ここ最近は共感性についてよく語っていますが、今日もその関連です。

「我慢には限度がある」と受け入れられると、他の方法を模索できる、というお話です。

 

共感性が高い人ほど、我慢をしがち

共感性が高い人ほど、「もっと我慢しなきゃ」と我慢をしがちですよね。

高共感な人とは、言い換えると「理性で感情を強く制御できる人」だと言えます。

 

そもそも「理性」とは何かというと、「未来やその影響を考慮できること」ですからね。

高共感な人は「未来にこう不利益になる」とイメージできて、そのイメージに共感できるので、そのリスクに対する恐怖を生々しく実感できます。

だから「未来のために、我慢しよう」と、今の感情や衝動を制御できると。

 

一方で低共感な人も、「未来にこう不利益になる」と経験から予測することはできます。

例えば「給料日でお金が入った。今お金を浪費したら、来月の給料日前は大変そうになる」と、理屈では分かるんですよ。

でも低共感な人は、その恐怖を生々しく実感できません。

だから「ま、いっか」となって、浪費をしてしまうと。

 

我慢強さは増やせる

ちなみに高共感な人は、普通の人よりもはるかに強く我慢ができるし、我慢強さを増やすこともできます

それは、「未来への恐怖」を強く持つほど、我慢強さは発揮できるからですね。

だから脳内で「未来にはこういうひどい状況になりうる」とイメージして、恐怖を増やせば増やすほど、より忍耐強くなれます。

もしくは「何も考えないようにしよう」と機械のようにイメージことでも、「自分は機械だ。操り人形だ。自分に意思はない」とイメージできて、反発心を殺せます。

 

一方で低共感な人、特に自閉症の人にもなると、そもそもそういう脳機能がないので、「我慢強さを増やす」ことはできません。

ある意味、高共感な人ほど我慢強さを増やせる、という性質を持ちます。

 

ただし、「脳内で恐怖感を必要以上に増やす」とは、「被害妄想をする」と同義です。

また、「自分に意思や決断力はない」とイメージするほど、無力感が増えて当然です。

だから我慢強くなろうとすると、被害妄想が増えて、自信を失うことになります。

 

また、当然のように、好奇心や安心は消えます。

だから、「我慢をするほど、現状から出にくくなる」と言えるでしょう。

 

高共感な人ほど、我慢が一番の手段になりやすい

とはいえ高共感な人ほど、自分の意思で我慢強さを増やせます。

なので高共感な人にとっては、「我慢すること」がきわめて有効な成功法則になります

だって何か問題があったとしても、我慢をすれば、少なくとも波風は立たないし、周囲と同じかそれ以上にできて、うまくいくんですから。

特に幼い頃の生きる力が乏しい状況では、「我慢すること」はとても効果的な方法になります。

 

だから、高共感な人ほど「我慢する」が一番最初に執る手段になりやすいと。

そして新たな困難を抱えたら、「もっと我慢しよう。もっと我慢できるようになろう。強くなろう」と、今までの成功法則にすがりやすいわけです。

 

ですが、当然ですが、我慢するほど苦しくなってきます

そもそも我慢とは、「未来の恐怖をイメージして、今の自分の欲求を制限すること」でしかありません。

自分の欲求を制限し続けていたら、苦しくなって当然です。

 

ネガティブ側を欲するのが自然

そして自分の欲求を制限していたら、ネガティブ側を欲するようになります

というのも、「ポジティブ」=「もっと我慢すること(他者の価値観を満たすこと)」で、「ネガティブ」=「我慢しないこと(自分の欲求を満たすこと)」という関係になりやすいからですね。

だから、少しのことで疲れやすくなったり、落ち込んだり、くじけたりします。

そして、「私はネガティブになりやすい」とか、「ポジティブになりたい」と感じるようになります。

 

そんな風に、極限まで重たい荷物を背負って、がくがくする足を引きずりながら歩いて、ネガティブ側なことばかりを考えてしまうようになると。

でも、それでも「もっと頑張らなきゃ。強くならなきゃ。我慢しなきゃ」と言っているわけです。

 

そしてそういう人は、だいたいこう問いかけるわけです。

「どうすればポジティブになれるでしょうか? どうすればネガティブにならずにすむでしょうか?」

「どうすればもっと我慢できるでしょうか?」

「どうすれば、私は楽になれるでしょうか?」みたいに。

 

我慢には限度がある

その解決方法は、とてもシンプルなものです。

それが、「我慢には限度がある」と知ることですね(笑

 

我慢には限度があるんですよ!(笑

あるでしょ、限度が!(笑

 

「我慢には限度があるし、無限に我慢力を増やせるわけではない」という現実を受け入れることです。

 

ネガティブを欲する時点で、すでに限界突破している

だいたい、「どうすれば楽になれるんでしょうか?」と聴いている時点で、すでに限界突破しているわけです。

ある意味、ネガティブ側を強く欲するようになった時点で、すでに限界突破しているものです。

それは、もう十分に限度以上のものを背負っている証です。

 

だから、「我慢には限度があるんだ」と受け入れることで、負担を手放せるかと思います。

 

それはきっと、「(自分の思い込んでいる)未来のため」にはならないでしょう。

ただ、ネガティブがポジティブを生む要因にもなるし、ポジティブがネガティブを生む要因にもなると。

なら、「他の方法を模索しよう」とできて、他の手段を模索できるかと思います。

 

低共感な人のアドバイスは、苦しみになりやすい

これが分からないと、「もう我慢できない」と、死や破滅を望んでしまうようにも感じます。

特に、低共感な人にアドバイスを求めた場合、苦しくなりやすいかと思います。

 

というのも、低共感な人からすると、常識的に「我慢しないもの」です。

もちろん誰でも多少の理性はあるので、我慢はするんですが、高共感な人の我慢とは比べものになりません。

 

それに、その人がどれだけ我慢していることは、周囲には分かりません。

その背負っている荷物は、他の人には見えないんですよ。

 

だから低共感な人は、極限まで我慢している人に「みんな頑張ってるんだよ。みんな同じだよ」みたいに言ってしまうわけです。

すると、極限まで我慢している側は、「荷物を下ろすことを許されない。でも、もうこれ以上我慢できない。楽になりたい」と思って、死や破滅、時には復讐を選んで当然のように思います。

 

まとめ

なので高共感な人は、「我慢には限度がある」というシンプルな現実を受け入れる方がいいように思います。

「我慢を一番の選択肢に持ってきてしまっている」と気づくだけでも、だいぶ変わるかと思います。

 

高共感な人ほど、普通の人よりも、はるかに我慢をして荷物を抱えているものです。

「ネガティブ側を強く欲する」というのは、それだけ誰からも評価されない中でも、ひたすら頑張った証です。

それはすでに、限界を超えていることを意味します。

 

だからそういう場合、そういう世の中の「人が抱えている我慢の量」を適切に理解することかな、と思います。

なら、「もっと我慢できるように、強くなる」ではなくて、「他の手段を考える」、「ネガティブ側の手段でも、願いや欲求は満たせる」とできるかと思います。

そういう現実を知ることですね。

 

すると、現状を変えやすくなるかもしれません。

 

ということで今日は、「我慢には限度がある」と受け入れられると、他の方法を模索できる、というお話でした。

今日はここまで~。

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