今日も、精神的なお話をしてみましょうか。
「現状を変えたい場合、ネガティブな人や言葉からは離れてみるのもいい」、というお話です。
昨日、「合わない人とは、付き合わなくていい」ということを語りましたが、今日もそれと似たような、生き方のお話です。
現状を変えたいけど、変えられない。どうしたらいい?
このブログを見ている方には、「現状を変えたい」と思っている人も多いんじゃないかと思います。
でも、なかなか変わらないことがありますよね。
すると、次第に「自分はずっとこんな毎日を送らなきゃいけないのか」とか、「これからもっと状況が悪くなるのか」思うと、目の前が真っ暗に感じられたり、気分が落ち込んだりするものです。
希望が見えないと、そんな風にめいりがちな風に気分になっちゃうんですよね。
実は、現状を変えなくても、幸せな気分になれます。
それが、「希望を得ること」ですね。
希望が持てれば、現状にいながら幸せになれる
例えば今、私はとある漫画家志望の方とやりとりをしているんですが、その方はこれまで仕事をしつつ、漫画の投稿をしていました。
でも、投稿しても投稿しても、全然うまくいかないわけです。
それで落ち込んでいたんですが、最近私とやりとりするようになって、「漫画を描くなら、こういう道もあるよ」と私が新たな道を示したわけです。
すると、その方は今すっごいモチベーションで、嬉々として漫画に取り組んでいるんですよ。
その方の現状は、ほとんど変わっていません。
昔と同じように働きつつ、漫画を描いている状況ですからね。
それどころか、自発的に今まで大の苦手だったデジタルでの漫画作成に挑んでいるぐらいなので、むしろ以前よりも負荷がかかる状況にいるでしょう。
でも、なんかもう、メールの文面からその方の「未来を切り開ける可能性が見えて、嬉しい!」という気持ちがあふれ出ているんですよ(笑
すなわち、状況そのものは変わっていないのに、希望を持てた瞬間から楽しく、幸せになれるということです。
だから、「現状が変わったら幸せになれる」ではないんですよね。
「希望を持てた瞬間から、幸せになれる」ということです。
で、もしその道がダメだったとしても、少し落ち込んだ後で、再び新たな道を見つけられれば、また希望と共に歩き出すことができます。
そうやって、「今を最高に楽しみつつ、未来を望むものにしてゆく」わけですね。
希望を持つために、ネガティブな人や情報から離れてみる
じゃあ、どうすればそんな希望を持てるのか。
そこで私が提案する一つの方法として、「ネガティブな人や言葉からは離れてみる」ということがあります。
現状を変えたい場合、次の二つのアプローチがあります。
それが、「他者を変える」か「自分を変える」かのどちらかですね。
これはどちらでもよくて、人によって得意なタイプが違います。
政治家のように「社会」を基準に考えるタイプの人は、他者を変えることの方が効果的なことが多いでしょう。
逆にクリエイターのように「個人」を基準に考えるタイプの人は、自分を変える方が効果的なことが多いものです。
これは二者択一ではなくて、どちらにどれぐらいの配分をするかという比率で考えます。
で、「他者を変える」という場合、ネガティブな人や言葉の比率を大きくするほど効果的になります。
というのも、人はメリットよりもリスクを恐れる性質があります。
だから、脅威が大きければ大きいほど、そしてそれをあおればあおるほど、人を動かせるからですね。
「自分を変える」場合、ネガティブな人や情報は減らす方がいい
一方で「自分を変える」という場合、ポジティブな人や言葉の比率を大きくして、そしてネガティブな人や言葉の比率を小さくするほど、効果的になります。
繰り返しますが、人はメリットよりもリスクを重視するので、恐怖感が強い状況では現状に居続けてしまいます。
ただし現代の日本では、命を奪われるような高いリスクの脅威は、とても少なくなってきました。
よくよく考えてみるとほとんどリスクがないことなのに、恐怖感から動けなくなってしまっているわけですね。
私たちは、「希望を得るメリット」を過小評価していて、同時に「希望を得られないリスク」、「希望を失うリスク」に無警戒のように思います。
すなわち、それだけ「希望を失う」というのはリスクになるんですよ。
「希望を失うことで自殺をする」という死亡率の方が、「餓死をする」という死亡率と比べて3桁も多いのが現実なんですから。
ある意味、私たちは日本という社会で、自殺という名の戦争と戦っているようなものです。
その敵によって殺された被害者数は、毎年3~10万人になります。
日本で毎年3~10万人もの人が自殺しているって、地方の中堅都市の人が毎年まるごと殺戮されているぐらいの規模ですからね。
それが、「希望を得られないリスク」、「希望を失うリスク」の脅威です。
とんでもない脅威でしょ。
希望に対しては、真剣に向き合うことが大切
すると、「希望がない」というのは、餓死なんかとは比にならないぐらい強烈なリスクだと分かります。
すなわち、「希望」に対しては、それぐらい真剣に向き合うことが大切じゃないかと。
そんな場合、人によってはネガティブな人や言葉の比率を減らして、ポジティブな人や言葉の比率を増やす方が効果的なことがあります。
すなわち、「他者を変える」比率を減らして、「自分を変える」比率を増やすわけですね。
実際に私の場合でも、「自分を変える」という比率を増やす方が、より願いが叶いやすくなりました。
ネガティブな人や情報を切り離す時に起こる抵抗感
でもここで、多くの人が、ネガティブな人や言葉を切り離すことにためらうと思うんですよ。
例えば私の場合、Twitterでネガティブな人(他者を変えようとする比率が大きい人)をフォローしてしまった場合、なかなかフォローを外すことができませんでした。
だって、私だって人からフォローを外されると、落ち込みますからね。
「相手に嫌な気持ちをさせるかも」とか、「相手に反感を持たれるかも」とか思うと、行動しにくいですよね。
でも、あるときふと「みんながためらうなら、実際にやってみよう。それで実際のリスクを確かめてみよう」と思い立ったんですよ。
で、実際にやってみました。
「ネガティブな人のフォローを外しまくり祭り」を(笑
いやほんと、「ごめんなさい!」って感じで(笑
すると、フォローを外す前はすっごいためらっていて苦しかったのに、フォローを外すと、すっごいすっきりなんですよ!(笑
「え? こんなにも簡単にすっきりするの!?」みたいな。
そしてネガティブな情報がタイムラインから消えると、もう短期間で心のエネルギーが満たされてきましたから。
フォローを外すことで起きた脅威は、全くなかった
そこから、「ああ、自分はもっと希望を持ちたかったんだな」と分かったんですよね。
すなわち、私は結構な「自分を変えることでうまくいくタイプ」だったんだと。
で、そういうフォローを外したことで実際に起きたリスクは、はっきり言って全くありませんでした。
相手から「なんでフォローを外したねん」とかいうツッコミやダイレクトメッセージもありません。
その人を自分の人生から切り離すことで、失うものは何もなかったんですよね。
もしたまに有用な情報を言う人であれば、ブックマークでもしておいて、たまに見る程度でいいんですから。
私はネガティブな人や情報から離れることで、「希望」という大きな精神的メリットを得ました。
この希望が、私をどんどん現状から出る力を与えてくれて、私の状況はますますよくなりました。
一方で、失うものは何もありませんでした。
ほんと、「今までなんで、こんなに幸せに対する費用対効果が高いことを、ためらっていたんだろう?」と思いましたから。
まとめ
だから、現状が変わらない場合、時にネガティブな人や情報から離れてみるのもいいかと思います。
私の周囲には、結構な「本当は自分を変える方が変化を起こせるのに、周囲を変えようとしている」タイプの人が多いんですよね。
そういう場合、ネガティブな人や情報(周囲を変えようとしている人や情報)から離れることで、自分を変えることができるようになります。
これは一度外れてみると、どれだけネガティブな人や情報が「行動する恐れ」を作り出していたのか分かりますから。
すると、希望を見つけ出しやすくなって、結構すぐにでも幸せな気分を得られるようになります。
また、どんどん行動できるようになります。
ほんと、「今まで自分が、どれだけ無用なリスクにおびえていたのか」というのが分かって愕然とするかと思います。
ちなみにいつも「自分を変えよう」としている人の場合、逆に周囲を変えようとしてみるのも一つの手です。
たまにははっきり意見を言うことで、周囲がしっかりと聞いてくれることもあるかと思います。
うまくいかない場合、今までとは違ったアプローチを取る、ということですね。
すると、現状を変えるきっかけになるかもしれません。
ということで、今日は「現状を変えたい場合、ネガティブな人や言葉からは離れてみるのもいい」、というお話をしてみました。
今日はここまで~。