今日も人間心理のお話です。

瞑想の価値は、性質によって変わる、というお話をしてみましょう。

 

「瞑想が素晴らしい!」という本

だいぶ昔ですが、「瞑想が素晴らしい!」と、瞑想を絶賛している本を読んだことがあるんですよ。

その本を読むと、「心が静かになって、まるでこの世の天国にでもいるかのような、心地よい時間が味わえる!」と感動で打ち震えていて。

だからその著者は、瞑想の仕方を教えつつ、「朝や食事後、時間を取って、確実に瞑想をやっている」とか、「こんな素晴らしいことをやらないなんて、ありえない!」という風に言っていたんですが。

 

で、私は好奇心を持ちやすいタイプなので、「へぇ、そんなにすごいのなら、やってみよう!」とするわけです。

瞑想の方法を学んで、座禅を組んだり、姿勢を正して、呼吸法をして、意識を集中させたりして。

 

瞑想の効果がいまいち分からない

だけどそれをしても、全然効果が実感できないんですよ。

確かに落ち着くぐらいはできるんですが、まったく「天国にいるかのような、心地よい時間」なんて得られなくて。

それで私は「うーん、私の何がダメなんだろう」と思って、それっきり忘れていたんですが。

 

でも最近ようやく分かったのが、私は瞑想なんて必要ないタイプだったんですよね。

そしてその著者は、瞑想を必要としていたと。

 

つまり、「瞑想の価値は、性質によって変わる」ということです。

これが分かると、瞑想の本質を理解できて、瞑想だけでなく「この心理トレーニングは自分に必要なのか」を再検討できるかと思います。

 

4つの性質分類

じゃあなぜその著者は瞑想を必要として、私は瞑想を必要としなかったのか、ということです。

それを説明するために、今回もいつもの4つの性質分類(外向型と、3つの内向型タイプ)を使いましょう。

↑ ちょびっとだけアップデートしました。(高共感、低共感の解説部分に、「未来の安全重視」と「現在の欲求重視」解説を追加)

 

「そわそわした性質」と「落ち着いた性質」を作るもの

で、今回は共感性(上下の軸)を使います。

  • 低共感側(外向型、境地開拓タイプ): 本能の声が意識に出やすいので、雑念が生まれやすい。だから頭の中で常にいろんな欲求の声がうるさいし、そわそわした行動になりやすい。
  • 高共感側(高共感タイプ、HSPタイプ): 本能の声は耳を澄ませないと聞こえないので、雑念が出にくい。だから落ち着いた性質になる。

 

ほら、よく「そわそわした性質」、「落ち着いた性質」みたいなことを言うじゃないですか。

あれは言い換えると、「本能の声がすぐに意識上に出てくるか」を意味します。

だから低共感な人ほどそわそわしやすくて、高共感な人ほど落ち着いた性質になると。

以前に説明した、「ネガティブになって、無意識を意識しやすいかどうか」という仮説は、ちょっとここでは忘れてください。ここでは「無意識」ではなく「本能(身体的欲求)」のことを指します)

 

低共感側は、本能の声が意識に出やすい

そして低共感側は、本能(身体的欲求)の声がすぐに意識に出てきます

「お腹すいたな」とか、「あの先生、授業が退屈だな」、「あれをしたいな」、「これをしたくないな」みたいに、普段から欲求の声が出てくる状態なんですよ。

だから低共感側になるほど本能的に行動できたり、そわそわしやすい性質になると。

 

ですがそれは裏を返すと、「常に頭の中が、いろんな雑念でうるさい」と言えます。

実際にアスペルガー症候群(境地開拓タイプで、限りなく低共感な性質)の人って、「頭の中はいつも、複数人が大声でわめき合っているかのようにうるさい」という状態のようで。

そしてそういう「頭の中が騒々しい」という状態が、朝から晩まで続くのが「当たり前の日常」なようです。

 

すると、そういう人たちにとっては「瞑想」というのは、驚くほど価値のあるものだと分かります。

だって、そういう「朝から晩までわめく複数人の声」が消えるんですから。

だからそれだけで、心地よい時間を味わえると分かります。

 

高共感側は、耳を澄ませないと本能の声を聞き取れない

一方で高共感側は、耳を澄ませないと本能の声を聞き取れません

というのも、高共感側は、共感性を持っているからですね。

 

共感性を作る統合失調機能は、言うなれば「イメージが今の気分を上書きする機能」です。

つまり、「今が落ち着いたイメージでいられるなら、今の小さな気分変動(雑念)を消し去れる」ことを意味します。

もしくは、「統合失調機能が、落ち着きを作っている」とも言えます。

統合失調機能は「イメージ次第で気分が左右される」という欠点にもなりえますが、裏を返すと「うまく心地よいイメージを保てれば、表面的な雑念を消せる」とできるわけですね。

 

だから高共感側の人は、「あなたって、落ち着いた性格ね」と言われやすいわけです。

まぁ裏を返すと、「耳を澄ませないと、本能の声を聞き取りにくい」とも言えますが、それは利点にもなると。

 

もちろん高共感な人でも、余裕がない人の場合はそわそわしたり、幼い頃から強迫観念を持たされた場合、恐怖に支配されやすいかもしれません。

その場合、深層意識に降りて抑圧を解放することで、無駄な学習を手放せます。

そうして統合失調機能をうまくコントロールすることで、落ち着いたイメージを作れて、雑念を消せるタイプだと分かります。

 

普段から瞑想状態に入っているようなもの

すると、高共感側の人で、落ち着いたイメージを持てる人ほど、普段から瞑想状態に入っているようなものなんですよ。

瞑想状態って、シンプルに言うと「無我の境地に入ること」です。

 

なら、好きな制作や作業をしていると、結構すーっと無我の境地に入れたりするでしょ。

例えば私の場合、ブログを書いたり制作をしたり、海辺を歩くだけでも無我の境地に入れます。

それだけでなく、例えばウォーキングをしていても、山からぼーっと景色を眺めていても、食事をしていても、雑念が消えて、無我の境地に入っていることは多いんですよ。

 

だから高共感側の私たちにとっては、瞑想を日常的にできている、と言えます。

だから冒頭で触れたように、私が「瞑想をしよう」としても、全然「まるで天国にいるかのような、心地よい時間」が味わえなかったと。

それは当然で、日常的に瞑想状態に入っているから、特に変化を感じられなくて当たり前だったわけです。

 

「普段の感覚」が違っていた

一方で冒頭で説明した「瞑想を絶賛する本」の場合、著者は境地開拓タイプ、すなわち低共感側の人でした。

だから瞑想をすると「朝から晩まで続く、頭の中のうるさい声」が消えて、「まるで天国にいるかのような、心地よい時間」を味わえたわけです。

その差は、「普段の感覚」が違っていたからだということです。

 

いや、もちろん、「低共感で統合失調機能を使えないのに、呼吸法とか身体の使い方だけで、脳内の雑音を消す」というのは、とんでもない工夫だと言えます。

それは純粋に、すごいことでしょう。

ですが統合失調機能を持つ人は、統合失調機能で楽に落ち着けるので、わざわざそれをする必要はない、ということです。

 

高共感タイプとHSPタイプの「瞑想スタイル」

そして同じ高共感側でも、高共感タイプとHSPタイプで、瞑想をするスタイルが変わります

 

高共感タイプは「工夫ができないけど、盲信できる」という性質があります。

だから高共感タイプの人ほど、例えばヨガのように「形から入ること」が重要で、そうすることでイメージを作りやすくなります

また、そのイメージを「みんなが評価しているから、きっといいものだ」と疑うことなく盲信できるので、体系立てられた方法論の方が、イメージしやすいと分かります。

 

一方で同じ高共感側でも、HSPタイプは「疑り深いけれども、工夫ができる」という性質があります。

なら、HSPタイプは別に「形から入ること」をしなくても、普段の生活で瞑想を作れるものです。

 

例えばウォーキングやサイクリングをしていても、自然と心地よい呼吸をできたり、ペースを調整できたり。

それだけでなく、制作、料理、掃除や片付けでも、瞑想状態を作りやすいように思います。

 

また、HSPタイプほど「刺激に鋭く、疲れやすい」という性質を持ちます。

なのでHSPタイプほど、「刺激から癒やされるために、普段から瞑想(心の平穏)を多く欲しているし、実際に日常の活動で瞑想をできる」とも言えます。

実際にそういう刺激に鋭い人ほど、「いい眺めの場所で、ぼーっと静かに落ち着くのが好き」という人が多いんじゃないかと思います。

 

まとめ

この性質の差が分かると、性質によって「瞑想」に対する価値が変わると分かります。

 

実際に自閉症(極端に低共感なタイプ)の人ほど、常にそわそわしているものです。

で、自閉症でも工夫ができないタイプの人は、そわそわしたままで一生を終えます。

ですが自閉症でも、工夫ができる側(境地開拓タイプ)の人は、工夫をして瞑想をすることで、「まるで天国にいるかのような、心地よい時間」を味わえると。

それが、境地開拓タイプが精神性(高共感な人)にあこがれるきっかけになるのかもしれません。

 

一方で高共感側は、統合失調機能があるからこそ、雑念をイメージで上書きできるので、普段から落ち着いていられます。

なので、瞑想ではさして「びっくりするほどの変化」は得られません。

 

ただ、イメージ次第で精神的に落ち着けますからね。

だから高共感タイプはヨガのような「体系立てられた形」を好んで、HSPタイプは「自分なりの、無我の境地に入れる好きな活動」を好むように思います。

 

これが分かると、人間の「感じ方の違い」を理解できて、「別に特別にヨガや瞑想をしなくても、実質瞑想をしていたんだ」と分かるかもしれません。

 

ということで今日は、瞑想の価値は、性質によって変わる、というお話でした。

今日はここまで~。

この記事をシェア:
Share