今日は、考え方に対するスタンスのお話です。

雇われほど「働いている間は、思考を停止するほどいい」と考えてしまう、というお話です。

 

「働いている間は、思考を停止すればいい」

ニューヨークタイムズの見出しに、面白いものがあったのでご紹介。

それが、「働いている間は、単純に思考を停止すればいい」(英語版)という動画記事で。

で、「考えずに労働する単調作業労働者は、こんな風に生きている」みたいなテーマで、風刺やオピニオン(問題の提示)的な内容になっているんですが。

 

その中で、はっとさせられる言葉があったので、分かりやすく修正してご紹介。

「仕事は単調作業なので、思考を停止する方がいい。だけどそうすると、家に帰っても頭を使わなくなる。だって、仕事をしているときも、していない時も、同じ自分だからね」

「何の仕事をするのか、自分で選択しているはずだ。なのに単調作業を続けて思考停止すると、受け身になって、次第に何も考えなくなるんだ」

 

つまり、仕事で「何も考えずに働く方がいい」とするほど、人生でもどんどん受け身になっていく、ということです。

そして、「私はこうしたい、こうしよう」という主体性よりも、「私はこうされた、こう扱われた」という受け身なことばかりに集中してしまうと。

こういうことって、よくあるように思います。

 

なぜ考えなくなるのか

実際に私たちって、例えば学校でも、しんどかったじゃないですか。

そういう場合、「何も考えずに、言われたことをうまくできるようにしよう」と、思考を麻痺させる方が、楽になれるんですよね。

それは、「こうすればいいのに」と考えても無駄だし、改善案とか自分の希望を表明しても、絶対に採用されることはないからで。

その上、嫌でも学校には行かなきゃいけないし、休んだり悪い点を取ったら制裁があるんですから。

 

一方で、「考える」のは、それなりに体力や精神力が必要になるものです。

改善案を出したり、よりよくするためにリスクを背負うことは、体力もいるし、覚悟もいるわけで。

 

すると、学校とか会社、仕事で「どうせ改善案があっても、変わらない」となると、考えるだけ無駄になっちゃうんですよね。

そして何も考えなくなって、受け身になってゆくと。

 

受け身になるほど、主体性がなくなる

上記の記事はアメリカの記事ですが、日本ではアメリカ以上にこういう感覚が大きいように思います。

ほら、例えばSNSでも、たまに主体性が完全になくなっている人がいるじゃないですか。

「私のタイムラインに、あなたのくだらないメッセージを表示させないで! あなたは情報発信すべきではない!」みたいなことを言う人がいるものです。

そういう人には、「フォローを外せばいいだけ。自分が選んだフォロー先のメッセージが、自分のタイムラインに表示されている」という自分の行動部分が、見えていないわけです。

 

仕事や人生でも、受け身になるほどそれと同じことが起きます。

「自分が仕事や生き方を選んでいる」という部分をすっ飛ばして、「こうされた。こう扱われた。あいつはこうすべきだ」という部分ばかりに目が向いていると。

 

こうして、「世の中は、私に対してひどいことをするばかり。私は何も悪いことはしていないのに」と感じる人ができてしまいます。

本当は、その「何もしていない」というのが、自分の選択であるのに。

 

「考える」を大切にする

なので自由人になりたい場合、逆に「考える」という部分に集中する方がいいように思います。

すなわち、「私はこうしたい、こうしよう」という部分に集中して、決断していくわけですね。

 

というのも、そういう風に生きようとすると、「すぐに現実を変えられるわけではないし、失敗するリスクもあるし、失敗すれば損失もある」と分かるからですね。

リスクもあるし、「それでも得られるものは何か」と考えたり、戦略とか方法論とか、いろいろ検討する必要があります。

だから、「リスクを冒してでも、メリットがある」と分かって、分からない中でも行動できると。

そうやって、自分の願いや価値観を基準に動いていくわけです。

 

単調作業労働者ほど「頑張る」を美化する

ちなみに上記動画では、ラストがとても風刺的だったりします。

それまでは、延々と優雅でゴージャスなBGMと共に、「単調作業労働者」が頑張ったり、自分たちを鼓舞したりする映像が流れているわけです。

 

一方で、途中ではBGMを止めて、現実を語るんですよ。

「優雅そうに見えて、実はこういうひどい現状ですよ」みたいな。

そしてラストでは、明らかに裕福そうな老夫婦が出てきて、そんな「激務の単調作業労働者」に向けて、乾いた拍手を送ると。

つまり、「頑張ったからといって、喜んでもらっている風でもないし、むしろ搾取されているだけかもね」というニュアンスを含んだ、オピニオン(意見の提示)なんですよね。

 

私たちは、「頑張ろう! 仕事は尊い! 言われたとおりにこなそう! やるぞ!」と、嫌なことを美化しがちです。

でも、なぜそこまで無理にでもテンションを上げなきゃいけないのか、という部分に疑問を持つのもいいように思います。

そんな「嫌なことを美化して、努力を称賛する」ような貧しい人がいる一方で、「そんなの、何も考えない奴らがすることだろ」と冷静になっている裕福な人もいる、ということです。

 

まとめ

そういうこともあって、自分の人生を取り戻したい場合、「自分で考えて、判断する」という部分に集中するのもいいように思います。

「自分で考えて、判断する」ということは、「失敗を受け入れること」だとも言えるでしょう。

リスクとリワード(得られるもの)を考えて、戦略を考えて、自分なりに失敗しつつ行動していくと。

 

そういう「自分のタイムライン(現実)に映るものは、自分がフォロー先を選ぶことで、変えられる」と分かると、いろいろ変えてゆけるかもしれません。

 

ということで今日は、雇われほど「働いている間は、思考を停止するほどいい」と考えてしまう、というお話でした。

今日はここまで~。

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