今日も精神的なお話です。

「お金がないから、工夫ができるようになる」というお話をしてみましょう。

 

「お金さえあれば解決するのに」という問題

Twitterを見ていたら、「お金さえあれば解決するのに」、「結局は、お金がベストな解決策だ」と言っている人がいて。

確かにそれはそうなんですが、問題なのは「それを実現するための、十分なお金がない」ってことなんですよね(笑

 

そういう場合、その「ベストな解決策」に固執することはないように感じます。

すると、「お金がないから工夫ができる」と分かって、お金以外の解決策も見えてくるかな、と思います。

 

「結局はお金」は、「私はそれ以外の解決策を思いつけない」と同義

「結局はお金が問題だ」と言っている人は、「お金だけが解決策である」と思い込んでいるんですが、実際は違うんですよね。

実際のところは、「お金という最も安易な解決方法以外の解決策を、私は思いつけない」と言っているに過ぎません。

例えばお金を得る方法なんて山ほどあるのに、それらを完全無視して「お金さえあれば」と、一番最初に思いついた方法と比べて、「お金が一番楽だ」と言っているだけです。

 

それでお金が得られればいいんですが、だいたいの場合で、「お金さえあれば」という人にお金は来ないものです。

というのも、そういう意識だと、「できるだけ楽に、簡単にお金を得る方法が欲しい」と思っちゃうからですね。

 

すると、「誰でもできる」とか「簡単にできる」という道を選んでしまって、多くの人と競争になってしまうと。

簡単に言うと、歯車になろうとするわけです。

そして、「誰かに選ばれなきゃ、お金は得られない」となってしまって、他人軸の競争にはまってしまうわけです。

 

分かち合う人の方が、お金に好かれる

でも実際のところは、逆に「お金はどうでもいいや。どんどん自分の持つ余った豊かさを分かち合って、喜んでもらいたいな」という人の方が、お金は集まりやすいんですよね。

というのも、お金は「お金以外の価値と交換する手段」ですからね。

なら、「お金以外の価値」を多く提供する人ほど、結果としてお金が入ってくるわけです。

 

で、余らせたものを分かち合うから、欠乏意識も被害者意識も持たないし、自分を殺すこともなく、自分を追い詰めることもありません。

欠乏意識がないから、「余ってるなら、どんどん分かち合えばいいや」と、「相手から奪う」という発想がなくなります。

でも、ただやみくもにばらまくのではなく、「どうせなら、これを必要としている人にあげたい。そして、相手が喜ぶ形にしたい」とできます。

なので、自分軸を保てた上で、相手が喜ぶ形にできます。

だからこそ、相手も感激しやすいし、ファンもできやすいと。

 

「無駄に余ったもの」は結構ある

そして、私たちの周囲には、そういう「無駄に余ったもの」って結構あるんですよね。

お金は余っていなかったとしても、何らかの情熱が余っているかもしれませんし、特定のものへの好奇心とか、無駄になっている個性とかあるかもしれません。

それだけでなく、「近所には、やたらとこういうものがある」という要素とか、「こういうものが多すぎて、困っちゃう」という環境的な要素も、「余ったもの」になります。

そういう可能性をうまく使える人が、豊かさに恵まれるように感じます。

 

ある意味、工夫というのは、そういう「身近にある無駄に余ったものを使って、別の豊かさを作ること」だと言えるでしょう。

だから、工夫ができる人ほど、豊かさを得やすいと。

 

そして、お金がなかったとしても、豊かさを作れると分かります。

それは、「お金以外の豊かさ」をどんどん与えることで、お金は入ってくるからですね。

 

工夫をできるようになると、お金はさして必要なくなる

実のところ、工夫をできるようになると、お金はさして必要なくなるんですよね。

だって、工夫で欲しいものを直接得ればいいので、わざわざお金を仲介させることもなくなる、ということも結構あるからで。

 

その上、余っているものを分かち合って喜んでもらえるので、無駄に見栄を張る必要もなくなるし、分かち合うこと自体で充実できます。

なので、あまり贅沢とか浪費、「見せつけるための消費」をしなくなります。

そして、「そんなことにお金を使うぐらいなら、誰かが喜ぶ形で使おう」と、お金自体も「誰かのため」に使えるようになります。

私自身は、こういう「誰かのために使えばいい」とできる人が、本当の「余裕のあるお金持ち」かなと思ってます。

 

まとめ

そういうこともあって、個性のある人ほど、「結局はお金だ」と言ってしまうと、苦難の道に入りそうに感じます。

むしろ、工夫を重視する方が、「楽しく熱中できることをしつつ、お金もついでに入ってくる」という感覚で、楽しめそうに感じます。

 

ある意味、「お金さえあれば」と言う人ほど、「一番自分が何も考えずに、自分が動かずにすんで、楽にすむ方法」を夢想しているだけのように感じます。

それはきっと「自分を殺す方法でしか、お金を得られない」と思い込んでいるからじゃないかな、と思います。

 

でも逆に、「自分が楽しんで、自分を生かして、ついでにお金も入ってくる」という道もありうると分かると、だいぶ発想が変わるかと思います。

特に個性の強い人ほど、個性がそういう手段と結びつきやすいので、「自分を生かして、喜んでもらう」を作りやすくなるかと思います。

 

そういう発想ができると、お金に対する感覚も変わるかもしれません。

 

ということで今日は、「お金がないから、工夫ができるようになる」というお話をしてみました。

今日はここまで~。

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