今日は精神的なお話です。

幸せを実感できるものは、意外と素朴なものばかりだったりするんですよね、というお話です。

 

アメリカで成功した人が、実感する幸せ

とあるところで、ちょっとしたツイートを見かけたんですよ。

それは、日本からアメリカに移住して、それなりにビジネスで成功できた人が、「何に幸せを感じるか」というものでした。

で、その人にとっての「最高の贅沢、幸せを実感できるもの」が、「毎日、日本食を味わうこと」だったと(笑

別に豪華な京懐石とかではなく、普通の日本米に、味噌汁とか豆腐、納豆、おひたしみたいな、シンプルなものばかりで。

 

こういうことって、よくあるように思います。

すなわち、「幸せを実感できるものは、意外と素朴なものばかりだったりする」ということですね。

 

自分にとって、どういう時間が好きなのか

実際に、「自分にとって、どういう時間が好きなのかな」と考えてみるのもいいかと思います。

「こういう時間に、幸せを味わえる」とか、「しんどかったけど、意外といい時間だったな」と思えた過去とか、そういうものですね。

 

例えば私にとって、ほっとした幸せを実感できる瞬間ってのは、「海をゆったり眺めている瞬間」とか、「好きな食事をゆったり味わう時間」、「昼寝をする時間」みたいなものがあるかもしれません。

それとか、楽しみで言うと、「熱中して何かを研究していたり、作っている瞬間」、「現状を打破しようと、目指す方向に進んでいる日々」だったり。

もちろん、その根底には「いつでも生きていけるという、最低限の安心」があるかもしれません。

 

私にとっては、成功、失敗は付随的なものでしかない

私にとっては、そういう生き方ができれば、「成功か失敗か」みたいな結果は、付随的なものでしかなかったりします

もちろん、最終的にうまくいく方が嬉しいものですが(笑

でも、失敗したものでも、「意外と面白かった」というものは結構あるんですよね。

「やりたかったことだから、やれてよかった」みたいな。

 

私の場合、本当にやり続けたいことなら、どうにかして続けようとしますからね。

なので、撤退した時点で、「満足した。自分には合わなくなったか、そのステップから卒業した」ということを意味するかなと思ってます。

 

どんどん撤退、卒業すればいい

で、そういう風に、どんどん撤退なり卒業なりすればいいと思うんですよ。

例えば学校でも、「小学校や中学校に居続ける方が素晴らしい」とは言い切れませんよね。

それが面白いのなら居続けてもいいんでしょうが、「入って、経験して、卒業してゆく」でもいいかなと。

 

だからといって、小学校や中学校に入って経験したことが無意味だったかというと、そうではありません。

成果とか結果、成功とか失敗を超えて、「経験したこと、身につけたこと、感じたこと」にも価値があるように感じます。

 

だから、「熱中できることとか、目指したいことをして、満足して、卒業してゆく」を繰り返すのでもいいように感じます。

そのひとつひとつが私たちの血肉になって、未来を作ってゆくんですから。

 

裏を返すと、私の中では、「結果が出たものがいい」、「結果が出なかったものは悪い」というわけではなかったりします。

実際に、「過去に売れた作品だけど、今見ると黒歴史」みたいな作品はありますからね(笑

それとか、「しんどくて、もがいていた毎日だけど、後で振り返ってみると、意外と充実していた」ということも多くあって。

 

「大成功」をどうとらえるのか

そういうのを考えると、私の中では、「自分の意思で動けるかどうか」という要素が、幸せをもたらしてくれるように感じます。

そしてそれは、「高価なもの」というよりも、「素朴なもの」と言えるように感じます。

 

ある意味、「大成功」をどうとらえるのか、ということですよね。

それが、「大勢から認められること」とか、「嫌な人、一緒にいたくもない人から認められること」みたい、他者の価値観を主体とするのか。

それとも、「自分の好きに動きたい」という、自分の価値観を主体とするのか。

私は自由が好きなので、「後者がいいな」と思っていたりします。

 

なら、私のような生き方の場合、「大成功」とは「できるだけ多く、自分の価値観で判断できる状態」になると分かります。

そういう判断基準もあるかなと。

 

まとめ

そういう風に、自分にとってどういうものが幸せをもたらすのか、突き詰めて考えてみるのもよさそうに思います。

私の場合、自由に動けることだったり、自然を味わえることだったり、熱中できることだったりと、意外と素朴なものが多くて。

ある意味、そういうものは、「きらびやかに大成功しなくても、得られるもの」なわけです。

 

私たちはよく「みんなが認めるもの」を追いかけますが、そうでない部分にも、幸せをもたらしてくれるものが多くあるように感じます。

なら、そういうものって、「競争になりにくいので、簡単に幸せを得られる」ということで、費用対効果が抜群になりやすくて。

そういう「まずは身近な素材を工夫して、豊かさを作ってゆく」という発想ができると、効果的に豊かさや幸せを作れそうに感じます。

裏を返すと、自分の個性とかを排除して、「みんなが認めるもの」を追いかけるほど、難しいし、競争になるし、時間もかかるしで、しんどいだけになるかもしれないな、と思ったりもします。

 

ということで今日は、幸せを実感できるものは、意外と素朴なものばかりだったりするんですよね、というお話でした。

今日はここまで~。

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