今日も精神的なお話です。
「納得できる形にできれば、嫌なことはなくせる」、というお話です。
嫌なことに、どう折り合いをつけるのか
嫌なこととか、やりたくないことってありますよね。
まぁ私の場合、やりたくないならやらない方向に動くわけですが。
でも、今すぐにそれをやめようとしても、現実を考えるとなかなかできないものです。
例えば私の場合、ゲーム制作では十分な稼ぎが得られなかったので、会社勤めをしなければならなかったんですよ。
でも、収益が立っていない状態で「じゃあ会社やめます」って、なかなかできないものですよね。
なら、そういう場合にどう精神的に折り合いをつければいいのか、というお話です。
そこで、「納得する形にする」ということをおすすめしておきます。
これで、嫌なことをなくすことができるんですよ。
「嫌なこと」の本質は「納得できないことをすること」
実のところ、「嫌なこと」の本質は、「不本意なことをすること」とか「納得できないことをすること」なんですよね。
例えば、私たちの目の前に腹を空かせたライオンが出てきたとしたら、一目散に走って逃げますよね。
普通に考えれば、走って逃げるのは体力を使うし、しんどいわけです。
でも、そこで「走るのが嫌だ」なーんて思う人はいませんよね(笑
それは、「走ること」にちゃんとした意味や意義を見いだしていて、納得できているからなんですよ。
「走れば、生き延びられる」というメリットは、強烈な意味を持つからですからね。
だから、しんどいことでも「嫌だ」と感じることなく、むしろ必死だったり、集中してできるわけです。
なら、嫌なことでも納得できる形にすれば、「嫌なこと」はなくなると分かります。
私が会社勤め時代だったり、嫌な環境にいざるを得なかった場合、よくこう考えてました。
「今は力がなくて表向きは従うけど、いつかここから出て行ってやる」
……みたいな。
こう考えることで、自分の内側にあるエネルギーを失うことなく、むしろエネルギーを強化できます。
自分軸を失わなければ、表面的に負けても、折れてもいい
私は、負けても、折れてもいいと思うんですよ。
自分軸さえ失わなければいいと。
本当の敗北というのは、「私には自分らしく生きることができない」と、自分軸(自分の欲求に対する素直な意思)を失ってしまうことじゃないかと思います。
それさえ分かっていれば、表面的な負けとか、相手の意見に屈服することは、恥でも失敗でもないと分かります。
なら、少なくとも「自分」を保つことはできます。
自分を失いさえしなければ、大丈夫ですよと。
挑戦して失敗しても、自分さえ失わなければ大丈夫です。
むしろ、「どうせ自分は」とか、「所詮自分は」という言葉が危険だと分かります。
それは、自分を失ってしまう言葉だからですね。
そういう風に生きてしまうと、次第に自分が誰だか分からなくなっていって、したいことが分からなくなったり、自分探しの旅をし始めてしまうことになります。
まとめ
なので、嫌なことでもしなければならない場合、「納得できる形にする」ということをおすすめします。
すると、自分を見失うことも、エネルギーを失うこともなくなります。
むしろ、自分軸が強化されて、エネルギーも出てきます。
こうすることで、厳しい環境でも前向きに、エネルギーあふれる状態で生きられるんじゃないかな、と思います。
自分軸と、希望を持ち続けることですね。
ということで、今日は「納得できる形にできれば、嫌なことはなくせる」、というお話でした。
今日はここまで~。