今日は気力がないので、ちょっとした雑記程度で。

アリとキリギリスのお話は、やはり雇われ側の発想だな、と感じた雑記です。

 

「アリとキリギリス」のお話をどうとらえるか

「アリとキリギリス」のお話って、ありますよね。

あれは怠けていたキリギリスが滅んで、コツコツ積み立てていたアリが生き残る、というお話なんですが。

 

私は人生を考えたり、長期目線で考えるのが好きなので、こういうお話を見るとやはり「本質がずれているな」と感じたりもします。

言うなれば、あれは「安定した時代で、人に指示されて動く側の人が生き残るための考え方」かなと。

裏を返すと、激動の時代、もしくは自分から動く側の人には、通用しない発想のように感じます。

 

「生き残るために大切なこと」とは何か

私の中では、「生き残るためには、状況と自分の個性を見て、そこから手段を判断しましょう」という発想が好きだったりします。

例えば激動の時代には、変化をとらえてその流れに乗るのがいいですよね。

すると、さしたる苦もなく、ぐっと勢いに乗れて豊かになれると。

逆に安定した時代では、コツコツと積み立てたり、競争に打ち勝つ方が豊かになれます。

 

そして、自分がどういう個性を持つのかにも影響されます。

工夫が苦手な人は、コツコツと我慢して積み上げる方が、競争力を得られて競争に打ち勝てるでしょう。

でも、工夫ができる人ほど、我慢よりも工夫で独自のものを作る方が、新たな価値を作れて豊かになれます。

 

「大多数への教え」に逆行する勇気

だから、「生き残るためには、状況と自分の個性を見て、そこから手段を判断しましょう」ということですね。

教えというのは、多くの場合で「少数派には当てはまらないけど、多数派には当てはまる」というものです。

なら、個性のある人ほど、そういう「大多数への教え」に逆行する勇気を持つことが大切かなと思います。

 

で、今は激動の時代なので、工夫ができる人ほど豊かになれます。

すなわち、格差が拡大する時代というのは、単純に「時代の流れを読めて、要所を理解できて、工夫ができる人ほど豊かになる」ということです。

逆に、時代の流れが分からずに、要所も見えずに、工夫ができない人ほど、過度の競争にさらされて、落ちてゆくと。

私からすると、そこが本質かなと思ったりもします。

 

工夫ができない人ほど「手段」に固執する

実のところ、工夫ができない人ほど「手段」に固執するように感じます。

「この手法さえ実践していれば、すべてがうまくいく」というスタイルですね。

 

ならなぜ手段に固執する(=工夫ができない)のかというと、工夫って「状況と要所」が理解できないと、できないものだからです。

例えば以前も少し触れましたが、食料で豚の脂身が大量に残ったとしましょうか。

でも、豚の脂身だけではとうてい食べることなどできなくて。

 

そういう場合、例えば「豚の脂身の他に、パンもある」と状況が分かると、「パンに挟めば、おいしくなりそう」と推測できます。

というのも、「パンにバターを塗る」のと同じ原理で、「炭水化物+油」っておいしいからですね。

バター単体では油できつくても、パンに塗れば穏やかになって、おいしくなると。

すると、「豚の脂身が残れば、パンに挟んだり、味付けしておにぎりの具として組み合わせるのもよさそう」と理解できます。

これが工夫ですよね。

 

「他の成功例」を応用する発想

こういう発想ができると、豚の脂身でなくとも、「自分の手元にあるもの」でも、いろいろ応用できると分かります。

そして、「他の成功例」を、うまく自分の個性や状況に合わせて、応用できるわけですね。

 

でも、こういう応用ができない人ほど、「手法を大量に持つ」という考え方になってしまいます。

例えば料理でも、「この料理は、こういうレシピだ」と、レシピを大量に暗記するようなものです。

 

一方で工夫ができる人は、「こういう系の材料は、これぐらいの比率でこういう系と組み合わせれば、なんとかなる」という発想です。

なら、工夫ができる人ほど、激動の時代でどんなに材料が変化しても、おいしい料理を作れそうですよね。

膨大なレシピを覚える必要はなくて、いくつかの代表的なレシピと、その原理を理解しているだけで十分なんですから。

 

状況と要所をきっちりと押さえているか

アリとキリギリスのお話も、同じです。

「コツコツと食料をためる」というのは、一つの手段でしかないわけです。

状況と要所が見えていませんよね。

 

大切な部分は何かというと、「今がどういう状況で、その要所をきっちりと押さえているか」だろうと思います。

その広い視野の戦略が大切なんだと。

で、「近いうちに冬が来て、食料がなくなる。今なら貯蔵できる」という場合では、ちゃんと貯蔵しておけばよくて。

でも、「次は湿度の高い夏が来る。湿気でカビが来るから、貯蔵しても意味がない。それよりも、身軽になって、その時々の収穫をうまく見抜いて、変化に対応する方がいい」という場合では、貯蔵は無意味です。

こういう発想がないと、手段に固執してしまって苦しみやすいだろうな、と感じたりもします。

 

まとめ

そういう風に、アリとキリギリスのお話をとらえると、納得しやすくなるかもしれません。

あれは、安定した時代で、雇われ側にのみ通用する話かなと。

 

そして我慢が苦しいタイプの人ほど、そういう時代の流れとか、状況を見抜く目を持つように思います。

すると、今のような時代は我慢せずとも、うまくいきやすくなるかなと思ったりもします。

 

ということで今日は、アリとキリギリスのお話は、やはり雇われ側の発想だな、と感じた雑記でした。

今日はここまで~。

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