今日は、発想転換のお話です。

「勝負を始める前に、勝負を決めよう」というお話です。

 

決まったルールだと、戦いにくい

とある漫画を見ていると、将棋で勝負をしている場面があったんですよ。

それで、「勝った方が優れている」と決めるわけなんですが。

 

でも私の場合、そういう場面を見ると、「私の場合、そういう勝負は苦手だな」と感じたりもします。

というのも、将棋ってルールが決まっているじゃないですか。

「駒はこう動かさなきゃいけない」とか、「相手はそれなりに考える時間が確保されている」、「対戦者の思考を邪魔しちゃいけない」みたいに、いろんなルールがあるもので。

そういうルールでがちがちに決められた戦いというのは、私には不向きだなと感じるんですよね。

 

「勝負を始める前に、勝負を決める」という発想

逆に、自由にできるほど、私は強さを発揮できそうに思ったりもします。

すなわち、「勝負を始める前に、勝負を決める」という発想の方が、私は強いかなと。

 

「勝負を始める前に、勝負を決める」というのは、「実際に盤面の前に座る前から、すでに戦いは始まっている」と認識することですね。

ちなみに私は結構こそくな手も考える人なので、いろんな方法があると思うんですよ。

例えば、「下剤を仕込んで、対戦相手を弱らせておく」とか、「対戦相手を事前に暗殺する」とか(笑

まぁそこまでしなかったとしても、「素人に見せかける」、「アホに見せかける」とか、「それで相手を油断させる」、「相手にハンデを認めさせて、飛車角落ち(相手が飛車と角を使わない勝負)に持ち込む」とか。

 

もちろん、そういう手段は一度きりしか使えないことが多いので、要所となる戦いでそれを投下できるように導いてゆくと。

そうして、要所中の要所でうまく仕掛けて、一撃で仕留める、みたいな。

 

前段階で勝負を決めておく方が楽

言うなればこれは、孫子の兵法タイプですね。

「戦いは盤面の前に座る前から始まっていて、むしろその前段階で勝負を決めておく方が楽」という発想です。

 

で、こういう発想の方が、より勝ちやすい状況を作れるように思います。

例えば、漫画でも「新人賞に受賞できない」とか、会社でも「成績を上げられない」、「みんなと同じように我慢できない」とかあるかもしれません。

すなわち、「なかなか勝てない」とか、「他の人より優れた状態になれない」っていう状態に陥っていて、どんなに頑張っても他の人のようにできないような状況です。

 

そういう場合、「盤面に座る前の勝負」を考えてみましょうよ、ということです。

「新人賞の原稿を書く」とか、「会社のデスクに座る」という盤面に座る前に、すでにその段階で勝負は決まっているのではないのか、ということです。

 

自由な発想ができるほど、いろんな可能性に気づく

すると、自由な発想ができる人ほど、いろんな可能性があることに気づくでしょう。

例えば、「そもそも新人賞は、自分にとって勝ちやすい戦場なのか」とか、「他に勝ちやすいフィールドがあるんじゃないか」、「出版社に頼る必要すらないのではないか」、「そもそも、出版自体にこだわらなくてもいいのではないか」などと発想できます。

会社でも同じで、「そもそもなぜこの会社で戦わなければならないのか」、「もっと勝ちやすい、自分の才能を十分に使える場があるんじゃないか」、「そもそも、会社員にならない戦い方もあるのではないか」、「毎日多くの時間を費やさなくても、自動化できる戦い方もあるのではないか」とかできるかもしれません。

 

実際に、「その盤面」で戦わなければいけない、なんてことはありませんよね。

世の中にはいろんな盤面があるし、「目の前の盤面」というのは、巨大な世界の中にある、ごくごく限られたローカルルールの盤面でしかありません。

 

南の国で遊んで暮らしている人もいれば、日がな一日釣りをして楽しんで暮らしている人もいるわけです。

起業してビジネスをやっている人もいるし、半自給自足でゆったり生きている人もいて。

ただ、そういう人はあんまり誇らないし主張しないので、そういう人がいることに気づきにくいだけです。

 

「不毛な戦いに参加しない」ということ

これは裏を返すと、「不毛な戦いに参加しない」ということですね。

そういう意味でも、ひょっとすると一番不毛な盤面というのは、「スマホに表示されたSNSの論戦場面」なのかもしれないんですが。

実際にSNSでやかましく声を上げているような人って、余裕がなくて、打開策が見えない人ばかりでしょ。

 

余裕があって、打開策がいくらでも見える人は、やかましく声を上げる必要なんかありません。

余裕がある人にとっては、そんな論戦に加わるよりも、ゆったり人生を楽しんだり、好きなことに熱中したり、より利益を作ったり、喜んでくれる人を喜ばせたいんですから(笑

「なんでわざわざ、しんどい場所に自分から首を突っ込まなきゃいけないの?」ってことですよね。

 

「そういう盤面に座る前に、勝負はすでに決まっている」ということです。

ある意味、不毛な盤面に座ること自体が、すでに大局的には敗北を意味していることになります

そのために、盤面に座る前の戦いに注目しましょうよ、ということです。

すると、「一つ前の選択肢」が目に入ってきます。

そうやって、「目の前の盤面での勝利」にこだわらずに、より大局的に見ていくわけですね。

 

「目の前の勝利」なんて、結構どうでもいい

多くの人が、「目の前の盤面で勝たなきゃ、馬鹿にされる」、「目の前の盤面で勝てないような奴は、どこでも勝てるはずがない」、「逃げてはいけない」と思っているように感じます。

でも実際は、目の前の盤面で行われる戦いなんて、ほとんどの場合で、人生においてはごくごく局地的な、どうでもいい戦いでしかありません

だいたい、ごく限られた要所の戦い以外は、「今日1日の戦い」に勝っても負けても、さして人生には大きく響きませんよね。

 

でも、「その前の選択肢」を変えてゆくと、より大きく人生を変えられます。

そして、たった一つ変えるだけで、ぐっと勝ちやすくできたりもするわけです。

 

それが分かると、「あ、勝てない戦いは退却すればいい」と素直に分かります。

そしてそれが、人生で敗北を意味するわけではありません。

むしろ、要所で勝つために、そして戦力を温存するために、撤退するんですから。

 

織田信長だって、結構負け戦をやっているんですよ。

戦国最強だった上杉謙信ですら、勝率は6割程度だったとか。

ただ、上杉謙信は負けにしない、すなわち引き分けにするのがうまかったし、おそらくそれは「負け戦には出ない」を徹底していたからだろうな、と思います。

 

まとめ

そんな風に、「戦いは盤面の前に座る前から始まっていて、むしろその前段階で勝負を決めておく方が楽」という発想をするのもいいかと思います。

「そもそも、そんな目先の戦いで少し勝ったとしても、人生で何の利益があるの?」ってことですよね。

SNSで見知らぬ人との論戦に勝ったからと言って、それが自分にとってどれだけの豊かさになるのか、ということです。

そんな場所に労力をつぎ込むのは、無駄に自分の資源を疲弊させるだけではないか、ということです。

 

ある意味、そういう無駄な戦いからはさっさと撤退できる方が、人生をより向上できそうに感じます。

そして、「その一つ前の選択肢」に着目して、何が重要なのかを見極めるわけですね。

で、要所に時間と労力をかけて、より効率的に安心とか安全、豊かさを実現してゆくと。

 

そういう発想ができると、不毛な戦いをやめられて、より人生をよくしていけるかもしれません。

 

ということで今日は、「勝負を始める前に、勝負を決めよう」というお話でした。

今日はここまで~。

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