ようやくこの日が!
身体に残っていた、最後のかさぶたが取れて。
ついに!
ついに、肝臓問題からの、完全回復宣言ですよ~!
ありがとう!
おかげさまで、なんとか以前の状態まで復帰できたように思います。
なんかもう、やたらと感激とか感謝がわき上がっていたりします。
「みんな、ありがとう、ありがとう!」と涙ぐみながら叫びたくなるぐらいに(笑
結果として2ヶ月近くもかかってしまいましたが、ようやく体中の傷がふさがり、体力も以前の状態に戻ったように思います。
いやまぁ、正確にはまだ8~9割ぐらいですし、肌もまだ完全ではなく、揚げ物とか炒め物は控えている状況ですが、この程度は誤差でいいかなと(笑
それでも、以前と同じように歩けるし、自転車で遠出ができるようになったし、夜もぐっすり眠れるようになりました。
それに、味噌汁を味わえたり、カレー味を楽しめたりと、「味の濃いものを食べられるって、素晴らしい!」と感激していたりします。
正直言うと、しんどかった
いやもう、今だから言えますが、正直言うと、それなりにしんどかったです(笑
原因不明なアレルギーで、日に日に全身がぼろぼろになっていくのは、やはり何度経験しても心地よいものではなくて。
特に今回は、「乳製品を避けていて、糖質制限をしているのに症状が悪化する」という、意味不明な現象が起きたわけで。
結局そこから、「肝臓が問題で、身体の冷えが原因になりうる」と仮説を立てて、実際にそうだったと判明した流れになります。
冷えないように対策をしていくことで、実際によくなっていったと。
以前も触れましたが、こういう症状では、医者に相談しても「肌荒れですか。なら皮膚薬を出しましょう」と対症療法しかできませんからね。
なので自分が一番頼れるし、自分が動かなければ何も始まらなくて。
そういうこともあって、判明するまでは、ただただ「どうすればいいんだ」と、もがいていたように感じます。
「しんどかった」は回復後に言うのが好み
でもまぁ、回復してよかった!
ちなみに私の場合、こういう「しんどかった」というのは、回復したり、復調した後で言うのが好みだったりします。
というのも、その方が笑顔で心地よく語れるからですね。
しんどい渦中で「しんどい」と言うのは、ある意味「周囲の人からの支援を、より得られる」ということだろうと思います。
まぁそれは当然で、自分の状態を周囲に告知することで、周囲が気を遣ってくれますからね。
ただ、私の場合は、周囲を変えるよりも、まずは自分で自分の問題を解決しようとするスタイルです。
それに、私は雇われではないし、誰かの下やチームで動いているわけでもないので、周囲に配慮したり、配慮してもらうこともないと。
だから、全身全霊で自分の問題に取りかかれるわけですね。
周囲に頼らないことで、自力のエネルギーを高められる
これは私の好みですが、周囲に頼らないことで、自力のエネルギーを高められるように感じます。
すなわち、私の場合は、しんどい時に「しんどい」とは言わない方が、「絶対に乗り越えてみせる」という強いエネルギーが出ると。
実際に、私が独立した時も、そういうノリでエネルギーを高めて、独立に向けて動いてました。
もちろん、周囲から理解されないし、時には「付き合いが悪い」とか言われて、なじられたりするんですよ。
でも、私は現状から、嫌な会社や、病の状態から出ようとしているわけで。
なら、「嫌な会社にいる人たち」とか、「病の状態で居続けることで、理解し合える人たち」と仲良くやっていくのは、私にとっては足かせになりやすいわけです。
出たい場所は、居心地をよくしない
当然それはそれで、一つの出会いになりうるかもしれません。
それに、そういう人たちと打ち解けることで、「嫌な会社でも、いい部分はある」とか「病になれたから、あの人と理解し合えた」ということもあるでしょう。
でも、そういう相手って、たいていが「会社で生きるのが合っている人たち」、「病の中で生きるのが合っている人たち」なんですよね。
すると、「嫌な場所」とか、「出たい場所」が、「少しだけ居心地のいい場所」になってしまうんですよ。
で、そうしてしまうと、なかなか出られなくなってしまうと。
いわゆる、ぬるま湯状態にしてしまうわけですね。
「嫌な場からは、出る」が第一戦略
そもそも、「嫌な場からは、出る」というのが、私にとっては第一戦略です。
嫌な場所や、出たい場所は、「思いっきり嫌」だったり、「思いっきり出たい」であることで、出やすくなるわけです。
だから、変に居心地をよくすると、第一戦略の足を引っ張るものになってしまうと。
ほら、たまにバトル漫画とかで、「なれ合いはしない」とかいうキャラがいるじゃないですか。
それは、なれ合いをしてしまうと、相手に情が移ってしまうので、全力で戦えなくなるからですね。
だから、相手と気が合いそうでも、なれ合わずに、自分が目指す戦いを重視すると。
というのも、「なれ合うこと」よりも、「自分の目指すことを実現すること」の方が、自分にとっては意味があるし、重要だからですね。
もちろん、「すべての人とうまくやりつつ、自分の目指すものを実現できる」ということができるなら、それは素晴らしいことでしょう。
ただ、「嫌な場所の居心地を最高によくして、ぬるま湯にする」というのが、足を引っ張ることも多いように感じます。
私はぬるま湯の中でも強い意思を保てる自信はないし、進む時は進みたいので、切り捨てるものは切り捨てるようにしています。
なれ合うなら、自分が輝ける場で
なれ合うなら、自分が輝ける場ですることですよね。
嫌な場から出て、自分を出せる状態で、好きな人たちとなれ合うことで、自分も自分なりに生きられるし、周囲も喜んでくれると。
だいたい、嫌な場から出て、輝ける場で輝くと、それで多くの人を助けられますからね。
裏を返すと、嫌な場所なのに「周囲とはうまく付き合わなきゃいけない」、「誰にでも優しくしなきゃいけない」とすると、その使命を見失いやすいと。
感謝もしない、喜びもしない相手を喜ばせようとしても、無意味です。
それなのに、そんな感謝も喜びもない相手に時間や努力を費やすのは、やはり「努力の方向性が間違っている」と感じたりもします。
私は可能性が見え続ける限り、出る方向で動く
まぁもちろん、「現状から出たいのに、なかなか出られない」という戦いはあるんですけどね。
もがいて、苦しんで、それでも希望が見えずにいると、やっぱり「ここの居心地をよくした方が、いいんじゃないか」とか思ったりするんですが。
後は、「出たい」という方向に思いを強めるか、逆に弱めるかのどちらかでしょう。
で、私は可能性が見え続ける限り、出る方向で動きます。
実際に私は、会社勤め時代でも、自分のデスク周りには一切私物や、PC以外の「自分の仕事道具」を置かなかったんですよ。
本当に最低限必要な道具類は、引き出しの中に入れて、絶対に普段の目には触れないようにしたと。
だから、私の机だけ共有デスクとか、誰も使っていないような机に見えたんですが。
それは、机に自分の私物を置くと、「ここが私の席だ。私はここに座るのが当然だ」と無意識にでも思ってしまうからですね。
それは、その会社から出て独立したい私にとっては、一番避けたいことです。
だから、「この机は、私の席ではない。この会社にいるはずの人間でもない」とすることで、独立に向けて高いエネルギーを発揮できたように感じます。
まとめ
まぁそんな風に、おかげさまで復活宣言を出すことができました。
確かにしんどかったですが、得るものは多くあって、よかったです。
特に、アレルギーの根本原因が分かって、これからアレルギーにおびえる必要がなくなって、すっきりで。
とにもかくにも、復活できてよかった!
ただただ、「ありがとう!」と感謝と感激を叫びたい気分です。
このブログを読んでくれて、ありがとう!
ぼちぼちと、また私なりの道を進んでいこうかと思います。
ということで今日は、復活宣言日記でした。
今日はここまで~。