今日はどうでもいい日記です。
学校の読書感想文のコツについての日記です。
読書感想文のコツ
ちょっとしたツイートがあったので、ご紹介。
私、読書感想文で幾度となく賞を貰い、新聞に掲載されたこともある人間なんですが、読書感想文に向いてるのは「隙あらば自分語り」をする人間ですね…本のことは1行引用するくらいで、あとは自分のことを書いてると、なぜか褒められる。
— うしゅさん@筋トレ始めました (@moiaia) May 21, 2021
これ、まさにあると思うんですよ。
すなわち、「感想を書かない方が、点数を得られた」ということですね。
私の経験を語ってみたり
実は私も似たような経験があって、私は高2ぐらいまでは、読書感想文ってすっごい苦手で、点数も低かったんですよ。
でも、高2のあるときに、「もう読書感想文の点数はいいや」ってことで、本の内容もさして読まずに、前書きの文章だけから文章を書いたわけです。
で、その前書きに生と死について書いてあったので、本の内容まったく無視で、私なりに生と死について原稿用紙5枚か10枚かを殴り書きしたと。
すると、信じられないほどの高得点でしたから(笑
いやもう、ほんとツッコミを入れたくなりましたからね。
「本の内容はどうでもいいんかい!」みたいな(笑
しかも感想文の内容も、私の中にある思想を殴り書きしたような、荒っぽいものでしかなくて。
全然クオリティも何もないのに、それが高得点になっちゃったわけです。
きっとあれって、「本を読んだ感想を書きなさい」というのが、枷(かせ)というか、困惑させるしがらみだと思うんですよ。
感想って、なんだか「本の内容に沿って、本を完全に理解したという証明を、文章として示しなさい」って言っているように感じますよね。
だいたい国語の授業やテストだって、「このキャラはどう感じているか」、「これはどういう状況か」みたいな、理解度を求めているものばかりで。
その上、「本を読みきる」というのも、課題の一つで。
だから、あらすじを書いたり、「私は本を最後まで読みましたし、理解していますよ」みたいなアピールをしなきゃいけない、と思い込んでいるように感じます。
「思い込みが、成果を阻害していること」ってありそう
実はこういう「思い込みがあることで、見当違いな労力を費やして、低得点になる」、「いっそ吹っ切れて低得点を受け入れると、本質が見えて、成果が出る」という現象は、人生でもよくあるように思います。
例えば「私は成功者のように見られなきゃいけない」とか、まさにそうだと思うんですよ。
「成功者のように見られなきゃ」と、取り繕ったり、有名な環境や会社に属そうとしたり、賞や評価を得ようとして、無駄な労力を費やしてしまうと。
その他にも、いろいろあるかと思います。
「正しく周囲の人の考え方を理解しなきゃいけない」、「周囲に波風を立ててはいけない」、「自分勝手に動いてはいけない」、「この環境から出てはいけない」、「我慢しなきゃいけない」みたいに。
でも、「もう成功者のように見られなくていいや」、「そういう高得点はなくていいや」と吹っ切れると、自分なりの行動ができて、収益とか感謝が得られた、みたいな。
そういう「高得点を得なきゃいけない、評価されなきゃいけない」というプレッシャーが、本質を見せなくしているようにも感じたりします。
まとめ
なので、「感想文を書きなさい」では、あらすじさえ分かれば本の内容まで読まなくてもいいし、感想なんて書かなくてもいいように感じます(笑
あれは「感想を書け」という名の、「何か自分なりの思いや価値観を書け」ということかなと。
それと同じように、世の中では「正しく理解しなさい」とか、「周囲と同じように理解して、行動しなさい」というのが標準ですが、そんな必要もないかなと。
「私はこういう価値観を持つ」だけ語っているだけでも、なんとかなるように感じます(笑
実際、アメリカとかヨーロッパでは「どう理解するか」よりも、「どう自分の価値観を表明するか」という方が大切ですからね。
そういう発想も、一つの本質かなと思ったりもします。
ということで今日は、学校の読書感想文のコツについて、つらつら語ってみました。
今日はここまで~。