今日は、精神的なお話をしてみましょう。

「完全よりも自然を重視する」という生き方のお話です。

 

生き方では自然な方が心地よさそう

ちょっとした記事があったので、ご紹介。

本当に「食事の代替」になる? 完全栄養代替飲料を、1カ月ひたすら飲み続けた結果(Wired)

記事は、完全栄養代替食という、いわゆる「全ての栄養素が詰まった一つの食品」を食べ続けてみたらどうなったのか、という内容です。

で、続けてみると、飽きが来て苦しくなって、「長期間向けではない」と結論づけています。

 

私の中では、生き方という領域においては、「完全さよりも、自然さを重視する方が心地よさそう」というイメージを持っています。

完全さっていうのは、「これが一つの究極形態だ」というものを見つけ出すこと。

自然さというのは、「いろいろ移ろい変わりゆく中で、心地よくなれるように移動したり、変化してゆこう」という発想です。

 

なぜ飽きが来るのか

私達って、同じ食事を続けていたら飽きがきますよね。

なら、ここでちょっと考えてみましょう。

私達は、なぜ飽きという性質を持つんでしょうか?

 

例えば原始生物は、同じ栄養素ばかりを取り込んでも大丈夫です。

そして草食動物は、同じ草ばかり食べていても問題ありません。

でも、私達は「味に飽きる」というシステムをわざわざ持っているわけです。

すなわち、最初は「味に飽きる」なんて機能がなかった生命が、進化の過程でわざわざその機能を追加したことになります。

なら、なぜわざわざそんな機能を追加したのでしょうか?

 

雑食性ほど、飽きを持つ方が広い栄養素をカバーしやすい

すると、「人間のような雑食性動物ほど、違うものをいろいろ食べる傾向にありそう。なら、雑食という性質だからこそ、飽きを持つことで栄養素の偏りを回避して、健康になれそう」という推測ができます。

生き延びる戦略を考えると、雑食性の方が、単食性(同じものばかり食べる性質)よりも、激動期でも生き延びやすくなります。

というのも、単食性だと、その1種類もしくは数種類の餌がなくなっただけで、自分たちも絶滅してしまうからですね。

 

だから雑食性の場合、木の実とか、魚とか、草とか根っことか、いろんなものを食べて栄養を得ます。

でも当然、1つの食べ物だけでは、全ての栄養を補えるわけではありません。

肉なら私達の体の組織に近いでしょうが、木の実とか草まで含めて「できるだけ幅広く」という戦略を取るほど、どうしても「私達の体組織からは遠い一つの餌」だけでは栄養が偏ります。

なので、いろんなものを食べて補おう、という戦略ですね。

 

私達はそういう雑食性を、500万年以上も続けてきたわけです。

なら、雑食性の人間が「一つのものを食べ続ける」というのは、何となく自然ではなさそうだと分かります。

 

同じものを毎日食べるほど、アレルギーになりやすい

実際、同じものを毎日食べ続けていると、アレルギーになりやすいんですよ。

同じものを食べ続けるほど腸内でアレルギー物質が出てきて、アレルギー症状が出やすくなると。

私もそういう「同じ食事を毎日続ける」という期間を何度も試したことがあるんですが、私はアレルギーに弱いようで、アレルギー出まくりでしたからね。

 

よくあるでしょ、「毎日牛乳を、毎日ヨーグルトを、毎日菌活」みたいな、「毎日この食品を食べましょう」みたいなフレーズが。

あれは商売の売り上げ仕掛け的にはいいものなんですが、アレルギー的な健康にはよくないと。

それが健康食品のフレーズなので、なおさらおかしかったりもしますが(笑

 

まぁもちろん、個体差はあります。

例えば投資家のウォーレン・バフェットなんて、毎食「チェリーコークと、肉とパンだけのハンバーガー」だそうですが、元気ですからね。

そういう個体差はあるにしても、全体で見ると、やはり同じものを食べ続けるのはよろしくなさそうだと分かります。

 

いろいろ変化していい

それに、私達の身体も環境も、どんどん変化していくものです。

私の場合、暑い日は豚キムチを食べたくなったり、寒い日はスープとか鍋物が食べたくなったりして。

それは、暑い日には特定の栄養素が減りやすいし、寒い日には温かいものでぽかぽかしたいと。

 

それとか、運動した日とか、疲れた日、不安な日、元気な日とか、いろんな状況があります。

他にも、幼い時期、子供時代、青年時代、中年期、老人期となるにつれて、いろんな変化があります。

 

そういうのを全く考慮せずに「これさえ食べていれば大丈夫」を目指すのは、なんかずれているように感じます。

 

まとめ

なので、完全ではなく、自然を目指して生きるのも、いいかなと思います。

 

疲れたときは、休みたくなりますよね。

「毎日こうしなきゃ」というのは、完全さを目指す生き方です。

「疲れたら、うまく休むのが自然だ」というのが、自然な生き方です。

 

私の中では、「自然であるほど、生命的なエネルギーが出そうだ」と感じています。

で、苦しいときは苦しいなりに、楽しいときは楽しいなりに、自分のエネルギーを保って活動してゆくと。

そういうエネルギーを重視する生き方も、一つの生き方かなと思ったりもします。

 

ということで今日は、「完全よりも自然を重視する」という生き方のお話をしてみました。

今日はここまで~。

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