今日はお休み日記です。

 

いやぁ、昨日の記事ぐらい長文を書くと、やはり書けることはあっても「今日はロジックはいいや」となっちゃうんですよね(笑

書いていてすっごい楽しいんですが、次の日にヘトヘトになってしまっていると。

 

「全体で見て比較する」というアプローチもある

ちなみに昨日の記事のように、「個別の宗教ではなく、宗教を全体で見て比較すること」を、比較宗教学と呼びます。

このブログを読んでいる人でも、「個別の宗教団体に属するつもりはないけど、宗教だとか心理学、人間の考え方そのものには興味がある」という人もいるかと思います。

そういう場合、特定の宗教に属するよりも、そういう「いろんな宗教を知る」というアプローチが楽しめるかと思います。

 

まぁ私の場合、「比較宗教学」という学問を学んだのではなく、実際にいろんな宗教に触れて回っただけなんですが(笑

単純に好奇心で見て触れて、楽しんでいたと。

 

でも、「へぇ、こういう発想もあるのか」と分かると、面白いですよね。

実際に、例えば「般若心経の色即是空(しきそくぜくう)という概念は、陰と陽の概念とほぼ同じ。切り口を変えただけ」とか発見すると、面白いものです。

それとか、宗教の宗派でも、向き不向きがあると。

だから、例えば日蓮宗は「仏教の教義や神髄を求める人」からはダメ宗派扱いされていますが、「葬式をうまくこなす」という点では強いわけです。

 

人間の性質と同じ

こういうのって、人間の性質と同じだと分かります。

「完全にダメな奴」がいるんじゃなくて、「何かに向いていて、別の何かに向いていない」というトレードオフがあるだけです。

 

なら、「ダメなもの、無価値なもの」にも、価値は生まれうると分かります。

すると、競争で「みんなが欲しがるもの」を奪い取るよりも、そういう「無価値だとされているもの」に目を向けて価値を作る方が、自分に合うタイプもいると分かります。

私の中では、そういうのもチャンスだし、可能性のようにも感じたりもします。

 

なのでそういう「ダメなもの」とか「ゴミやクズ」に目を向けて、「これは何に使えるだろう?」と考えてみるのも面白いかと思います。

自分の周りにあふれている、大量の「使い道がまだ分かっていないもの」に着目すると。

 

「常識を外す」思考をしてみよう

その場合、だいたい常識を外す思考になるんですよ。

で、「常識を外す」というのは、「これを喜んで使っている場や状況があるとすれば?」と、場や状況を変えてイメージすることかなと思います。

場や状況を変えると、違う前提条件で考えられますからね。

 

だから、常識を外せる人になると、「場や状況をどんどん変えればいい」とできるかと思います。

今の場や、今の状況に固執する必要はないんだと。

いろんな場や状況を知って、「へぇ、この場では、こういう状況では、こういうものが重視されているんだ」と分かると、それだけいろんな「使えるもの」が増えます。

 

例えば西洋では「タコは気持ち悪くて食べないもの」が常識ですが、日本では「たこ焼き万歳!」でしょ(笑

ある人には「みかんの皮はゴミ」でも、ある人にとっては「ジャムの原料だよ!」と喜んだり。

 

世の中や私たちの周囲には、そういう「タコやみかんの皮」が山のようにあるように思います。

そして、私たちの周囲で「ゴミやクズ」と呼ばれているものが、そういう「新たな可能性」になると。

 

価値観なんて、人それぞれ

で、こういう思考をしていると、「価値観なんて、人それぞれだ」と分かるんですよ。

だいたい世の中には、いろんな価値観、いろんな状況、いろんな目的があるんですから。

すると「無理をしてまで、その価値観で評価される必要はないな」、「自然にできることで、喜んでもらえればいい」と感じるようになります。

 

なら、いろんなゴミに目を向けて、「このゴミは何に使えるだろう?」と問いかけてみると、いろんな可能性が見えそうだと分かります。

そしてその中から一つでも価値を見つけられると、場合によっては一気に「豊かさ持ち」になれるかと思います。

ある意味、「世の中からゴミを減らして、有効活用できるようになる」ということですからね。

 

まとめ

そんな風に、いろんな世界を知ったり、いろんな可能性を考えてみると、希望が見えるかと思います。

そして社会の競争が苦手な場合でも、「ゴミやクズ」側にもチャンスがある、ということです。

 

ある意味、「ゴミやクズ」ではなく、「まだ有効な使い方が発見されていないもの」ということですね。

これは、「キラキラポジティブ系」が苦手なタイプほど、こういう「新たな使い方を発見すること」が合うように思います。

 

なら、例えば私たちの性質でも、「私のこの性質は、こういうことに使える」と発見できると、同質の人たちが大いに喜ぶと分かります。

それは、自分の価値と意味を知ることが、多くの仲間の価値と意味を作ることになるからで。

 

ならば、それは一生をかけてでも見つけてゆく価値がある、素晴らしいものじゃないかな、と思ったりもします。

実際に、いろんな身近なものを有効活用できるようになると、面白いでしょ。

 

すると楽しく常識を外せて、可能性を見つけてゆけるかもしれません。

 

ということで今日は、お休み日記でした。

今日はここまで~。

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