今日は、精神的なお話です。

「お金のために、のびのびできる場に移る」という発想もよさそう、というお話です。

 

「働くのが息苦しい」という苦しみ

Twitterを見ていると、こういうツイートがあったんですよ。

それは、「うつで数年ほど休職していたけど、お金のためだから、働かなきゃいけない。でも行きたくない」というものでした。

そして、働きに出るのが「とても息苦しくて、苦しい」ともらしていたんですよ。

 

自由が好きな人にとっては、こういう息苦しさとか圧迫感が分かるかと思います。

私自身も自由が好きな人なんですが、会社勤め時代は、ほんと会社が窮屈で、苦しかったですからね。

まるで無理矢理にでも身体を小さな箱に詰め込めるかのように、自分を圧迫しながら、我慢しながら時間を過ごさなくちゃいけなくて。

それで、そういう我慢で一日がへとへとになるし、「そういう状態が未来にずっと続く」とか思うと、お先真っ暗だったわけです。

 

「お金のために、のびのびできる場に移る」という発想

そういう場合、「お金のために、のびのびできる場に移る」という発想もよさそうに思います。

こういう発想ができると、より元気が出るかもしれません。

 

なぜ苦しい仕事をしなきゃいけないのかというと、お金のためですよね。

もしお金の問題が解決できたら、そういう息苦しい場所には絶対に行かないものです(笑

 

そして、そこには「お金のためには、息苦しい場所(仕事)に行かなきゃいけない」という思い込みがあるように感じます。

なら、ちょっと違う発想をしてみましょうよ、と。

 

お金のために、のびのびできる場に移る

実は、「お金のために、のびのびできる場に行く」こともできるんですよね。

例えば、田舎で家賃のやっすい家でも借りて、家の畑で野菜を作りつつ、海もあれば魚釣りもできたりすると。

そして、質素でも自由に過ごすわけです。

料理も自分で作るし、足りないものはできるだけ材料から自作して、あまりお金を使わない生活をします。

 

自由が好きな人ほど、そういう風に「家も畑も、好きにしていい。自由に毎日の暮らしを作っていい」となると、わーっと嬉しくなって、元気が出るかと思います。

で、そういう生き方も、実は「お金のため」なんですよね。

「お金が十分にないから、のびのびできる場に移って、質素に暮らす」という選択肢もある、ということです。

 

「お金があれば」と考える罠

すなわち、「お金があれば」と考えるのではなくて、「自分の欲求を、何らかの方法で解決できれば」と考えると。

「お金があれば」と考えると、無条件で「稼がなきゃいけない」となります。

でも、「何らかの方法で」と考えると、お金以外の方法もいろいろ使えるようになります。

なら、可能性は一気に広がりそうだと分かります。

 

前者の「圧迫感のある場」は、ぎゅっと身体が締め付けられるような、しがらみが強い社会で、我慢することでお金を得られます。

これは、我慢をすればするほどお金を得られる世界です。

だから、我慢ができればお金持ちになる可能性も大いにありますが、「お金を得続けるには、締め付けられ続ける」という代償があります。

これは、「我慢を主体にできる人」に効果的で。

 

一方で、後者の「のびのびとできる場」は、開放感があって、好きに行動できます。

これは、自分で動くほど、豊かさを作れる世界です。

畑を作れば野菜ができるし、家を補修すれば、家の居心地がよくなります。

これは、お金持ちになることは難しいですが、「動けば動くほど、工夫すればするほど豊かになれる」という世界です。

だからこちらは、「我慢をしない方がエネルギーを持てるし、創造性も発揮できる人」に効果的です。

 

「質素だけど自由な道を選ぶ」という選択肢

なら、「お金のために、質素だけど自由な道を選ぶ」という選択肢があってもいいですよね。

これは、エネルギーを重視する生き方です。

狭くて動けない場に移るのではなくて、広くて自由にできる場に移ることで、自分でいろいろ作ってお金の問題を解決して、豊かさを作ります。

そっちの方が合う人も、いると思うんですよ。

 

例えば、「我慢して苦しい場にいることで、年間200万円のお金を得る。それで食べたり、憂さ晴らしとか、人生を味わえることに使う」という生き方だったとしましょう。

それを、「のびのびとできる場に移って、他の方法で年間50万円程度のお金を得る。後は工夫で満たす」とできるかもしれません。

ならば、「年間150万円分を、のびのびとできる場に移ることで、解決した」と言えますよね。

そういう「お金のために」という発想もいいかと思います。

 

もちろん、自由だからといって、楽ではありません。

むしろ、作業も多いし、毎日慌ただしく動いているぐらいです。

というのも、食費を浮かせたいなら料理も必要だし、欲しいものがあれば作る必要がありますからね。

ただ、それを「楽しい」と感じられる人で、なおかつそういう方向にもエネルギーが出せるのなら、それが苦にならないと。

 

まとめ

なので、自由が好きな人ほど、そういう「お金のために、のびのびとできる場に移る」という発想もいいかと思います。

「お金持ちを目指す」ではなくて、「自由持ちを目指す」と言ってもいいでしょう。

「有り余るほどの自由」をベースの豊かさとして確保して、それを元に他の豊かさを作っていくと。

 

もちろん死のリスクは高まりますが、能力でリスクを減らして、「死なないことよりも、生き生きとできること重視する」という道です。

そういう生き方も、一つの道かなと思います。

 

ということで今日は、「お金のために、のびのびできる場に移る」という発想もよさそう、というお話でした。

今日はここまで~。

この記事をシェア:
Share