今日は、思いっきり精神的なお話です。

「依存していい」というお話です。

 

「依存しちゃいけない、自立しないといけない」って、本当?

私たちは「夢を実現したい」と思っているものですが、今の自分ではできないことってありますよね。

できないことがあるから、夢を実現できないんですから。

すなわち、夢を実現したい場合、必ず「できないことができるようになる」ということが必要になります

そんなとき、「できないことをできるようにする」ためには、どう考えればいいのか、ということです。

 

よく、「依存しちゃいけない、自立しないといけない」って言いますよね。

教育の世界でも、「依存はいけません。自立が大切です」とか言うものです。

だから頑張ろうとしたり、自力でできるようになろうとしたり、競争に勝とうとしたりするわけですが。

 

でもその一方で、「完全に何にも頼らずに生きるなんて、無理だよな」っていう矛盾がありますよね。

例えば食べ物にしても、私たちは他の命がなければ生きていけないわけで、それは他の生物に依存していることになります。

空気がなければ呼吸できませんし、そもそも地球がなければ生まれることすらできなかったわけです。

なら、私たちは他の生命とか、空気とか、地球とかに少なからず依存しているわけで、「完全な自立」なんてできそうにないと分かります。

 

「じゃあ結局のところ、誰もが何かに依存している状態で、自立をするって本当にできるの?」と疑問が浮かびます。

これについて、どう考えればいいのか、というお話です。

 

自立とは、依存先を増やすこと

この矛盾を見事に解決した、新しい考え方があったので、ご紹介。

インタビュー 自立は、依存先を増やすこと 希望は、絶望を分かち合うこと(公益財団法人東京都人権啓発センター)

 

簡単に内容を言うと、「自立とは、依存先を増やすことである」ということですね。

依存できるものを減らすのではなくて、増やせば増やすほど自立できる、ということです。

 

上記の記事から引用してご紹介。(ちなみに上記記事の筆者は医者であり、車いすを必要とする状態の人です)

東日本大震災のとき、私は職場である5階の研究室から逃げ遅れてしまいました。
なぜかというと簡単で、エレベーターが止まってしまったからです。
そのとき、逃げるということを可能にする“依存先”が、自分には少なかったことを知りました。
エレベーターが止まっても、他の人は階段やはしごで逃げられます。5階から逃げるという行為に対して三つも依存先があります。
ところが私にはエレベーターしかなかった。(中略)

これが障害の本質だと思うんです。つまり、“障害者”というのは、「依存先が限られてしまっている人たち」のこと。(中略)

実は膨大なものに依存しているのに、「私は何にも依存していない」と感じられる状態こそが、“自立”といわれる状態なのだろうと思います。
だから、自立を目指すなら、むしろ依存先を増やさないといけない。

 

依存先が少ないから、苦しくなる

まさにこれですよね。

例えば収入源でも、収入源が1つしかないから依存状態になってしまうんですよ。

「そこを切られたら、お金が得られなくなる」という状態だから、嫌なことをしなければならなかったり、理不尽でもやめることができないわけです。

でも、収入源がいくつもあれば、「この仕事はやめて、他の仕事で稼ごう」と、嫌な仕事はせずにすみます。

だから、収入源という依存先は、多くあればあるほど自由にできて、自立できると。

 

収入源だけでなく、人間関係でも、健康でも、豊かさでも、生き方でも、いろんな手段(依存先)があるものです。

そういう依存先が多くある人ほど、「自立している」というわけです。

だから、「依存しちゃいけません」ではないんですよね。

「どんどん依存しなさい。そして、その依存先を増やしなさい。すると、あなたは自立できますよ」ということです。

 

もちろん、その依存先には、「自分自身の力」も含まれます

時に応じて自分の力に頼ることだってできますし、その能力を育てることで、より可能性を広げることもできるでしょう。

ただ、それは「多くある依存先の中の一つ」だということです。

これが分かれば、「自分の力を育てて使うこと」が一番効果的であればそれを使えばいいし、そうでなければ他の依存先に頼ればいい、と分かります。

 

強くならなくてもいい、弱くてもいい

これ、すごい発想で、しかも見事に冒頭の矛盾を解決して、的を射貫いていますよね。

久しぶりに、衝撃的だった考え方でした。

 

私たちは別に強くなくてもいいし、強くならなくてもいいし、弱くてもいいんだ、ということです。

ただ、その状態で、自他問わずに可能性や手段を見つけ出せばいいだけです。

その手段が多ければ多いほど、自由に生きられます。

 

そういえば、私自身もまさにそうでした。

私はゲーム制作とかアニメ制作、本作りとか、いろいろ好きにやってきましたが、それは多くの依存先を持っているからなんですよね。

ゲーム制作の場合、良質なゲームエンジンであったり、素材や人材、お客やファン、販売先がいてくれたからこそ、売ることもできたし、独立することもできたと。

今でも私は、多くのファンやこのブログを見てくださっている方々に支えられて、生きることができているわけで。

 

それだけでなくて、食べ物も依存していますし、住む場所も依存していて、私は私自身の体にも依存しています。

その上で、足りない部分を自分の力で補ったに過ぎません。

すると、「豊かさ」というのは、「依存先」と言えるんじゃないかと思います。

 

依存先は排除するものではなくて、むしろ歓迎するものです。

依存先を排除しようとするから、貧しくなっていくと。

「自分が頑張らなきゃいけない」も、他の手段が少ないという貧しい状態になります。

自分の周囲にある豊かさに気づけば気づくほど、頑張らなくてよくなって、楽に、楽しく生きられます。

 

まとめ

そんな風に、「自立とは、依存先を増やすことなんだ」と考えると、私たちはとても自由になれるように思います。

そして、変な思い込みもなく、最も適切な手段を選べるようになると。

 

「頑張らなきゃいけない。自力でやらなきゃいけない。頼っちゃいけない」なんてことはないんだと。

むしろ、「自分でやってもいいけど、頼ってもいい。頑張ってもいいし、頑張らなくてもいい」というスタンスですね。

「自分でやった方が、未来のためになって、生産性が最大化できそう」と分かれば、自分でやればいいと。

でも、「他の人に任せる方が、未来のためになって、生産性が最大化できそう」と分かれば、他の人に任せればいいんですよ。

 

この自由さがあれば、無理をすることなく、効率は一気に上がって、うまくいくようになるんじゃないかと思います。

 

ということで、今日は「依存していい」というお話をしてみました。

今日はここまで~。

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