今日は簡単に、精神的なお話です。
生き方は、身の丈に合わせるのがいいですよね、というお話です。
生きるスキルってのは、生活を身の丈に合わせること
とある人が、こう言っていたんですよ。
それが、「生きるスキルってのは、生活を身の丈に合わせることだ」ということですね。
これ、かなり本質をとらえた言葉じゃないかと思います。
まぁちょくちょく私が言っていることですが、実のところ、身の丈に合わせるのが一番心地よいんですよね。
それは当然で、自分にぴったり合う方が、心地よいですからね。
逆に、身の丈を超えたものを求めたり、「自分には価値はない」と自分を矮小化(わいしょうか)させると、苦しくなると。
これも当然で、もし身の丈を超えたことをしようとすると、無理をしなきゃいけないし、支出も増えてしまって。
同じように、もし自分を矮小化してしまうと、自分本来の価値を発揮できなくて、くすぶってしまうと。
「自分なりに満足できるのが素晴らしい」という発想
例えば食べ物でも、自炊が好きで毎日安くおいしいものを作れて、それで満足できるなら、それが最高だと思うんですよ。
すなわち、「高価な食材や食事を食べることが素晴らしい」ではなくて、「自分なりに満足できる形が素晴らしい」という発想ですね。
だいたい、「高いものでなきゃ満足できない」とか、なんかおかしいですよね。
だって、人間の生命維持にとって必要なものほど、人間は真っ先に確保しようとするものです。
だから、生命維持に必要なものほど、基本は安価に得られるものなんですよ。
米とか小麦、寝具、暖かい服でもそうで、手に入れようと思えば、それなりに安価で手に入るものです。
「高いものでなきゃ」は、自分本来の価値を見失っている
それなのに、「高いものでなきゃ満足できない」というのは、自分本来の価値を見失っているように感じます。
すなわち、それだけ自分の価値を実感できていなくて、満たされていない状態なんだと。
ある意味、「必要なものは安く手に入るのに、飢えている」と言えるでしょう。
そして、「高価なものなら、飢えや渇きを抑えられる」と思って高価なものを欲しているんですが、どんなに高価なものを食べても、満たされないわけです。
それは当然で、「高価なものなら、飢えや渇きを抑えられる」という戦略自体が、的外れだからですね。
本当は「高価であることと、飢えや渇きとは無関係」なのに、間違った手段で自分の欲求を満たそうとしているんですから。
すると、永遠に満たされなくて当然かなと思います。
多くの人が、間違った手段を用いている
世の中では、多くの人が、欲しいものがあるのに間違った手段を用いているように思います。
本当は安心や安らぎが欲しいのに、周囲を攻撃したり、批難したり。
本当は嫌な人や仕事と離れたいのに、「我慢しなきゃ」、「みんなと同じようにできなきゃ」、「立派な人間にならなきゃ」としたり。
他にも、よくあるのが、性格的に社会で生きるのには合わないのに、「休職していましたが、回復して、おかげさまで再就職できて、社会復帰できました。これでまた、真人間になれました」とか言っていたりするんですよ。
「え? 就職しなきゃ、まっとうな人間じゃないの!?」、「雇われにならなきゃ、サラリーマンじゃなきゃ、人間じゃないの!?」とか言いたくなるでしょ(笑
「不労所得を得ている人は、人間じゃなかったのか」とか、「起業家や経営者は、そもそも人間ではないのか」とか、思ってしまったりもするんですが(笑
きっと、その人にとっては、「雇われてサラリーマンとして生きるのが、人間だ」という感覚なんでしょう。
そこには、「社会の歯車として生きなきゃいけない」、「社会にどっぷり交わらなきゃいけない」、「社会で活躍しなきゃいけない」みたいな思い込みがあるように思います。
「社会から距離を取って、自分なりに生きる」という道があることを、知らないんですよね。
自分の身の丈に合わせるのではなく、「周囲の身の丈と同じようにならなきゃいけない」と思い込んでいると。
どれだけ別の生き方を知っているか
これは、どれだけ「別の生き方を知っているか」という問題なのかもしれません。
で、「別の生き方でもいい」と実例を得ている人ほど、気兼ねなく自分の身の丈に合わせられるように感じます。
それは、和服だけでなく、いろんなコスチュームデザインを知っている人の方が、自分に合う服を作れるのと同じです。
社会から思い切り距離を取って、自由に生きるのでも、別にいいんですよね。
で、そういう場所には、やっぱり「社会で歯車になるのって、しんどいよね」という自由好きな人がいるので、心からわかり合えたりして。
そうして、自分に合う人に囲まれて、工夫をしつつ、自分にできることをして生き延びてゆくことだってできるわけです。
そういう世界では、「高価な食事が素晴らしい」、「何でも人にしてもらうのが素晴らしい」という常識はないんですよ。
むしろ、「どうやって自分で作るのか」とか、「どうやって自分の身の丈に合わせるか」という部分が重要になって。
そうやって、「すごい、確かにあなたの個性に合っていていいね」という基準で、良い悪いを評価すると。
「高価だから素晴らしい」、「みんなからうらやましがられるから素晴らしい」ではなくて、「その人に合っていて素晴らしい」という判断基準で生きる、そういう生き方もある、ということです。
まとめ
そんな風に、「生きるスキルってのは、生活を身の丈に合わせることだ」という発想で生きるのもいいかと思います。
もちろん、社会で競争をして生きたいなら、見栄を張ったり、身の丈を超えたものをどんどんするのもいいかと思います。
でも、自分のペースで、自分のスタイルで、自由に生きたい場合、身の丈に合わせた生き方をする方がいいかなと思います。
これは言い換えると、「自分に都合よく生きる」ことかなと思います。
自分の都合がいいように、服でも生き方でも収益作りでも、「自分に近く触れるものほど、うまく自分の特性に合わせたものを用意する」ということですね。
「生き方でも、材料から自分なりに作ろう」という発想で、自分に合わせて自作していくと。
すると、心地よい生き方を作れそうに思ったりもします。
ということで今日は、生き方は、身の丈に合わせるのがいいですよね、というお話でした。
今日はここまで~。