今日は、精神的なお話をしてみましょうか。

「なぜ生きているだけでも価値があるのか」という内容を、私なりに説明してみましょう。

 

「自分は生きている価値がない」と思う時

よく、「私はダメな奴だ」とか、「自分は価値がない」とか思うことって、あると思うんですよ。

うまくできなかったり、他の人のようにできなかったり、自分だけができなかったり、自分が落ちこぼれのように感じたり。

それで、「自分は劣った人間なんだ」、「自分は生きている価値がない」、「もう死にたい」とか思ってしまったりして。

 

でも最近の私は、性質って「優れている、劣っている」ではなくて、「何に適応しているか」じゃないかな、と思うようになりました。

そしてこれが分かれば、なぜ生きているだけで価値があるのかが分かるかと思います。

 

人は遺伝子でできている

なら、なぜ人の性質は「優れている、劣っている」ではなく、「何に適応しているか」だと言えるのか。

それが、人の性質は、遺伝子(DNA)でできている、ということです。

で、遺伝子情報って、いわゆる「スイッチ」なんですよ。

例えば「このスイッチがオンなら、お酒に強い体質。オフならお酒に弱い体質」、「ここと、ここのスイッチがオンなら血液型はA型。別の組み合わせならB型とか別の型」みたいに。

 

なら、それって「違う性質がある」ってだけですよね。

「お酒に強いかどうか」とか、「血液型がA型かB型か」なんて、優劣ではないんですから。

ただ、「お酒に強いことを評価する場と、評価しない場」とか、「A型が有利になる状況と、B型が有利になる状況」みたいな場や状況があるだけです。

 

必要ない遺伝子なんてない

それに、必要のない遺伝子情報なんてないわけです。

大昔の生命は、とても少ない遺伝子情報のみ渡して、分裂や繁殖をしていました。

でも、生命はいろんな環境で適応できるように、いろんな遺伝子を拡張して進化させて、広がっていきました。

例えば「暑さに強い」とか、「寒さに弱い」、「陸でも呼吸できる」、「海でも陸でも生きられる」みたいに。

だから、必要のない遺伝子は、そもそも作らないわけです。

 

もちろん人間でも「しっぽの跡」のように、今では退化したり、必要性が薄れた遺伝子情報もあるでしょう。

でも、それも今まで生き抜く中では必要だったわけで、過去にはその存在意義はあったわけです。

言うなればそれは傷痕と同じで、それがあったことで、私達は過去を生き抜けたんですから。

 

性質ではなく、場や状況を変える発想

なら、「あらゆる状況で、この性質が絶対的に優れている」とは言えないと分かります。

それは、性質とは「違う場や状況に適応するために作られたもの」だからですね。

差がないものは、性質とは言いません。

 

なら、性質を変えようとしてもダメなら、「性質ではなく、場や状況を変えてもいい」と分かります。

違う場や状況のために性質が作られたなら、必ず「自分に合う場や状況」があるはずです。

そして、もしこの世界全てで自分が役立つ場や状況がなければ、「時代の流れで、いつかそういう状況が来るかもしれない。自分はそのためのバックアップだ」と分かります。

 

例えばポジティブな性質は、安定した状況で生きる場合に有利です。

それは、外敵や危険が少ない場合、ポジティブに出ていく方が、餌を取れたりメリットを得られます。

ですが、不安定な状況だったり、少しのミスが命取りになる場合、ネガティブな方が有利です。

ネガティブな方が安全地帯を確実に確保できて、少しずつ慎重に活動エリアを広げられるんですから。

時代や状況で、有利な性質が変わるわけですね。

 

なら、「自分の性質は完全に劣っている」、「そんな性質を持つ自分は、完全に必要ない」なんてことはないと分かります。

例えば自分がネガティブだったとしても、それは一つの性質なんですから。

 

地球は短期間でダイナミックに環境が変わる場所

そして、地球はとても短期間で、ダイナミックに環境が変わりえます

生命の歴史上だけでなく、人類の歴史上でも、「たった10年で世界の平均気温が10度変わる」とか、普通にありました。

大型火山が噴火した場合、たった数年で世界の気温や天候が激変することもあって。

それとか、長い歴史的には、海面移動も数十メートル単位で起きることはよくあったことです。

 

最近でも、コロナウイルスで、たった数ヶ月でそれなりの変化がありましたよね。

歴史的に見れば、今回よりも強いウイルスが出てくることなんて、過去にも未来にも、いくらでもありうると分かります。

それぐらい、地球は環境がダイナミックに変わりうるわけです。

 

遺伝子情報改変では短期対応できない

なら、そういう数年や数十年単位で激変するような場合、「遺伝子で対応する」なんて不可能だと分かります。

だって子供を生んで育てるまで、10年とかかかるんですから。

「遺伝子情報を書き換える」なんて、それ以上に時間がかかることです。

 

すると、「あ、自分の個性は、万が一の時のための、リスク対応予備でもありうる」と分かります。

特に「社会に適応できない個体」とか「みんなのようにできない個体」ほど、裏を返すと「社会以外の場や状況で、うまくいく性質を持ちやすい」ということですからね。

遺伝子のスイッチとは、そういうものです。

なら、「無理に社会で価値を作れなくても、生まれた意味はある」と分かります。

 

だから、存在するだけで既に意味がある、ということです。

それが、生命の仕組みなんですよ、と。

 

まとめ

なので、そういう遺伝子レベルで見ると、「存在するだけで意味がある」と分かるかと思います。

 

また、過去に受けた傷で、今も身体に残っている傷痕があるかもしれません。

でも、それも意味あるものです。

なぜなら、身体が必死で傷を塞ごうとして対応したから、その傷痕が生まれたわけです。

その傷跡は、生き延びるために意味があった、ということです。

 

実際の傷痕だけでなく、精神的な傷痕もあるかもしれません。

でも、それも過去の苦しい状況で生き抜くために、必要だったものです。

傷痕がうずいたとしても、それは無意味な痛みではないわけです。

「これのおかげで、あの地獄のような状況を生き抜けたんだ」と分かれば、その痛みも受け入れられるかもしれません。

 

その痛みは、あってもいいものなんですよと。

その痛みは、苦しい状況を必死で生き抜いてきた、証なんですよと。

それは恥じるものではない、ということです。

 

これが分かると、より自分を受け入れられるかもしれません。

そして「自分なりに、生きていこう」と覚悟ができるし、場や状況を変えたり、いろんな工夫ができるかな、と思ったりもします。

 

ということで今日は、「なぜ生きているだけでも価値があるのか」という内容をお話してみました。

今日はここまで~。

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