今日も精神的なお話です。
「人生はいつからでも軌道修正できる」というお話をしてみましょう。
夢や第一志望は、挑戦していなければ「呪い」になる
ちょっとした記事があったので、ご紹介。
死の間際まで「美大に行きたかった」という人がいる。漫画家かっぴーに聞く“第一志望の仕事”の諦め方(新R25)
それなりに面白い記事なので、時間がある人は読んでみるといいかと思います。
記事の内容は、「夢とか第一志望は、たとえダメでも挑戦していなければ、後々に『やっておけばよかった』という呪いになる」というお話です。
例えば、とあるおじいちゃんがいて、ずっと美大に行きたかったんですが、現実ではまったく挑戦せずに終わらせてしまいました。
で、そのおじいちゃんは、死ぬ間際に「美大に行きたかった」という言葉を残して、そして死んだと。
これ、結構きつい後悔ですよね。
後悔と幸せは背反するものなので、ある意味そのおじいちゃんは、「自分の人生全体が、幸せではなかった」と言っていたのと同じように感じます。
怖いのは夢が叶わないことではなく、決着をつけられないこと
挑戦せずにあきらめてしまうと、そういう風に後に引きずってしまうように思います。
すなわち、怖いのは「夢や願いが叶わないこと」ではなくて、「夢の結末に決着をつけられなかったこと」なんだと。
というのも、夢を持っていたとしても、「これはダメだ」と断念したら、すっきりと別の道を歩けますからね。
もちろん願いが叶わないのは哀しいし、落ち込むことです。
でも、そこで「この道はダメだった」と決着をつけることで、別の道を精一杯楽しめるようになると。
だけど、挑戦せずにあきらめてしまうと、「もしあっちの道を通れていれば、今頃どうなっていただろう」と引きずってしまうわけです。
そして、その引きずってしまう思いが、呪いになるわけですね。
挑戦しないと、自分に嘘をついて正当化してゆく
で、挑戦しなかったら、次第に自分に嘘をついて正当化していくんですよ。
「今の道でも悪くないじゃないか」、「収入も悪くないし、いい人も、理解してくれている人もいる」、「これでも十分に幸せじゃないか」みたいに。
でも、なぜか幸せではないと。
夢とか第一志望の生き方を無視すると、どんなに成功しても、豊かさに囲まれても、「私は幸せなはずなのに」という言葉がつきまといます。
まぁそれは当然で、一番やりたかったことを無視していると、どんなに二番目以降に欲しいものを手に入れても、満たされませんからね。
で、途中から軌道修正できればいいんですが、ほとんどの場合で軌道修正できません。
特に、夢や第一志望を無視して生きてきた期間が長いほど、変えるのは難しくなります。
というのも、今までそういう生き方を無視してきたので、そんな「第一志望の生き方」を「今の生き方」に入れる余裕がないからですね。
なぜ軌道修正しにくいのか
例えば美大に行きたかったとしても、現実ではサラリーマンになって、結婚して子供もできて、毎日の仕事がある状態だったりするわけです。
なら、「美大に行こう」としても、妻も子供もいるし、仕事や社会的責務もあるしで、現実的に無理なんですよね。
そもそも、美術家としてうまくいくかも分からないんですから。
すると、「いつか出世して余裕ができれば」とか「引退して余裕ができれば」、「お金ができて余裕ができれば」みたいに、淡い期待を持つようになります。
でも実際は、出世するともっと忙しくなるし、必要な人付き合いも増えて。
引退しても余裕はないし、「この歳から始める」ということにためらいや恥を持ったりして、踏み切れなかったりして。
そうする間に情熱を失い、健康を失い、死ぬ間際になって、ふと「ああ、私は美大に行きたかったんだ」と気づいて、後悔してしまうと。
「ダメだと分かる」こと自体がいいこともある
でも、もし美大に挑戦してダメだったり、「自分には美術は無理だ」とあきらめられていたら、結構変わっていたと思うんですよ。
それは、後悔がないので、「目の前の道が、一番の道だ」と分かるからですね。
実はまったく同じ状態なのに、「あの道が通れないことを確認しなかったこと」だけで、幸せ度が大きく変わってしまうわけです。
だから、夢や第一志望は、終わらせるのでいいんだと。
一番怖いのは、その道を行けるかどうかも分からずに、「どうせ無理だろう」と自分に嘘をついて、挑戦しないことなんだと。
ただ、私たちはほとんどの場合で、そういう「自分への嘘」を持っているものです。
すなわち、私たちは多くの場合で、自分に嘘をついているし、もし自分に素直になったとすると、何らかの軌道修正が必要になります。
なら、そういう場合、どうすればいいのか。
少しの工夫で、軌道修正できる
実のところ、それはちょっとした工夫で軌道修正できるように思います。
例えば、私が老人になって、死ぬ間際に「美大に行きたかった」と気づいたとしましょうか。
すると、私の場合、いろんな代替(だいたい)となる解決策を思いつくかと思うんですよ。
美大の通信コースを探したり、美大の教科書を片っ端から集めて、「こういうのを学んでいるのか。そして、こういう風に学んでいるのかな」とイメージしつつ学んだり。
それとか、実際の美大生をバイトで雇って、授業内容を再現するように教えてもらったり、添削してもらったり。
何かしらの交流をしたいのならば、美術クラブに属したり、ネットで仲間を作ったり。
そういう風に、「病床でもできること」はいくらでもあるはずです。
そして、もしそこで「ああ、やっぱり自分には無理だった」と分かると、「今の生き方でよかったんだ」とすっきりしますよね。
逆に、「自分には美術の才能があった」と分かると、「今から楽しめばいいんだ。今が人生で最高の瞬間だ」と、納得できます。
すると、そこから自分の人生を歩き始めることもできるし、第2志望以下の幸せを手放すことも、その痛みや過ちも受け入れられるようになります。
私自身も、いろいろ手放してきました
私の場合もそうで、「自分は本当は、こうしたかったんだ」と気づいたとき、「今まで作った幸せ」をあえて手放すことがほとんどでした。
例えば私の場合、高校時代に猛勉強して一流大学に入り、日本人なら誰もが知るような有名大企業の本社に入り、1年目から幹部コースに乗ったんですよ。
でも、私は独立して自由に生きるのが好きだったので、それまでの努力と成果を手放して、実際に独立しました。
ゲーム制作監督としての立場も、もちろんその経験は楽しかったことですが、「もっと個人でやりたい」と分かったらそれを手放して。
写真加工技術だとか、プロットシステムだとか、アニメやFPSゲームだとか、小説だとか、いろいろ挑戦して、やめたものも多くあります。
でも、「じゃあそれらをやらなきゃよかったか」というと、確実に「ノー」だと答えるでしょう。
というのも、それらは私にとって、常に夢であり、第一志望だったからですね。
必死に勉強して、挑戦してよかったし、実際に楽しく充実していたし、すてきな人たちと出会えたし、一部の人は今でもSNSで活躍を見られるし、つながっているし、どれも今の私を作る一部分で。
それら過去にやってきたことは、たとえ成功しても、失敗しても、実現できても、挫折しても、実は今となっては、どれも似たような満足度なんですよね。
すなわち、長い目で見ると、成功とか失敗とかはどうでもよくなるし、挑戦し続けることの方が幸せ度や充実度を作りそうに思います。
だいたい、「成功しなきゃつまらない」なんて、その考え自体がつまらないでしょ(笑
まぁもちろんそういうのを目指すのもいいんですが、何かをする理由なんて、いろいろあっていいかなと思います。
「楽しいことは楽しい。熱中できるからやる」でも、「意味や意義があり、使命感を感じるから挑戦する」でも、「モテたいからやる」でも、何でもいいんじゃないかと思います。
その時々で、自分に素直になって、夢とか第一志望に挑んでいれば、自分への嘘もなくなって、すがすがしく生きられるかなと。
まとめ
だから、工夫次第で、いつからでも軌道修正はできるように思います。
そして、最初から「正解の道」を歩くことなんてできないので、そうやって軌道修正しつつ生きるのでいいように思います。
必要なのは、自分の気持ちに素直になることと、ちょっとの工夫ですね。
夢をすぐに「今の現実」に適応することはできないことが多いので、工夫をすることで、今の現実に入れられるようにするわけです。
で、覚悟とか行動力は、自分に素直になって、少しの工夫ができれば、自然とついてくるようにも思ったりもします。
ということで今日は、「人生はいつからでも軌道修正できる」というお話をしてみました。
今日はここまで~。