今日は精神的なお話です。

「少し余分に歩くだけで、一気に楽になる」、というお話です。

 

満員電車の思い出話

私が会社勤め時代をしていて横浜に住んでいた頃、一時期通勤で満員電車に乗らざるを得なかったんですよ。

ほら、テレビでよく、満員電車で人々がドアに押しつけられているような映像が出ますよね。

ずっと田舎に住んでいた私から見ると、あれはもはや「人間がもののように、詰め込んで輸送されているな」と感じたりしていました。

世の中には、青い空と青い海が目の前にあって、のんびりと生きている人も多くいる中で、テレビに映されるあの光景は異様としか思えなくて。

「奴隷になるとあんな風に、もののように輸送されるのかな」と、空恐ろしく思ったりしたんですが。

 

で、「あんな風にもの扱いされるのは、嫌だなぁ」とか思っていたら、私がそこに乗らなきゃいけなくなったわけです。

しかも、東海道線の横浜-川崎間という乗車率がすごい区間を含んでいたので、その区間はまさにすし詰め状態で。

会社勤めは嫌でしたが、満員電車はもっと嫌だったわけです。

 

でも実は、ちょっとの労力だけで、私はそんな満員電車の中でもすし詰めになることなく、肩が人と触れることもなく、ずっと快適にいることができました

しかも、1~2週間に1度は座れることもあったりして。

で、そのコツを用いることで、最終的に満員電車に乗らなくてもいいような自由と豊かさを手に入れることができました。

 

「少し余分に歩く」というコツで、快適さを得る

なぜそんなことができたのかというと、それが「少し余分に歩いた」ということですね。

一番先頭、もしくは一番最後の車両って、やっぱり比較的人が少ないんですよ。

その距離を「ウォーキングだ」と思って歩けば、それだけで変わります。

で、車両の中でも出入り口付近はすし詰めなんですが、車両中央の方は信じられないほどがらがらなんですよ。

なので、車両に乗った直後に、ぐっと中心まで歩くことですね。

 

すると、激混みな状態でも、体が密着することもなく、エアコンもそこそこ効く状態で心地よくいられると。

その「ちょっとした余分の労力」が、一気に居心地の良さを作り出すんですよね。

満員電車を我慢する忍耐力がなくても、満員電車をやり過ごせると。

 

で、私は出入り口付近ですし詰めになっている人たちを眺めながら、「みんなももう少し歩けば、その労力以上に、ずっと快適でいられるのに」と思っていたんですよね。

 

どんなところでも、「余分に歩く」方が強い

実はこういう感覚を得ることは、結構あったりします。

スーパーの駐車場でも、みんなやたら出入り口付近に車を止めますよね。

でも、少し離れただけで、ガラガラなんですよ。

その歩く距離なんて、スーパーの中で歩く距離に比べたら、ないも同然ぐらいの距離なのに。

 

なら、少し余分に歩けば、空いているスペースを血まなこになって探す必要もありませんし、駐車が下手でもすんなり入れられます。

ドアも余裕を持って開けられて、狭苦しい思いをする必要もないんですよね。

 

それとか花見でも、一番桜の木々が派手な場所にみんな密集するんですよね。

で、トイレでは行列をなしていると。

でも、少し離れた場所に歩くだけで、ほとんど誰もいないんですよ。

その歩く距離はトイレで1回行列に並ぶのと同じ程度なのに、そして多少派手さは落ちても、花もきれいに見られる場所なのに、ですよ。

 

なら、少し余分に歩きさえすれば、場所取り競争も必要なくなって、場所取り能力がなくても、落ち着いた場所で花見ができます。

だってそこには、ほとんど誰もいないんですから、場所なんて取り放題なんですから。

 

豊かさを実現する戦略:「少し余分に歩く」

実はこれは、生き方でも同じだったりします。

「もう少し余分に歩くだけで、すっごい快適でいられるのに、みんなどうしてそこにこだわるんだろう?」みたいに思うんですよ。

そしてこれが、私がこのブログで伝えたい豊かさを実現する戦略でもあります。

 

私は夏休みの宿題を先に済ませておいて、後顧の憂いなく遊びほうける人でしたが、お金や生き方についても同じです。

先に少しだけ余分な距離を歩いて、「手軽で派手な場所」から「少し奥だけど、落ち着いてゆったりできる場所」に移るわけです。

すると、歩いた距離なんて比にならないほどの、快適な状態で生きられるようになります。

 

資産額が多い人ほど、長期的に考える

よく言われることですが、資産額が多い人ほど、長期的に考える傾向にあります。

例えば日雇いの人は、「1日働いた分、1日で得る」と時給や日給で考えて、これが一番リターンが乏しいわけです。

サラリーマンになると、月給や年俸、年収で考えるので、少し増えます。

そしてビジネスオーナーや投資家は、「これだけの仕組みを作って、5年とか10年かけてリターンを得る」と考えます。

 

で、日雇いは年間数百万という稼ぎになる一方で、ビジネスオーナーや投資家は、何億とか何十億と稼ぐわけです。

何が違うのかというと、目先のお金を我慢できるからですね。

 

日雇いは目先のお金を絶対として、それを手放すことは絶対にしません。

でも、ビジネスオーナーや投資家は、1年とか2年ほどリターンがない状態(投資している状態)があるのは当たり前です。

人生単位で言うと、10年単位での投資も当然のようにあります。

 

もし目先のお金が得られなかったり、十分な報酬が得られなかったとしても、怒ることはありません。

それは「いい学びになった。次からここはやめておこう」と、自分へのフィードバックにします。

そして、5年とか10年で最も収益性が高い部分に、労力を集中投下します。

すなわち、満員電車の目先は手放して、少し歩いて車両の中心部に入ることで、目的地までの安らぎを確保するわけですね。

 

「少し歩く距離」と「心地よさ」の関係

で、ほとんどの場合、その「少し歩く距離」の労力に比べると、「心地よさ」は飛躍的に高いものなんですよ。

言い換えると、「歩く価値はきわめて高い」ということです。

 

例えばビジネスオーナーや投資家は、日雇いの人の500倍の収入や資産を持っているとしましょうか。

なら、彼らビジネスオーナーや投資家は、日雇いの500倍の時間を働いたのかというと、そうではありません。

むしろ、作業量ではビジネスオーナーや投資家の方が、一番軽い作業量負担でしょう。

ビジネスオーナーや投資家は、ただ単純に「最初に少し余分に歩いた」程度でしかありません

でもその違いが、満員電車ですし詰めになるか、リゾート地でバカンス気分で遊びながら生きるのかを変えるわけですね。

 

だから、「お先にどうぞ」をするといい

だから、私はよく「お先にどうぞ的な生き方がいいですよ」とか、「目先の得を手放せば、長期的な利益が見えるようになりますよ」と言っているわけです。

それは、満員電車の入り口付近とか、花見の一番華やかな部分を手放して、少しだけ余分に歩くことで、実はもっといい場所があると気づけるからですね。

誰もが賞賛するような「メジャーで短期間で大ブレイクする」を手放して、少しだけ余分に歩くことで、実はもっといい自分なりのポジショニングがあると分かります。

 

で、競争で勝ち抜く能力がなくても、特に優れた能力がなかったとしても、全く問題ありません。

むしろ、満員電車や花見で場所を取り合っている人の方が、能力的には高いでしょう。

 

そして、ゴミゴミした競争の中で生きるよりも、はるかに心地よくて、快適に人生を楽しめます。

花見と同じで、落ち着いた場所で、「花がきれいだね。こんなにすてきな場所が見つかるなんて、運がいいね」と言いながら、楽しんで生きられます。

で、そういう場所にいる他の花見客も、たいてい運がいい人です。

豊かさが多くあるので奪い合うこともなく、マナーもしっかりしていて、気配りをし合って豊かさを分かち合えます。

 

まとめ

だから、豊かに生きたい場合、「少しだけ余分に歩く」ということを考えるといいかと思います。

そのためにも、目先の得とか、一番いい場所を手放すわけですね。

満員電車では、出入り口付近で「一番乗り降りしやすい場所」を手放すと。

花見では、「一番派手な木々がある、人気な場所」を手放すと。

仕事では、「一番賞賛される、人気な地位」を手放すと。

 

すると、意外なところに穴場を見つけることができて、「こんなに楽に、気持ちよく過ごせる場所があったんだ。運がいいね」と言えるようになります。

競争に勝たなくても、能力がなくても、場所は取り放題です。

 

私はそうやって、満員電車の中から「少しだけ余分に歩く」をすることで、少しずつ豊かな場所に移ってきた、ということです。

そして、大好きなことだけをして、24時間遊んで生きられる状態を得られたと。

これが、奴隷状態から抜け出して、大好きなことをして自由に楽しく生きるためのコツなんじゃないかな、とも思います。

 

ということで、今日は「少し余分に歩くだけで、一気に楽になる」、というお話をしてみました。

今日はここまで~。

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