今日は精神的なお話です。

「感情的になっている人に、正論を語っても無駄」というお話をしてみましょう。

 

感情的になっている人に、論理は通用しない

「感情的になっている人」って、いるじゃないですか。

例えば今回のコロナウイルスでも、SNSのトレンドを見ると、もうすごい感情的な勢いですよね。

 

そして、そういう人は、論理が通用しないんですよ。

論理とか数値で説明しようとしても、相手はそんなのお構いなしで、思い込みだとか、自分の中の予測を真実だとして攻撃してくると。

 

そういう人は、もう論理も何もなくて、めちゃくちゃですからね。

たとえ自分がこじれていても、混乱していても、支離滅裂なことを言っていても、「自分が混乱している」ということすら理解できないと。

で、ただただ思い込みで突っ走ってしまって、そういう人は後々痛い目を見ることになるんですが。

 

死の恐怖を前にすると、人は論理を捨てる

私の中では、こういう「感情的になっている人」には、正論とか論理を語っても無駄なように感じます。

実のところ、人は強烈な死の恐怖を感じると、論理を考えなくなります

だって、腹を空かせたライオンを前にして、「私は逃げるべきか、どうか」なんて考えていたら、食われてしまいますからね(笑

なので、「死を目の前にすると、自分の命を守るために、あえて理性を失う」という、生命の仕組みがあるわけです。

 

今回のコロナウイルスでも、まさに「命を失う危機」でしょ。

だから、多くの人が理性を失って、自分が混乱していることすら分からずに、感情的に反応し続けているわけです。

 

説得したいなら、まずは「安心させること」

もし相手を説得したい場合、正論や論理よりも、まずは「安心させること」かなと思います。

「少なくとも、今は大丈夫」、「1時間ぐらいは、死ぬことはない」、「1日は死ぬことはない」、「1週間ぐらいは大丈夫だよね」みたいに、安心な領域があることを感じさせて、その領域を広げていきます。

すると少しずつ理性を取り戻せるので、論理的に考えられるようになると。

 

とはいえ、そういう「安心させること」って、結構な手間でもあったりします。

一人一人状況は違うので、それぞれ安心な要素とか、豊かにある要素を見つけ出してあげて、「まだ十分に命の余裕も、豊かさもあるよね」と示してあげる必要があります。

 

一方で、死の恐怖をあおるのは結構簡単です。

「こういう死が来ている! あなたのすぐそばに来ている!」と恐怖をあおれば、正確な論理はさして必要なくて、混乱と動揺は広がります。

 

「自分だけは自分の準備をしておく」という発想

そういうこともあって、恐怖が蔓延しているときに、「大勢を安心させること」というのは、だいぶ難しいんじゃないかと思います。

なら、「周囲は周囲が騒ぐに任せておいて、自分だけは自分の準備をしておく」というのがいいように思います。

簡単に言うと、見捨てるわけです。

「見捨てる」というと、なんだか薄情なイメージがあるかもしれませんが、これが実質で効果があるものかな、と思ったりもします。

 

というのも、自分が誰かを助ける場合、人を救うのは余裕なんですよね。

自分が余裕を多く持っているから、他者にその余裕を分かち合うことができると。

余裕がないから、欠乏感を周囲に満たしてしまって、奪い合いが生まれるんですから。

そして、救えない人まで救おうとするから、余裕を失うと。

なら、余裕に注目すること、すなわち「自分の安心を確保して、それを広げてゆく」というのが、他者から奪うことなく、着実な効果があるアプローチだと分かります。

 

救えない人を救う必要はない

例えば「自分が乗っているタイタニック号が沈みつつある」と分かったとき、自分用の小舟をしっかりと準備しておくことですね。

大勢の人を乗せる必要はありません。

まずは自分と、自分にとって大切な人を乗せられる大きさで十分です。

で、それを誇ることもせずに、こっそりと用意しておくと。

可能であれば、分かち合う分も作ればいいでしょう。

 

なら、時が来ればその小舟で逃げればいいわけです。

救えない人を救おうとする必要はなくて、自分の器で助けられる人だけを助ければいいと。

 

私からすると、感情的になっている人ほど、準備とか対策をそっちのけにして「誰々のせいだ」としているように感じます。

本当に欲しいものは、「自分が助かりたい。自分が安らかにいたい。豊かさを失わずに、豊かでいたい」という安心かなと思います。

なのに、理性を失うことで、最も重要なそれらを確保できなくなっていると。

 

言うなれば、台風が来ているのに、「どうして台風が来るんだ! 許せない!」と嘆き続けているようなものです。

もし理性のある人であれば、その間に台風への準備とか、対策をします。

なのに感情的になっている人は、現実を否定したり、攻撃するばかりで、準備がまるでできていないと。

そして気がつくと、台風が目前に迫っていて、スーパーの棚にはわずかしかなく、食料も安全も確保できておらず、熾烈な奪い合いが起きると。

 

まとめ

そういう意味でも、論理を通用するには、安心が必要になるかなと思ったりもします。

私たちは恐怖を目の前にしても、まぁ多少は生きられる余裕があるわけで。

その余裕を元に、さらに余裕を作っていくと。

 

これは短期的なものだけでなく、長期でも同じです。

人は、どのみちいつか死にますからね。

その「いつか来る死」に対して、恐怖を覚えるのではなく、「少なくともしばらくは大丈夫だ」と安心を作ると。

そういう安心の積み重ねが余裕を作って、その余裕でさらに豊かさを作ってゆく、という発想です。

 

こういうアプローチが分かると、「感情的になっている人を、理屈で反論して、説得しよう」というのは、あまりしなくなるように感じます。

「そういうのは、無駄が多いな」みたいに感じるわけですね。

むしろ、自分なりの安心を作って、それを分かち合うぐらいの方が、より効果がありそうに思ったりもします。

 

これが分かると、無駄な疲弊を回避できて、自分から余裕を作って、周囲に分かち合えるかなと思ったりもします。

 

ということで今日は、「感情的になっている人に、正論を語っても無駄」というお話をしてみました。

今日はここまで~。

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