今日も昨日に引き続き、少しスピリチュアルな人間心理のお話です。
深層意識に入っても、「神のコード」なんてものは(たぶん)ない、というお話をしてみましょう。
「深層意識に入れる人が優れている」という風潮
スピリチュアルな業界では、「深層意識に入れる人が優れている」みたいな風潮があるじゃないですか。
それはおそらく、「内面により多く触れられる人の方が、精神についてより多くを理解している」という思い込みがあるからかもしれません。
まぁ確かに、深層意識に入って抑圧を解放できると、実際に精神的に楽になれるものです。
ただ、それを越えて「深層意識のさらに奥にある、『神のコード』を手に入れたい」と言っている人もいるんですよ。
「無意識のさらに深層には、多くの人や生命に共通する普遍的無意識がある。そこに入ると『神のコード(意志)』を認識できる」みたいな論理ですね。
これはおそらく、心理学でのユングの無意識構造(→ DuckDuckGo画像検索結果)に影響されたんだろうと思います。
私たちの意識の下には無意識があって、抑圧領域があって、その下には「多くの人に普遍的な無意識がある」とユングは説明したわけです。
だから多くの人が、「普遍的無意識のさらに下に入ると、きっとすべての人間や生命に共通する法則があるに違いない」と想像したんだろうと思います。
「神の意志を理解したい」という発想
で、そういう普遍的な情報、いわゆる「神のコード」に触れられると、「神の意志が分かるし、過去も未来もすべて理解できる!」と思われていると。
スピリチュアル業界である「アカシックレコード」とか、そういう意味合いで使われていますよね。
もちろん、そういう未知の世界を「その先はどうなっているんだろう?」と予想することは楽しいし、面白くて私も好きなんですよ。
ただ私の感覚だと、深層意識に入っても、求めている「神のコード」なんてものはないだろうな、という予想です。
そして深層意識が何かを理解できると、「神のコードなんて、得ても無意味でしかない。むしろ抑圧を解放したいだけ」だと分かるかと思います。
深層の価値観に入るとは、「退化する」こと
これは、「深層意識(深層の価値観)に入っていく」とは何を意味するのかを考えてみると分かるでしょう。
これをシンプルに言うと、「原始的な生命の価値観に戻ってゆく」、ある意味「退化する」ことを意味します。
分かりやすくするために、PCやスマホをイメージしてみるといいでしょう。
私たちはPCやスマホを使って、いろんな便利な機能やアプリ、ゲームを楽しんでいますよね。
その場合、「原始的な価値観に戻る」というのは、「シンプルな機械の方がいい」ということです。
つまり、「今のPCやスマホよりも、50年前の仕組みの方がいい。卓上電卓がいい」という価値観です。
OSで言うと、「iOSよりもApple Iという1970年代に開発されたOSの方がいい」とか、「Windows 11よりも、初代Windowsとか、その前身のMS-DOSがいい。Basicやマシン語がいい」と言っているようなものです。
「神のコードに触れる」とはどういうことか
だから「神のコードに触れればすべてを理解できる!」というのは、私たちがPCやスマホを触っているのに、「50年前のコンピュータや、卓上電卓のソースコードに触れれば、すべての計算機の世界法則を理解できる!」と言っているようなものです。
深層意識には、原始的なメカニズムがあるからですね。
まぁ確かに、原始的なロジックは理解できるでしょう。
ただ、そこに「本当の意味で自分が欲しているもの」があるのかというと、ちょっと疑わしいと分かります。
だって、50年前のソースコードを手に入れて、「私はコンピュータにおいて、神の知恵を得た!」と言っているんですから(笑
それはちょっと、滑稽(こっけい)だと分かります。
いやまぁ確かに、Microsoftが秘密のコードやバグを隠していて、それをハックすれば独自改造もできるかもしれませんが(笑
でも、その「改造」はさして意味がないと分かります。
だって、PCやスマホを使っている方が、よっぽど進化していて使いやすいんですから。
2つの「価値観の方向性」
つまり私たちは、2つの「価値観の方向性」があるわけです。
一つは、「より退化して単細胞になって、痛みも苦しみも感じなく生きる」という方向性です。
もう一つは、「より進化して、痛みや苦しみをうまくコントロールしつつ、新たな機能を導入して、新たな環境で生きる」という方向性です。
で、スピリチュアルな人の言う「神のコードに触れて、本当に得たいもの」というのは、究極を言うとその目的は「痛みをなくして生きたい」というように思います。
痛みをなくして、心地よく幸せに生きたいから、神のコードに触れたいんだと。
「進化する」という方向性のために、土台を整える
ですが人間は、地球では進化して生き抜いてきた側の生命です。
「進化する」という方向でも、生きる道があると分かります。
ある意味、深層意識に入ることを「下に戻る」とすると、進化することを「上に積み上げること」だと言えます。
「下」ではなく、「上」にも可能性がある、ということですね。
そのために、下である土台を整えます。
石を積み上げるのでも、土台がぐらついていたら、すぐに壊れてしまいます。
だから土台を整えることは大切で、そのために抑圧領域まで踏み込んで、内面を整える必要があります。
そういう意味で、「多少の深層」を整えてバグを取り払うことは大切だし、その後に「より抽象化を重ねて、表層のアプリを使いやすくする」という方向性だと分かります。
抑圧領域より下を変えることは、自己否定になる
なら、抑圧領域よりも下に踏み込む必要はないと分かります。
だいたい、抑圧領域より下を変えようとすることは、ただの自己否定でしかありません。
というのも、抑圧は「自力で変えられる、最も深い領域」だと言えます。
そしてその先は、自力では変えられない、肉体的な遺伝子領域です。
まぁ遺伝子操作で物理的には変えられるかもしれませんが、それは「自分の土台となる性質(価値観)を変える」ことを意味します。
そしてその先を変えようとするのは、自分の「変えられない部分の性質」を否定しているだけです。
だから、それはただ単純に自己否定でしかない、ということです。
それは「神のコード」の問題ではなく、抑圧の問題
だから「神のコードを読み取りたい」と言っている人には、どこかこじれていたり、劣等感を感じさせる部分があるんじゃないかと思います。
本当は、そこまでする必要はないのに、それを求めてしまっているからですね。
そしてその自己否定は、まさに抑圧を持つことで生まれる自己否定だと分かります。
「自分の性質を変えたい」という、自己否定でしかないと。
だからそれは「神のコード」の問題ではなく、抑圧の問題なのだと分かります。
根本原因を誤認しているところが、まさにこじれているし、抑圧の症状だと言えます。
まとめ
この辺が分かると、抑圧領域より深い深層意識に入っても、求めている「神のコード」なんてものはおそらくないだろうな、というのが理解できるかと思います。
「初期型のWindowsとかAndroidのソースコードを得れば、PCやスマホを最高にできて、幸せになれる」と思い込むのは、その発想自体がこじれている、ということですね。
もちろん、理論的にはこれも「一は全、全は一」と同じで、「深層意識の奥底には究極の法則がある」と言えるでしょう。
そういう知的好奇心でいろいろ考えるなら、それは普通に楽しめばいいかと思います。
ただ、「神のコードを得たい」という場合、「そんな難しいことよりも、もっと手前の抑圧を解放する程度で、自由と幸せを理解できますよ」ということです。
ある意味、そういう「神のコードを得たい」というのは、「神にお願いするなら、『私を根底から変えて』と願う」というのと同じ響きのように感じます。
それは裏を返すと自己否定だし、「神にお願いするなら、『私を殺して』と願う」と言っているのと同じかなと。
「自分以外のすべてが嫌いで、すべてをコントロールしたい」というのは、裏を返すと「この世界の中で、自分だけが世界のメカニズムから外れている」ということを意味します。
「自分以外のすべてが無価値だ」というのは、裏を返すと「自分だけが、この世界で無価値だ」ということを意味します。
そしてそれは「神のコード」を認識せずとも、以前に説明したように、抑圧を解放することで解決できます。
死と再生を経ることで、本来の自分を取り戻せますからね。
すると「世界を変える『神の力』など必要はなく、抑圧を解放すればいいだけだったんだ」と分かって、道が見えるかもしれません。
ということで今日は、深層意識に入っても、「神のコード」なんてものは(たぶん)ない、というお話でした。
今日はここまで~。