今日は雑記です。
主体性を取り戻すための方法を、つらつらと書いてみることにしましょう。
受け身になるほど、主体性がなくなる
昨日の記事で、「受け身になるほど、主体性がなくなる」って触れましたよね。
例えばSNSでも、自分でフォローしておいて、「なんでこんなメッセージを発信するんだ!」と、相手に文句をつけるような人がいるものです。
自分がフォローを外せばいいだけなのに、「相手が変わるべきだ」として、相手や周囲を否定しまくっているわけです。
これって、とても回りくどいというか、自分の願いを実現しにくい状態だと分かります。
というのも、自分が動いてフォローを外せば、5秒もかからずに心地よくなれて、すっきりしますからね。
なのに、「周囲のせいだ!」と攻撃することで、自分も満たせないし、反論も受けて、不満と争いばかりの毎日になってしまっていると。
主体性がない人って、SNSだけでなく、こういうことを人生でもやってしまうわけですね。
そして、自分が動けば解決できるのに、「私は絶対に動かない! 周囲のすべてが私に配慮すべきだ!」とわめき立てる人ができてしまうんですが。
「SNSで、嫌なフォロー先を外す」という練習
そういう場合、どうにかして主体性を取り戻す必要があります。
じゃあどうすれば、そういう主体性を取り戻せるのか、ということです。
そこで一つの方法として、「SNSで、嫌なフォロー先を外す」という練習をしてみるのもいいように思います。
そういう小さな部分から、試してみるわけですね。
で、そこで問題になる思い込みが、2つほどあるかと思います。
それが、「相手に嫌な思いをさせてしまうかもしれない」、「嫌な情報も得なければいけない」という2つの思い込みですね。
なのでここから、そういう2つの思い込みに対する対処法を書いてみようかと思います。
自分が傷つけば、それでいいのか
まずは、「相手に嫌な思いをさせてしまうかもしれない」という思いについてです。
私たちは付き合いとかあるので、「態度をはっきりさせる」というのを、なかなかしにくいわけで。
ただ、「相手に嫌な思いをさせずに、自分が傷つき続けていれば、それでいいのか」というと、それはちょっと疑問だと分かります。
というのも、それって「相手の方が価値があって、自分は相手よりも価値がない存在だ」って認めていることになりますよね。
いや、だからといって、「私は相手よりも価値がある」と、ふんぞり返る必要もないんですよ。
それも、「私の方が無価値だ」と同じように、不健康ですからね。
なので、「私は相手と同等だ」と思うわけです。
神様目線で私たちを見てみる
「私は相手と同等だ」というのは、言うなれば神様目線で私たちを見てみるようなものです。
例えば神様がいて、「ふたりとも、私たちの愛する子だ。だけど、片方が『片方が傷つけばいい』と思っている」と感じています。
すると、神様からすると、片方を犠牲にするよりも、「ふたりの抱えるトータルの喜びが増え、苦しみが減る」という方が嬉しいですよね。
健全な思考というのは、そういう感覚です。
「私が苦しめばいい」と無条件で受け入れるのではなくて、「ふたりの抱える喜びや苦しみが、それでトータルで変化するのか」という視点ですね。
その我慢が、本当に相手を喜ばせているのか
で、多くの場合で、「我慢しがちな人」というのは、実際は相手を喜ばせていません。
相手は「それが普通だ」と、なんとも感じていないものなんですよ。
その上、私たちが離れたら相手が苦しませるかというと、そうでもないことがほとんどです。
というのも、もし本当に大切なら、私たちに対して丁重に扱いますからね。
必要ないと感じているから、ぞんざいに扱うわけで。
もし大切さに気づいていないのであれば、一度離れれば、相手は重要さに気づいて「私が間違っていました」と言ってきます。
一方で、もし相手が私たちの代替をすぐに見つけられる場合、私たちが苦しんでまで維持する関係ではなかった、ということです。
なら、嫌なフォローを外せば(不健全な関係を切れば)、「ふたりのトータルの苦しみ」は減ることが多いと分かります。
そういう神の観点を持てると、「相手に嫌な思いをさせてしまう」という思いを、うまく乗り越えられるかと思います。
「嫌なニュースも得なければ」という思い込み
で、二つめが、「嫌なニュースも得なければいけない」という思い込みでしょう。
「自分の欲しい情報だけ得ていると、増長してしまう。苦い情報も得なければ、人はダメになる」という教えです。
実はこれ、「他人の気持ちを分からない人」とか、「未来を考えない人」向けの教えなんですよね。
いわゆる、共感性が低い人向けの教えです。
というのも、そうしないと、相手の気持ちを理解できないから虐げるばかりになるし、リスクを考えないからですね。
一方で、相手の気持ちを痛いほど理解できる人(共感性が高い人)や、未来をつい考えてしまう人は、元々そういう内容を深く考慮するタイプです。
周囲や相手に配慮するし、リスクにも敏感で、事前に準備しようとします。
必要なのは「リスクに関連するニュース」
で、そういう人にとっては、必要なのは「リスクに関連するニュース」であって、「嫌なニュース」ではないと分かります。
自分の進む方向に必要なリスク情報であれば、「嫌だ」とは感じません。
だって、それは「知っていてよかった。リスク対策しておこう」と、興味を持てるからですね。
まったく無関係の、どうでもいい争いや怒り、嘆きを見せられるから、「嫌だなぁ」と感じるわけです。
例えば私たちが「自転車で日本一周をしたい」と思っていたとしましょうか。
その場合、「台風が来ている」というのが、リスクのニュースです。
一方で、「通り過ぎた街で、こういう人間同士のもつれが起きた」なんてものが、嫌なニュースです。
なら、私たちは台風情報を得る時に、「嫌だなぁ」とは感じませんよね。
それは、「自転車で旅行をしたい」と願うからこそ、「対策しておこう」と感じるわけです。
逆に、自分の願いとは関係ない怒りや争い、嘆きに対しては、「嫌だなぁ」と感じてしまうと。
この二つを区別できるようになると、「リスクのニュースが重要だ。嫌なニュースは、無理に受け取らなくていい」と分かって、フォローを外せる(無意味な関係性を手放せる)かと思います。
まとめ
なので主体性を得るために、そういう小さなところから始めるのもいいかと思います。
で、まずは「SNSで、嫌なフォロー先を外す」という練習をしてみると。
これ、最初はそれなりに罪悪感を持つでしょうが、実行できると、すっごいすっきりしますから。
「あ、こんなに簡単に切っていいんだ!」と分かって。
で、たまに見たいものなら、ブラウザのブックマークにでも入れておけばいいんですよ。
実際に私も、フォロー先はとても少なくしていて、たまに見る人は、ブラウザのブックマークに入れてます。
そういう風に、「わざと手間をかけることで、自分の意思で選んで見るようにする」という形にしていると。
そういうところから、「自分の意思で、自分の環境を作っていく」ということを始めると、主体性が出てくるかもしれません。
ということで今日は、「主体性を取り戻すための方法を、つらつらと書いてみる」ということでお話ししてみました。
今日はここまで~。