今日は雑記です。

本当の危機の時には、逃げ遅れないようにしよう、というお話です。

 

本当の危機の時には、逃げ遅れないようにする

事件とか災害のニュースとか、もしくは災害映画とかを見ると、よく思うことがあるんですよ。

それが、「本当の危機の時には、逃げ遅れないようにしよう」ということですね。

 

映画とかなら、私たちは客観的にその世界を見ているので、「実際に非日常の大災害が起きている」と分かるものです。

だから、主人公や登場人物に「逃げて!」と言いたくなるじゃないですか。

 

でも現実では、私たちはどれが非日常で、どれが日常なのか、見極めることはだいぶ難しいですよね。

例えば台風とか大雨でも、その災害が日常レベルなのか、危機レベルなのかは分かりにくいものです。

もちろん避難の尺度はあったとしても、「ひょっとすると大丈夫かも」みたいに疑いやすくて。

 

非日常と日常の背反するメリット

そして、「非日常の危機対処を優先すると、日常が犠牲になる。でも日常を優先すると、非日常の場合に致命的になる」という背反する損得関係もあるわけです。

非日常の危機は、起きうる確率がとても低いけれども、もし逃げられれば一撃死から回避できます。

でもだからといって、いつも「非日常の危機だ」と動いていると、日常が犠牲になると。

 

一方で、いつも日常を優先していると、日常を送ることはうまくできるでしょう。

損失も少なめで、「ちょっとしたお得」を積み重ねて、「得した」とか「損しなかった」と喜べます。

でもその場合、もし非日常の危機だった場合に、一撃死になってしまうわけです。

 

どうしても日常ばかりになりやすい

すると私たちは、どうしても「今回も日常だ」という思い込みを持ちやすいように感じます。

というのも、それはいつもそうなので、「昨日までもそうだったんだから、今回もそうだろう」と決めつけやすいんですよね。

 

ただ、これからは少し警戒度を上げるぐらいでもいいように思います。

今までは安定期だったので、あまり特殊な対応をする必要はなかったかもしれません。

でも、これからは少しずつ、そういう非日常の危機が増えてくる時期のように思います。

 

目先のちょっとした損失を受け入れる

こういう時に重要なのが、「目先のちょっとした損失は、受け入れよう」というスタイルですね。

「少しも損をしないように」とすると、完全に「日常を最大限に効率化して、ミスがないようにしよう」としてしまいます。

ベストな予定を組んで、長期管理をするほど、損失を減らせて効率化できます。

 

でもガチガチにそうすると、スケジュール変更とか、生き方の軌道修正ができなくなります。

未来に変化してゆくことを前提とするなら、「予定を犠牲にする」という目先の損失を受け入れる必要があるわけですね。

 

まとめ

なので、今は「非日常の危機対処を、少しずつ考慮してゆこう」というのでいいように思います。

もちろん目先のロスはありますが、それは「危機対応や軌道修正のための経費だ」と思えば、受け入れやすくなるかと思います。

生き方を変えるのも同じで、目先のロスを受け入れるほど、方向性を変えやすくなるように思います。

 

そしていつも言っていることですが、これからは想定外の事故や災害、それに伴う社会的な動揺とか混乱は増えるかと思います。

なので、必需品ほど多めに確保しておいて、不要なものは手放しておくことですね。

言うなれば、「必要な精算」は早めに済ませて、身軽になっておくことです。

 

すると変動が大きくなる時代でも、うまく一撃死を避けられて、安全を土台に生きられるかもしれません。

 

ということで今日は、本当の危機の時には、逃げ遅れないようにしよう、という雑記でした。

今日はここまで~。

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