今日は、「世の中の仕組み」についてお話してみましょう。
悪に石を投げる人たちは、「みんなと一体感を味わいたいだけだ」と考えると、行動原理が分かる、というお話です。
「100%の悪」という決めつけと、居心地の悪さ
以前、こういうツイートを見かけたんですよ。
それは、とある共感性の高い人が、とある中東の戦争(炎上を防ぐため、書き間違えがあることもあります)を見て、こう疑問を訴えていたわけです。
その戦争は、その地域にある東側の国が、西側の国に攻撃をした、という内容なんですが。
「で、西国のメディアや人々は、東国を完全なる悪だとしている。だけど、東国の論理では、西国を悪としている。じゃあ何が悪なんだろう」みたいに。
これ、相手の立場を考えられる人なら、そういう風に感じることも多いんじゃないかと思います。
「あいつらは100%の悪だ」と決めつけているのを見ると、なんだか居心地が悪くなりますよね。
だって、「100%の善悪って、ありうるんだろうか?」とか、「彼らは自分たちが100%正しいと、どうやって判断しているんだろうか?」みたいに思うからで。
「善と悪が同じ論理」という現実
実際に、「善なる側が、悪と同じ論理で動いている」ということもあるものです。
例えば今回のウクライナ戦争でも、アメリカ大統領や欧米系メディアは、ロシア大統領を目の敵にしているわけです。
それで、「現ロシア大統領を独裁を排除して、ウクライナやロシアの民を助けよう!」みたいに言っていると。
すなわち、「誰々の圧政で、罪のない民衆が弾圧されて、苦しんでいる。だから誰々の圧政を排除して、民を解放して、助けよう!」という論理です。
でもよくよく見ると、ロシア側も同じ論理なんですよ(笑
「ウクライナに住んでいるロシア系住民が、不当に弾圧されて苦しんでいる。だから彼らを解放して、助けよう!」で、侵略を開始したんですから。
侵略者の論理
だから、私はこういうのを「侵略者の論理」と呼んでいます。
「あの国の統治者による圧政で、罪のない民衆が弾圧されて苦しんでいる。だから敵国統治者を排除して、助けよう! そのために戦おう!」という論理です。
そこには、「戦いを救済だと入れ替えて、互いに奪い合っている」という矛盾があると分かります。
似たような「侵略者の論理」で、「○○は元々、誰々のものだった。だからそれを、略奪者から取り戻そう!」というものもあります。
でもこれも、よくよく考えると、「元々って、いつ?」と言いたくなるでしょ(笑
「じゃあこの地球は、例えば大地は、自然は、宇宙は、元々誰のものなの?」みたいな(笑
同じく、「誰々が最初に武器を持って、侵略を開始した。だからそいつが悪なので、そいつをたたきつぶそう!」みたいなものもあります。
これも、歴史的に脈々と続く「挑発し合い、殴り、殴られた長い歴史」があるわけです。
特に中東での紛争歴は長いので、そういう「元々は誰のものなのか」、「いつ、誰の侵略が、根源で悪い」なんて言いにくくて。
すると、「元々は誰のものだ」、「元々はこの時に、こいつが手を出したのが悪い」と言いつつ、それは自分の都合のいいタイミングで根源を決めているに過ぎないと分かります。
すなわち、「自分のものだった」、「最初に武器を手にしたあいつが悪い」と、発端を決めつけているに過ぎないんだと。
素直に生きたい人ほど、矛盾を感じる
そういう「救済だと叫んで、現実では戦っている」という人々を見ると、素直に生きたい人からすると、とても矛盾を感じるように思います。
だって、相手が「侵略者の論理」で侵略しているのに、侵略に対抗する側も、実は同じ「侵略者の論理」で相手を排除しようとしているんですから。
その上、ただの奪い合いなのに、「お前は苦しんでいる人を見捨てるのか」とか、「俺たちと共に戦わないなら、お前も敵だ」とか言い始めて、罪悪感や恐怖感を周囲に広げるわけです。
すると客観的に見られる人ほど、「それって、ただの奪い合いだよね。その論理なら、どっちもどっちじゃない」って言いたくなるかと思います。
「素直に、お互いが『我欲のための戦いだ』と言えばすっきりするのに」
「彼らが『我欲のためだ』と言えば、こちら側は正義とか悪、罪悪感や恐怖感で惑わされずにすむのに」みたいな(笑
いやまぁ、当然現実では、そんなことは社会的には言えないんでしょうが(笑
ただ、素直に生きたい人ほど、そういう「言葉と行動が違っている人たち」を見ると、モヤモヤを抱えそうに感じます。
こういう現象って、戦争に限らず、ビジネスでも争いごとでも、いろいろありますよね。
「言葉と行動が違っている人たち」の行動原理を知ろう
前置きが長くなりましたが、ここからが今日のお話です。
そういう「素直に生きたい。表裏なく、本音で生きたい」という人ほど、そういう「言葉と行動が違っている人たち」の行動原理を知るといいかと思います。
その行動原理というのが、彼らは「正義でいたい」というよりも、「みんなと一体感を味わいたい」ということですね。
すると、特に「悪に石を投げる人たち」に対して、すっきりと納得できて、その行動を受け入れやすくなるかと思います。
外向型と、3つの内向型タイプ
私がよく使う性格分類に、「外向型と、3つの内向型タイプ」というのがあります。
もう超高頻度でこのブログで出している、次図のようなものです。
で、人には「社会でみんなとつながっているのが好きなタイプ」と、「社会から出て、新境地を開拓するのが好きなタイプ」の2種類がいます。
上図で言うと、左右の軸(社会維持型と境地開拓型)ですね。
「社会でつながるのが好き」というタイプ
そして、「社会でみんなとつながっているのが好きなタイプ」ほど、文字通り「みんなと一体感を味わえると、心地よさを感じる」という性質を持ちます。
それはきっと、彼らは「今属している社会」でしか生きられないので、団結を実感できるほど「自分は安全な場にいる」と安心できるからでしょう。
だから、彼らは「論理が主、団結が従」ではなく、「団結が主、論理が従」で動きます。
彼らはそれだけ、「団結」とか「一体感」が大好きで、それを実現するために論理を適当に当てはめると。
例えばプロ野球とかプロサッカーの「球団のファンになる」でも、冷静に考えると「ゲームなんだから、どこが勝とうが、別にどうでもええやん」って感じでしょ(笑
でも、彼らは「どこかに属して、目的に目指して団結できる」という心地よさを味わっているわけです。
「どこの球団ファンに属するか」なんて、そこに合理性なんてなくて、適当な建前や論理をつけて決めているに過ぎません。
「新境地開拓が好き」というタイプ
一方で、「社会から出て、新境地を開拓するのが好きなタイプ」は、純粋に「何を実現したいから、こうする」という目的指向です。
団結よりも、目的を実現することの方が重要なんだと。
だから、「論理が主、団結が従」で動くタイプです。
すると、例えばいろんな戦争でも、「侵略者の論理」、「救済だと叫んで、現実では戦っている」という「目的と手段に対する矛盾」が見えるわけです。
だから、「侵略者を排除しろと言いながら、侵略者と同じ論理で侵略者を排除しようとしているよね」と違和感を持って、モヤモヤしてしまうと。
「価値観のズレ」に気づこう
でも、そこで「彼らは団結や一体感が欲しいからなんだ」と分かると、すんなりと行動を受け入れられるかと思います。
彼らは「正義でいたい、悪を倒したい」という欲求がメインではなくて、「団結や一体感が欲しい」がメインだということですね。
言うなれば、彼らは「自分の属する社会が強く、安定しているほどいい。そして自分の属する社会への脅威は、排除できればいい。それができれば、論理は何でもいい」という感覚です。
だから、社会不安が広がると、合理性とか論理の整合性なんて無視して、攻撃的になってしまうと。
一方で新境地開拓が好きなタイプは、「それをしても論理を実現できないことは、しない」と合理性を重視します。
だから、この「自分と他者の間にある、価値観の優先度のズレ」が、相手に対する違和感やモヤモヤを作っているわけです。
この価値観の違いを知ることかな、と思います。
まとめ
これは、いろんな争いごとで当てはめられるかと思います。
そういう「相手が持つ、自分との価値観の違い」を知るわけですね。
すると、ビジネスでも身近な人たちの争いでも、「自分と無縁な社会同士の争いは、基本的に奪い合いだ」と分かるでしょう。
そして、「奪い合いをしたい人は、奪い合いをさせていればいい」と割り切れるかと思います。
彼らは、好きで奪い合いをしているんですから。
そこに、罪悪感を持つ必要はありません。
もし助けたければ、自分にできる範囲で助ければいいだけです。
助けられないものは、手を合わせて供養すればいいと。
それに、「侵略者の論理」に対しても、無理に奪い合いに参加する必要はありません。
「お前は苦しんでいる人を見捨てるのか」とか、「俺たちと共に戦わないなら、お前も敵だ」みたいな言葉も、罪悪感や恐怖感を植え付けるだけの、侵略者の論理です。
そもそも、「相手に自分の価値観を押しつけること」が、侵略だと言えるでしょう。
「人を助ける」というのは、「相手が望むことに、自分も喜んで助力する」ということです。
つまり、人助けというのは、双方が喜びと感謝で満たされることです。
これが分かると、無駄な罪悪感や恐怖感を手放せて、自分にできることに集中できるかと思います。
ということで今日は、悪に石を投げる人たちは、「みんなと一体感を味わいたいだけだ」と考えると、行動原理が分かる、というお話でした。
今日はここまで~。
(備考)なお、今回の記事では、炎上を防ぐために、いろいろ書き間違えがある可能性もあります。
その辺はご了承くださいませ。