今日は世の中の流れについて、思うことをつらつらと書いてみましょう。

変動期ほど、人は「せめて今まで通りに生きられさえすればいい」と願うけれども、それが破滅をもたらす、というお話です。

 

「せめて今まで通りに」という破滅要因

最近の私は、世の中を見ていると、「これはクラッシュして当然だな」と感じることがあるんですよ。

それが、変動期で混乱するほど、人は「無理に豊かになれなくてもいい。せめて今まで通りに生きられさえすればいい」と願うようになることですね。

 

人は不安を抱えたり、混乱すると、現状にとどまろうとする傾向があります。

そして、「豊かになれなくてもいい。そんな大きな夢はいらない。せめて今まで通りに生きられさえすれば満足なんだ」と、ささやかな幸せを求めるようになります。

 

だけど私から言わせると、それこそが現状を理解していないし、「クラッシュして当然だ」と感じる要因そのものだったりします。

 

身の丈を越えた「今まで通り」は破綻する

というのも、それは「今までが健全に生きられている」という場合にのみ成り立つからです。

例えば昨日まで借金を繰り返して、見栄を張って、身の丈を越えた生活をしていたとしましょう。

それで「せめて今まで通りに生きられさえすればいい」なんて言っても、そんなの破滅一直線でしょ(笑

 

それはあたかも「私は欲をかきません。ささやかな幸せさえ得られれば、それでいいんです」と言っているようで、謙虚に感じるかもしれません。

でも現実から見ると、「全然ささやかでも何でもないやん」と分かるものです。

だって、今の生活が借金で支えられていることすら忘れて、そんな今までの豪遊生活を「ささやか」と表現しているんですから。

 

すると、「健全な生活」をしている人から見ると、それは傲慢さすら感じるものです。

言うなれば、私たちが平民で、なんとか食べ物を得られて、無借金で日々の暮らしを健全に保てていたとしましょうか。

それなのに、貴族が借金を繰り返して、「ああ、今日着ていく新しいドレスがない! これも国がお金を出し渋るからだ!」と被害者ぶって嘆いているようなものです。

そしてその貴族が、「私は欲をかきません。今日着ていく新しいドレスがあれば、それだけの幸せさえ得られれば、それでいいんです!」と謙虚ぶっていると。

 

「当たり前」の基準を、どこに置くか

ある意味、常識とするラインが違っているわけですね。

「借金まみれで不健全な状態で成り立った、いびつな状態」を当たり前とするか、「健全な状態」を当たり前とするか、という違いです。

 

そして今、多くの人が「今の財政は、借金で支えられている」ということを忘れて、「せめて今まで通りに生きられればいいんです!」と言っているように感じます。

本人たちは、「自分は謙虚で、慎ましい生活をしている」と思っているんですよ。

自然な立ち位置から見ると、それは借金と見栄、身の丈を越えた贅沢でしかないのに。

 

だけどそれを、多くの人が論理でごまかして、正当化しているわけです。

「中央銀行がお金を作れば、インフレにならない限りは問題ない」とか、「こういう会計基準で見れば、価値は保たれる」とか、細かい仕組みを持ち出して、で煙(けむ)に巻いていると。

それは、実際は「そんな細かいことを知っている人が少ないから、反論できる人がいない」なのに、多くの論者が「このロジックが正しいから反論がない」と思い込んでいるだけです。

 

「今まで以上に落ちること」を恐れているだけかも

自然の立ち位置から見ると「これはおかしいぞ」と分かるのに、論理で現実が見えなくなっているわけですね。

ひょっとすると、「今まで以上に落ちること」を極端に恐れているだけなのかもしれません。

早めに一度落とせば楽になれるし、「ここから上昇すればいい」と分かるんですけどね。

 

だけど、「落ちてはいけない」という恐怖に駆られて、「もっとお金を作れ!」、「もっと支出しろ!」、「俺に届くようにばらまけ!」と、狂ったように叫び続けているように思います。

で、それに反論する人には「売国奴が!」と批判して、自分の欲を正当化していると。

まさに、「恐怖と欲は表裏一体」という状態です。

 

まとめ

こういう狂乱状態を見ていると、「これはクラッシュして当然だし、クラッシュする方がいい」とも感じたりもします。

こういう場合、クラッシュしないと人々は目を覚まさないんですから。

 

でも、客観的にこの状態を見られる人ならば、ちゃんと準備できるかと思います。

ノアの箱舟(はこぶね)のように、たとえ周囲から笑われたとしても、自分なりに考えて対策できると。

 

もちろん、私の見込みが間違っている可能性もありますけどね。

実際に私は今までも、多くの予測を外してきたし、見込み違いなことは多くありました。

 

ただ、私は私の判断で生きている、ということです。

だから、私は私の判断でクラッシュに対する準備をしています。

 

こういう感覚が分かると、周囲を受け入れられるし、自分も対策ができるかと思います。

そしてこれからのクラッシュを利用して、相対的に豊かになれるかもしれません。

 

ということで今日は、変動期ほど、人は「せめて今まで通りに生きられさえすればいい」と願うけれども、それが破滅をもたらす、というお話でした。

今日はここまで~。

 

余談

今のところ、以前に書いた未来の経済予測に大きな変更はありません。

「これから一度、株式もビットコインも最後の上昇を遂げて、そこから長期で本格下落開始」という予測です。

だいぶ予想よりもズレて長引いていますが、大まかな動きは同じです。

そしてひょっとすると、すでにその「最後の上昇期」に入ったかもしれない、というのが現状での私の予測です。

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