いや~、以前から何度も触れてますが、最近すっごいゴミを処分しまくりなんですよ。

この辺は風水とかと関わってくるんですが、まぁ片付けをすると気持ちがよくなりますよね。

それが、運とすごく関わってるものなんですよ。

 

ってことで、昨日予告したとおり、今回は今回は「運命」についてと、「運」についてのお話です。

まぁ運命については前振り程度で、メインは運について多く語っていますので、運が悪い人とか、運をもっとよくしたい人には
オススメな内容かも。

今回はそれなりの長文なので、気合いを入れてどうぞ(笑

 

「運命」とは何か

さてさて、まずは「運命」の話ですね。

運命ってあると思います?

「こうなるのが運命だったんだ」とか「運命的な出会い」とか言いますよね。

これから起こることや、起こったことが必然だった……みたいな感覚を運命って言いますよね。

 

でも、人によっては「運命とか言うと、何でも運命にしちゃって努力しなくなるよ」と思う人も多いと思うんですよ。

実際にアラブの方では、「インシャラー(イン・シャー・アッラー:『アッラーのご意志があれば』の意味)」と言って、「起こるかどうかは神のみぞ知る」みたいに言うんですよ。

そして、昼寝して寝坊したのを、「神のご意志だ」って正当化しちゃうと(笑

 

でも、実は努力してる人ほど運命を感じるもんなんですよ。

ほら、「人事を尽くして天命を待つ」って言うじゃないですか。

常に全力を尽くしている人って、常に「天命を待つ」状態になるんですよ。

すると、常に「起こることは必然」だと感じるんですよね。

 

これって、運命ですよね。

毎日毎日全力を尽くしている人ほど、運命があると感じるんですよ。

そして怠けている人ほど、運命なんてないと感じると。

天命を待つことができないからですね。

 

運命っていうのは、全力を尽くした人にだけ与えられる恩恵だと思えばいいと思います。

すると、結果を素直に受け入れられるんですよ。

だから、失敗しても受け入れて、新たな挑戦ができると。

 

運命ってのは、万人に与えられるものではないと。

努力した人にだけ与えられる、心が安らかになれる恩恵なわけですね。

そう考えると、分かりやすいんじゃないかと思います。

 

「運」とは何か

さてさて、運命の話はここまでで、次は「運」のお話です。

ここからが本題です。(前振り長っ(笑

 

運は、運命と違って、よく実感するんじゃないかと思います。

千円札拾って、運がいい!と感じたりとか。

電車を目の前で逃して、運が悪い……と感じたりとか。

そして運がいい時は、何でもうまくいくもんですよね。

でも、運が悪い時は、電車は乗り遅れるわ怒られるわ忘れ物はするわテストはうまくいかないわとかで、もう悲惨な状態になったりしますよね(笑

 

「運」と言うと幸運と悪運がありますが、ここでは幸運を指すことにしておきます。

(まぁ今回のお話を最後まで読めば、どっちも当てはまると分かります)

 

そして一つ言えることは、みんな「運がよくなりたい」と思ってると思うんですよ。

毎日1万円とか拾えたら最高ですよね(笑

まさに奇跡と言えるかと。

 

実は、運ってよくできるものなんですよ。

そして、毎日1万円拾うとかいうのに似たような奇跡をいくらでも起こせるんですよ。

「んなアホな」とか言われそうですが、まぁ話を聞いて下さい。(=▽=)

 

なら、まず最初に考えてみましょう。

「運」って何なんでしょう?

1万円拾ったら、運がいいですよね。

他にも、例えば学校で片思いの人と話ができたら、運がいいと感じるかもしれません。

他にも、旅行先で迷子になったけど、ふいに出たところが、誰も知らないすごい絶景ポイントだったとか、そういう時にも「運がいい」と感じるかもしれません。

 

じゃあ、運って何なのか。

結論から言いましょうか。

運って、「自分の気分をよくすること」なんですよ。

言い換えると、「価値を見つけ出すこと」とも言えると思います。

価値を見つけ出すことによって、結果的に気分がよくなると。

こう考えるとすごくシンプルで、分かりやすいですよね。

 

1万円札を拾ったら、1万円の価値を手に入れられますよね。

好きな人と話すことにしろ、いい景色を見ることにしろ、価値が自分のところに舞い込んできたら、運がいいんですよ。

 

でも、一つ重要なことがあって、その価値を知らなければ、価値を受け入れられませんよね。

例えばお金を知らない人に一万円札を渡しても、「何この紙切れ」と、鼻紙にでもして捨てちゃうかもしれません。

この人は、お金の価値を知らなかったから、「そのお金を使えば1万円分のものが買える」という幸運に気付かず、運を捨ててしまってるわけですよね。

 

目の前に変な板切れがある。

「なんだこのゴミ」と思って捨てる人もいるでしょう。

でも実は、それは世界で名だたる香木だったらどうでしょう。

それを望んでいる人にとっては、すごく希少な価値あるものだったり。

 

つまり、運ってのは、価値を知らなければ受け取れないんですよ。

逆を言うと、価値を見つけ出しさえすれば、運がいいと。

 

運って、偶然起こるものでも、自分ではどうにもできないことでも、何でもないんですよ。

運ってのは自分の力でいくらでもよくすることができるんだ……と分かると思います。

だって、「価値を見つけ出せさえすれば、すなわち運がよくなる」んですから。

 

私たちは、いくらでも周囲に価値を見つけ出せるんですよ。

実は周囲には価値だらけなんですよ。

だって、例えば両目がありますよね。

「1億円やるから、その両目をくれ」と言われても、そんなの嫌ですよね。

ということは、私たちは1億円以上の価値を持っていると気が付くと思います。

 

両手がある。これでいろいろできる。

ここにもすごい価値があると発見しますよね。

空気がある。呼吸ができる。ご飯が美味しく食べられる。

歩くことができる。安全に暮らすことができる。

これらは価値がありますよね。

 

他にも、PCがある。これで世界中の人と繋がることができたり、情報を得ることができる。インターネットで世界中から買い物もできる。

YouTubeで、タダで動画や情報を見たり、公開できる。

Pixivに行けば、絵描きさんがいっぱいいて、いつでもいい絵描きさんを見つけられる。

他にも山ほどありますよね。

 

私たちの周りには、既に価値が溢れかえっているんですよ。

分かりますかね。

私たちの周りには、既に何千万、何千億、それ以上の価値で溢れかえっているんですよ。

ただ、私たちはそれに気が付いていないだけ

 

先に「一万円札を知らない人が、鼻紙にして捨てた」という例え話をしましたが、私たちはまさにそういうことを普段からしているわけです。

毎日、玄関のポストに幸運が舞い込んでいたり、歩いていると幸運がいっぱい落ちているにもかかわらず、私たちはそれを素通りしているだけなんですよ。

運がいい人っていうのは、その価値に気が付く人です。

運が悪い人は、その価値に気づけない人です。

 

例えばYouTubeを見て、「くだらん動画ばっかじゃないか、クソッ」と思う人もいるでしょう。

逆に、「動画を世界中に見てもらえるってすごい」というのを価値やチャンスだと受け取る人もいますよね。

ビジネスだったり、売り込みに使えたり、コミュニケーションにも使えるかもしれません。

物事を「くだらない」「つまらない」と悪い点に目を向けていると、そういう人は、価値に気がつけない。

運を主体にして言い換えると、「運が逃げていく」んですよ。

 

逆に「YouTubeってすごい!」といい点に目を向けていると、価値に気がついて、すると「運がやってくる」んですよ。

だから、価値に目を向ける人(運がいい人)は、次々に幸運が舞い込んできます。

逆に運が悪い人は、とことん運が悪い。

だってそうですよね、価値に目を向けないんですから。

どこかに「豊かな人はますます与えられ、貧しい人はさらに奪われる」という言葉があったと思いますが、まさにそれです。

 

そして、運というのは幸せに直結するんですよ。

だって、価値があるものをいっぱい持っていると、豊かさがあって、幸せ感を十分に味わうことができますよね。

目があって価値がある。腕があって価値がある。ご飯を食べられて価値がある……そう思ってると、毎日何億円以上もの価値を
得ているような感覚で生きられるんですよ。

でも、価値に目を向けないと、「なんで車で10分もかかるんだよっ。時間がかかるじゃないか!」とか思ったり、「この映画、あの映画ほど面白くない」とか思って、毎日自分の持っている価値を奪われる感覚だけになるんですよ。

 

毎日何十億円もの価値を得ている……と感じて生きている人が「幸せだ」と感じて当然でしょう。

毎日得るどころか奪われるばかりだ……と感じている人が幸せを感じられなくて、当然ですよね。

 

自分でそうしてるんですよ。

自分で運を選んでいるわけです。

 

目の前に落ちている運を拾うか、拾わないか。

それだけなんですよね。

 

運が悪い状態の人には、「あれは使えない」「これも使えない」ってもの、いわばゴミばっかりがストックされるんですよ。

なので、問題が起こった時に、「何も使えないものばかり」だから、いつも対処できずに終わって、落ち込むんですよ。

 

逆に運がいい人には、「あれも使える」「これも使える」というものばかりがストックされると。

すると、何か問題が起こった時に、使えるものばかりをストックしている運のいい人は、「あれが使えるやん!」と思いつけるんですよ。

 

そうすると、問題を解決できるわけです。

「問題が起こった時に、都合よく解決できる手段が用意されている」それって「運がいい」ですよね。

 

電車に乗り遅れた。

運が悪い人は、「くそっ、運が悪いぜ」と言っておしまい。

運がいい人は、「乗り遅れたけど、でも今日はテストの日じゃないからそれほど問題じゃない。運がよかった」と言って、価値を見いだすわけです。

 

価値を見いだせると、気分がよくなる。

すると、「せっかくだから一限サボって駅前探索してみよっと」とか思って、新しい店を発見したりして、「災い転じて福となす」のもできるんですよ。

それは「運がいい」ですよね。

でも、価値を見いだせないと、イライラしているだけで何もできないので、また悪運を引き寄せると。

 

うちでは、プロのシナリオライターさんが次々と出てきたんですよ。

「プロになれるなんて、運がいいなー」とか思いますよね。

実は全くその通りなんですよ。

運がよかったから、プロになれたんですよ。

 

技術一つとって見ても、運がいいから、技術がついてきたんですよ。

運がいい人っていうのは、本でも読むと、「この表現はいい、取り入れよう」「この構成はすごいな。参考にしよう」と、次々と技術を身につけていきます。

でも、運が悪い人は、「これがだめ」「あれがだめ」と悪い点ばかり見て、何も身につかないわけですね。

 

たった10冊でも本を読んだら、運のいい人と悪い人の差は歴然です。

運がいい人ってのは、10冊読むだけで全然変わりますからね。

これは技術だけじゃなく、人脈にしても、チャンスや機会にしても、環境にしても、どれも全部同じで、運がいいからそれらが得られるわけです。

 

見るもの触るもの全てからいい要素を見つけ出すような運がいい人と、見るもの触るもの全てから何も取り込まない運の悪い人、そういう人たちが1年とか2年とか経ったら、差は開くばっかりですよね。

 

分かりますかね。

成功するかどうかなんて、全部、運なんですよ。

運をよくせずに、技術を学んでも、努力しても、全くの無駄です。

逆を言うと、運をよくしていたら、技術ややる気、その他何もかもが「ついてくる」ことになります。

 

成功者はよく「私は運がよかっただけです」って言うものです。

そうなんですよ。

それは謙虚さでも何でもありません。

ただ、運がよかっただけです。

運をよくしないと、何をやってもだめなんです。

 

努力して努力して血の滲む努力をして、それでも成功できない。幸せになれない。

なぜか。

運がないからなんですよ。

 

運をよくすれば、他のものは全て付いてきます。

そして、運は誰でもよくすることができるということです。

 

なら、運ってどうすればよくなるのか。

「価値を見いだすこと」って言いましたよね。

これだけだとよく分からないので、ここでもう一つの見方がようやく出てきます。

 

最初に、運は「価値を見つけ出すこと」と同時に「自分の気分をよくすること」と言いましたよね。

イライラしている時に、価値なんか見つけられませんよね。

気分がよければ、心に余裕が出て、自然と「ありがたいな」と思えるようになるんですよ。

だから、自分の気分をよくするわけですね。

 

気分をよくする方法はいくつもあるでしょうが、その一つの方法として、愚痴、泣き言、不平不満を言わないことです。

また、そういうことを言っている人には近づかないことです。

そして、気分をよくして、「ありがたいな」「運がいいな」「価値があるよな」「豊かだな」って言えば、自然と頭は価値があることを探し始めます。

 

何に価値があるのかなんて分からなくても、それを口癖にすれば、自然といつも価値を見つけられるようになるものなんですよ。

古い人は「『運がいいなぁ』と言えば、運がよくなる」って言いますよね。

それはその通りなんですよ。

結局のところ、運は価値を見つけ出せるかどうかなんですから。

 

「笑う門には福来たる」、とか、「福顔」とか、いろいろありますよね。

それらは全部、「気分をよくすること」ですよね。

だから、気分をよくしていれば、運がやってくるんですよ。

 

運をよくする方法はいくつもありますが、「ありがたいな」「運がいいな」みたいな価値に関連する口癖は、結構強力なものだと思ったりします。

 

で、どんどん「これはこんな価値がある」と、大きな価値を受け入れられるようにするわけです。

「私の両目は、1億円払っても失いたくない。なら、それだけの価値を持っているんだ」

「空気がある。太陽が照っている。これは何十億払ってもいいぐらいの、価値あるものだ」

そんな風に、どんどん大きな価値を受け入れていくといいでしょう。

 

数万円規模の運に恵まれ始めると、数百円程度の小さなものに人生を左右されることはなくなりますよね。

同じように、数億円の運に恵まれ始めると、数万円では人生を左右されなくなると。

そして、計り知れない価値に気がつき始めると、数億円程度の価値あるものですら人生を左右されなくなるんですよ。

 

ここに気が付くと、社会的に成功しているように見える人が、必ずしも全員幸せではないなと気が付けるようになるんですよね。

そして、より多く売ってる人ではなく、実はすぐ身近に、地味にそれ(幸せ)を持っている人がいたんだと気が付くことができるんですよ。

 

まとめ

実はこれ、私もつい最近気が付いたことですが(笑

運は、私たちの周りに無尽蔵に溢れているんですよ。

数百円程度のものから、何万円、何千万、価値の付けられないものまで、ピンからキリまで。

 

価値は、周囲に山ほどあるんです。

ただ、私たちが気が付かないだけで。

それに気が付きさえすれば、毎日1万円どころか1億円、それ以上拾ったのと同じ気分で毎日を過ごせます。

すると、心に豊かさが出てきますよね。

それが、さらに運を呼び込むんですよ。

 

「けっ、最終的には考え方って話かよ」とか言ってしまうと、運は逃げていくんですよね。

逆に「いいこと聞いた!」と思えば、運が寄ってくると。

半信半疑の人もいるかもしれませんが、運って、こう見るとすごいでしょ。

これが運なんですよ。

 

運が来ると、自然と全力を出せるようになるものです。

さらには技術も楽に身について、モチベーションが高いまま努力もできますし、楽しく力を尽くせるわけですね。

すると、「運命」が分かってくるというわけです。

 

今回は運の全体を説明したんですが、実は運には「天運」、「地運」、「人運」、「時運」という運があって、これらも詳しく語ろうと思えば山ほど語れるんですよ。

でも、まぁ今回だけでも十分に長文になっちゃったので、細かい部分はまたいつか機会があれば語れればなぁと思います。

長くなりましたが、今回はここまで!

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