今日は、生き方のお話です。
一人でもファンができたとき、すでに「何者か」になっている、というお話をしてみましょう。
「私は何者かになりたかった」の「何者」って誰?
以前、どこかで「死ぬときに後悔すること」みたいな記事を見たんですよ。
その中に、「私は何者かになりたかった」というものがあったのを、覚えていたりします。
きっと、「自分にしかできないような特別なことを、人生で何もできなかった」という後悔なんだろうと思うんですが。
で、ふと思ったんですよ。
「その『何者か』って、誰がどう決めて、どういう人になるねん」みたいな(笑
自分が決めるのか、他人が決めるのか、何を基準に決めるのか、いまいちよく分からないですよね。
いやぁ、私はこういう人間の認知的なことが好きなので、ついいろいろ考えてしまうという(笑
一人でもファンができたとき、すでに何者かになっている
それでまぁいろいろ考えてみたんですが、私の中では、「一人でもファンができたとき、すでに何者かになっている」んじゃないかと思います。
そもそも、「何者かになりたかった」というよりも、より正確な欲求は「誰かにとって、特別な存在になりたかった」じゃないかと思います。
だって、自分は「今の形でも自分」だし、存在としてはすでに「何者か」なわけですよね。
その「今の自分」を否定して「何者か」になりたいというのは、「何らかの関係性が欲しかった」ということを意味するように感じます。
そして、その「何者か」には、語幹として「特別なもの」というものが含まれるからですね。
ファンとは、「誰かを特別に重要視すること」
なら、「何者かになる」のはさして難しいことではなくて、「一人でもファンができたとき、すでに何者かになっている」と言えます。
それは、ファンって「誰かを特別に重要視すること」だからですね。
そしてファンからは、多面的に見てもらうのでいいように思います。
例えばミュージシャンの場合、ファンからは「歌詞が好み」とか「メロディが好き」、「生き方が好き」、「性格が好き」、「同じ地元出身だから」みたいに、いろんなファンになる要素があるでしょう。
つまりファンからすると、ファンが一人一人、その人なりの「この人は、こういうことで特別な人」という「何者か」ができているわけです。
なら私たちは、「私はこういう人である。これを提供している人である」と、無理に提供している価値を決める必要はなくなります。
ファンが一人一人、あこがれる要素を私たちから得て、豊かになってくれればいいと。
裏を返すと、私たちは「私は作家です」、「ブログを書いてます」、「SNSで情報発信しています」と言っても、実のところ相手はいろんな価値を受け取ってくれている、ということです。
1つ「いいね」がついた時点で、すでに「何者か」になっている
それが分かると、「何者かになりたい」と願う必要はないように思います。
それどころか、SNSで1つ「いいね」がついた時点で、すでに「何者か」になっていると分かります。
だって、その「いいね」は、誰かが「多くの情報の中から、それを特別に好きだと選んだこと」を意味するんですから。
たとえ「いいね」が押されなかったとしても、それはただ、見ている側が押せないだけかもしれません。
「自分がその言葉を見て感激していることを、情報発信者に知られると気恥ずかしい」
「周囲に『こういう励まされる言葉が好き』、『癒やしを欲している』と知られると、周囲から嘲笑されるかもしれない」
そういういろんな事情があることで、好きな言葉でも「いいね」を押せないこともあるものです。
なら、「いいね」がなかったとしても、その画面の向こう側には、その言葉に励まされている人もいるかもしれません。
特に、苦しんでいる人向けに情報発信している人ほど、そういう「隠れて応援しているファン」が多くなりそうに思います。
まとめ
なので、「何者かになりたい」を実現するのは、それほど難しいことでもないし、仰々(ぎょうぎょう)しく考えることでもないように思います。
ファンが一人でもできたとき、一つの作品、一つの言葉で、たった一人でも誰かに喜んでもらった時、すでに「その人にとっての、何者か」になっている、ということです。
自分の価値観を出して生きていれば、意外と周囲に影響を与えているものなんですよ。
なら、「何者かになりたい」と言うよりも、「すでに『いろんな何者か』になっているのに、自分の素質に気づけていないだけだ」とも言えるかと思います。
つまり、自分の良さとか、影響度に気づいていないだけなんだと。
この辺が分かると、「何者かになりたい」ではなくて、「自分がこれまで周囲に与えてきた、そしてこれから与えられる影響に気づけばいいだけだったんだ」と分かるかと思います。
すると、「今からでも、できることがある」と分かって、自分なりの生き方や行動ができるかもしれません。
ということで今日は、一人でもファンができたとき、すでに「何者か」になっている、というお話でした。
今日はここまで~。