイルです。

で、このブログが好きな人は、そういうスタイルが好きなタイプが多いと思います。

 

まとめ

なので、そういうプレイヤー目線を持てると、感情を左右されにくくなるかなと思います。

特に、怒り系の情報にどっぷり浸かっても、疲弊するだけですからね。

それは「全体の流れ」としてとらえて、そして手を売っていくのも一つの手かなと思います。

 

群れがどーっと山側に行けば、川の水を飲みやすくなって。

逆に群れがどーっと川側に行けば、山側にある木々の実を取りやすくなると。

すると疲弊することもなく、同じように流れを理解できる少数の人と、「今日も平和ですね~」と言いながら、余った豊かさを味わえるわけです。

で、遠くから人々が争い奪い合っているのを眺めて、「あっちは大変そうだな」と苦笑いすると。

 

人によっては、そういうスタイルが合うんじゃないかな、と思ったりもします。

 

ということで今日は、「プレイヤー目線で見ると、感情的情報に左右されなくなる」、というお話をしてみました。

今日はここまで~。

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