今日は精神性のお話です。
「合理性が分かると、意外と許せるようになる」というお話です。
「不可解なこと」って、ありますよね
世の中には、不可解なことってあるじゃないですか。
で、私の場合、そういう不可解なことを前にすると、理由とかメカニズムを知るのが好きなんですよ。
「なんであの人は、あんな風に行動したんだろう?」とか、「なんでこれは、こういう形になっているんだろう?」みたいな。
それで、少し前にその不可解なものが一つ判明したので、そのお話をしてみようかと思います。
なぜ自転車のハンドルを立てるのか
都会ではあまりないかもしれませんが、田舎に住んでいる中学生ぐらいの男の子だと、ちょっと悪ぶってこんな風に自転車のハンドルを立てることがあるんですよ。
ママチャリのハンドル部分を曲げて、ハンドル部分を高くするわけですね。
これは、田舎でちょっと不良っぽい男の子が、たまにやることなんですが。
まぁ最近は見かけませんが、まれに見かけることがあって。
それで、ずっと「なんでそんな不便な形にするんだろう?」って思ってたんですよ。
自転車をこぎにくいし、スピードも出せなくて。
町をぶらぶら流すのにちょうどいい
で、最近になって、ようやくこの合理性が分かったんですよね。
これは、「スロースピードで、町をぶらぶら流すのに合う」という一つのスタイルだったんですね。
例えば男性向けバイクでも、こういうハンドル部分が高いものがあります。
こういうのは、あんまりスピードを出さずに、ゆったり景色を眺めながらだったり、誰かと話しながら移動するのに適していると。
だから、バイク好きが集まって、ゆったり街とかいい景色の道を流しながら、話をしたりして過ごせるわけです。
スピードと座り心地の対立関係
これは言うなれば、スピードと座り心地の対立関係です。
「スピードを出せるようにすると、座り心地が悪くなる」、だけど「座り心地をよくすると、スピードを出せなくなる」というトレードオフ(片方を取ると、片方が実現できない)の関係ですね。
で、どちらを重視するのか、というスタイル選択でしかありません。
自転車やバイクは、ハンドルを下げるほど空気抵抗も減るし、スピードを出しやすくなります。
実際に自転車でも、ロードバイクみたいにスピード重視なものほど、座面が高くてハンドルが低くなります。
その方がこぎやすいし、スピードも出ると。
だけど、そのままの姿勢は苦しいわけです。
あくまで、「早く移動するための手段」だから、そういう形になっていると。
でも、ママチャリぐらいになると、その中間ですよね。
少し前傾姿勢で、スピードは出せないけど、多少楽な姿勢でいられると。
合理性が分かると、許せるようになる
で、上記の自転車とかバイクみたいにぐっとハンドルを高めると、背筋を伸ばせるので、イスに座ったような座り心地のよい状態になれます。
すると、姿勢が楽なので、長時間楽しめるし、いつでも止まれて、その際に姿勢を正す必要がないと。
すなわち、「座り心地をよくするために、そうしている」と言えます。
この原理が分かってから、「ああ、居心地がよくなるように工夫してるんだな!」となって、普通に許せるようになったんですよね。
すなわち、「ただ目立ちたいだけ」じゃなくて、そこに合理性があると分かったからですね。
でも私達は、なかなか言葉でその理由やメカニズムを説明できないんですよ。
だから、先生から「無意味なことをするな」、「そんなことするな」と怒られたりするんじゃないかな、と思ったりもします。
でもそんな中で、こういう理屈が分かると、「なるほど」と分かりますよね。
「確かに、それはそれで一つのスタイルだ」とも分かるし、「世の中にはそういうニーズがある」とも分かるわけで。
すると結構許せるようになるし、受け入れられるように感じます。
まとめ
なので、そんな風に合理性が分かると、いろんなことを許せるようになるかなと思います。
「あれは許せない、これは許せない」ばかりでなく、許した上で、自分の行動を調整できると。
これは自転車だけでなく、生き方でも同じかなと思います。
「なぜあの人はこう行動したのか?」とか、「なぜこの世の中はこうなっているのか?」という合理性が分かると、受け入れやすいように感じます。
なら、「周囲はこういう合理性で動いているから、仕方ない。なら、自分はこうしよう」とできます。
すると、周囲を批難するよりも、自分が変化することを選べそうに感じたりもします。
ということで今日は、「合理性が分かると、意外と許せるようになる」というお話をしてみました。
今日はここまで~。