今日は生き方のお話です。
お金持ちのライフスタイルなんてあやふやなので、自分のスタイルで行けばいい、というお話です。
次回作本の仕上げに集中したいので、しばらくは短め記事が続くかと思います。
アメリカのお金持ちにも、いろんな価値観がある
興味深い記事があったので、ご紹介。
「20年落ちのボルボを修理しながら乗る」アメリカの本物の富裕層が驚くほど質素に暮らすワケ(President Online)
記事の内容は、「アメリカのお金持ちでも、いろんな価値観の人がいる」ということです。
一代で富を築いた「セルフメイド」と、何世代にもわたって富を受け継いでいる「オールドマネー」とでは、結構価値観が違うようで。
お金持ちのライフスタイルなんて、あやふや
で、「イメージ通りのお金持ち」は、高級ブランドを比較したり、相手の衣服で値踏みをしたりするとか。
一方で、筆者が体験したオールドマネーのお金持ちは、すごい資産を持っているのに、見せびらかすようなことはしないわけです。
そして意外と質素だったり、車とかプロペラ機は自分で運転したり、「穴の空いたセーターを着ている」みたいなこともあって。
こういうのを知ると、「お金持ちのライフスタイルなんて、あやふやだよね」と分かりますよね。
すると、結局は「自分なりのスタイルでいいやん」と思ったりもします。
いろんなスタイルの「豊かさ」
私たちはよく、「お金持ちのように見られたい」、「成功者だと扱われたい」とか思うじゃないですか。
だから、高級ブランドを身につけたり、高級そうに見えるように着飾ったりするんですが。
でも、その「お金持ち」にも、いろんな価値観があって、いろんなスタイルがあるんですよね。
「高級レストランで食べる方がいい」という人もいれば、「自宅でホームパーティーをする方がいい」みたいな人もいたり。
「豪邸に住むのがいい」という人もいれば、「小さめの家で、家族の顔がよく見える方がいい」みたいな人もいたり。
「高級な服がいい」もあれあれば、「機能的で、なおかつ安ければいい」もあると。
それに、「お金持ち」に限らず、例えば「自由持ち」みたいな豊かさもあるでしょう。
その場合、昔は「スマートフォンは豊かな人が持つものだ」という常識だったのが、今は「スマートフォンを持たずに平穏に暮らせるのが、自由の証だ」みたいな価値観もあったり。
「メールやメッセージをすぐに返信するのが、優れた人だ」という常識が、今では「無駄なSNSはしないのが、優れた人だ」という風になっていたり。
「南国の浜辺で何もせずに暮らすのが幸せ」という常識が、今では「熱中できることを持つ人が幸せ」となっていたり。
豊かさは「自分の価値観と、それに対する満足度」で決まる
じゃあ結局、豊かさは「自分の価値観と、それに対する満足度」で決まるように思います。
「自分は何を大切にするのか」を知って、それを満たせれば、十分に豊かじゃないかな、ということですね。
裏を返すと、「自分が何を大切にするのか分からずに、氾濫する情報や価値に触れると、価値観におぼれる」とも言えるでしょう。
例えば今は、情報がぐっと安くなって、氾濫している状態じゃないですか。
SNSでは、ほぼ無料で、いろんな面白情報とか、怒りや劣等感を刺激する情報があふれているわけで。
それは自分にとって、どれぐらい大切なのか
じゃあ「そういう情報は、自分の価値観にとって、どれぐらい大切なの?」ということですよね。
もし「私はこういう価値観で、こうして生きたい」というものがあれば、必要なだけ情報を得られます。
でも、もしそういうのがなければ、延々とSNSで猫画像や面白情報に触れて、自分が何をしたいのかも分からずに、何十年という人生の時間を費やしてしまうと。
こういう場合、やはり自分の内面に向き合える人は、強いですよね。
SNSで氾濫している情報に触れている場合、「いったい自分は何が欲しいのか」と考えてみるわけです。
すると、例えば猫画像や動物画像を見ている場合、「あぁ、自分は癒やしが欲しかっただけなんだ」と分かって、仕事量を減らせるかもしれません。
なら、そういう猫画像や動物画像を必要としなくなって、より自分にとって大切なことに向き合えるように感じます。
まとめ
そんな風に、「自分にとっては、こういうライフスタイルが豊かさだ」というもので判断するのでいいように感じます。
「お金持ちや自由持ちはどうしているか」なんて、さして関係ないかなと。
「お金持ち」や「自由持ち」でも、いろんな層がいますからね。
すると、「自分なりのライフスタイルを作ろう」とできて、工夫をして心地よさを作ってゆけるかもしれません。
ということで今日は、お金持ちのライフスタイルなんてあやふやなので、自分のスタイルで行けばいい、というお話でした。
今日はここまで~。