今日は、お金のお話です。

なぜ「寄付と投資は本質的に同じ」と言えるのか、ということについてお話ししてみましょう。

 

「お金の使い方を知る」という必要性

ってことで、今日のネタ記事です。

「寄付も投資もしない」日本人のお金の使い方が残念すぎる理由(President Online)

 

記事タイトルはだいぶあおり系ですが、内容はしっかりしていて、「お金の使い方」についての説明です。

「寄付と投資は、余っているお金を与えるという点で、同じ意味を持つ。どちらが利己的、利他的とは言えない」

「寄付とは、(ある一定の率で)国に税金の使い方を指定することと同義である」

記事の中身では、そういう内容を説明しています。

 

「お金の使い方」は、人生では役立つ

私はこういう「お金の使い方を知る」っていうのは、人生では役立つことだと思うんですよ。

だいたい、お金って私たちが日常を送る上で、とても大切なものですよね。

でも、その「お金の使い方」については、学校でも、日本では家庭でもなかなか教えてくれないことが多いように感じます。

場合によっては、「借金をするな」、「無駄遣いするな」、「貯金しろ」ぐらいしか教わらないかもしれません。

 

なので、「お金の使い方」について知りましょうよ、ということですね。

そして、「お金の使い方」の中の一つとして、寄付と投資があります。

で、私の中では、「寄付と投資は本質的に同じだな」と感じています。

なので今日は、そんな「寄付と投資は本質的に同じ」という内容とか、お金について、私なりに解説してみましょう。

 

寄付と投資は、どちらもお金を分かち合うこと

改めて説明すると、私の中では「寄付と投資は本質的に同じ」だと思っています。

なぜかというと、「どちらもお金が足りない人に、お金を分かち合い、社会をよくすること」だからですね。

そして寄付の場合は、お金をもらった人が元気になったり、生存することで、社会に貢献して。

一方で投資の場合は、その人がより価値を作ることで、社会に貢献すると。

 

ある意味、投資をすることで、社会がより低コストで食べ物やものを作れるようになると、それは寄付と同じことだと言えます。

言うなれば、「投資は長期的に、寄付で満たしたいことを満たす」と言えます。

一方で、寄付はそれを受け取った人が元気になったり、子供の場合は成長したりすることで、社会に貢献できるようになります。

言うなれば、「寄付は長期的に、投資で満たしたいことを満たす」とも言えます。

だから寄付と投資は、本質的に同義であると言えるわけです。

 

言うなれば、「鶏が先か、卵が先か」という話です。

「寄付をして人に食べ物やものを与えれば、その人が元気になって、後々に社会に貢献する」と言えます。

同時に、「投資をして食べ物やものをより低コストで多く作れれば、多くの人をより助けられる」とも言えます。

だから、「鶏が先か、卵が先か」と「投資が先か、寄付が先か」は同じだと言えます。

それらはどちらも、「長期的に考えると、対極側を作り出すもの」なわけですね。

 

「得られるもの」も本質では同じ

まぁ、人によっては、「投資は配当というメリットがあるやん。利益があるやん」と感じるかもしれません。

でも、寄付にも「社会の底上げができるため、自分の属する社会がよくなり、発展する」というメリットがあります。

すなわち、「どちらも自分へのメリットはある」ということです。

そのスタイルの違いでしかありません。

 

こちらも、「鶏が先か、卵が先か」と同じ関係です。

ある意味、寄付をすることで、社会全体が豊かになって、それで自分の属する環境をよくできるわけです。

言うなれば、「寄付とは長期的に、投資で得られるものを得る」と言えます。

一方で投資は、投資先から直接配当を受け取ることで、それを再投資して自分の属する環境をよくできると。

だから、「投資とは長期的に、寄付で得られるものを得る」と言えると。

 

自分が先に豊かになるか、他者を先に豊かにするか

もっと分かりやすく言うと、これは「自分が先に豊かになるか、他者を先に豊かにするか」という問題でしかありません

「人々を幸せにせよ」とか言いますが、その「人々」には「私たち」も入っているんですよね。

他の例で言うと、「人に親切をしなさい」の「人」には、私たち自身も入っている、という考え方です。

 

なら、「技術的に周囲を豊かにできる力があるなら、投資でそれを伸ばせばいい。余らせた豊かさができたら、寄付で分かち合えばいい」と分かります。

「足りなければ、分かち合う人から受け取ればいいし、余っていれば、足りない人に分かち合えばいい」と分かると、シンプルですよね。

その「自分と他人を対等に扱って、豊かになってゆけばいい。どちらも豊かにしていく方法論だ」ということです。

なので、「寄付と投資は、本質的に同義である」と言えます。

 

劣等感を持つと、これが分からなくなって、片方に寄ってしまいやすいでしょう。

もし「周囲の方が、自分よりも価値がある」的な言い方で劣等感をあおる人は、「寄付ばかりが優れている」と言うでしょう。

一方で「周囲よりも、自分に価値がある」的な言い方で劣等感をあおる人は、「投資ばかりが優れている」と言うでしょう。

これは、どちらも劣等感に影響されていると言えます。

でも実際は、周囲と私たちは、どちらが上で、どちらが下でもなく、対等なものなんですよね。

 

本質が分からないから、寄付でも投資でも詐欺や奪い合いが起きる

これが分からなければ、寄付も投資もうまくいかないように感じます。

それは、「奪うための組織」にお金を渡すと、どんどん社会から奪って社会が悪くなる結果をもたらすからですね。

詐欺的な投資があるのと同じように、詐欺的な寄付とか、奪い合い、「親切の押し売り」みたいなことが生まれてしまうわけです。

結構あるでしょ、慈善団体や宗教団体のはずなのに、末端の組合員が寄付や布教を強要したり、上層部が腐敗して、自分のために寄付金を使っていたりだとか。

会社でももちろん、同じようにあるものです。

 

なので、何も考えずに「お金を出せばいい」とすると、奪うための投資とか、奪うための寄付になりやすいように感じます。

寄付も投資も、「どこにお金を分かち合うのかを選ぶ」ということが重要になります

どっちも財務諸表でお金の使い方を見たり、組織形態とか活動形態、理念、組織トップの人間性、そういうものを見て選ぶ必要があるでしょう。

「ただ寄付すればいい」と言うのは、「ただ投資すればいい」というのと同じぐらい、危険なことだと分かります。

 

私たちは、すでに金融システムに組み込まれている

日本では投資の教育も全然ないように感じます。

そして、寄付も投資もせずに、ただ「お金を貯め込んで、何も投資せずに持っておく」ということになりやすいように思います。

 

でも、正確に言うと、私たちはすでに投資をせざるを得ないんですよね。

ちなみに投資というのは、基本的に「お金を、どのように価値を維持しつつ(もしくは増やしつつ)、持っておくのかを決めること」でもあります。

だから、「預金」というのは、投資の一形態でもあると。

 

それに、今は私たちが意識しようがしまいが、日本円などの「通貨」を使っている時点で、私たちは金融システムに組み込まれています

「私は怖いから、FX(為替取引)なんかしない」とか言う人がいますが、私たちは日本円を使っている時点で為替取引をすでにしているわけです。

だって、「私は世界中の通貨の中から、何も考えずに日本円だけを選んで、そこに一点集中投資しています」と同義なんですから。

「私は何も選んでいない」ように見えて、実は「何も考えずに、一点集中投資をしている」と言えると。

 

それって、結構怖いことですよね。

だって、日本円の価値は、日に日に変わっていくんですから。

私たちは「100円には100円の価値がある。100円という額で固定されていて、持っている価値は変わらない」と思いがちですが、「その絶対的な価値」はどんどん変化しています。

もちろん考えてそうしているのならいいんですが、そうではない場合、少し恐ろしいことだと分かります。

 

欧米の人ほど、「お金の使い方」を教えている

で、欧米の人は、こういう投資についてしっかりと家庭で教えているように思います。

というのも、欧米では「お金の価値」は、結構大きく変わる歴史があったからじゃないかと思います。

特にユダヤ人はお金や豊かさへの教育がしっかりしている民族なんですが、ユダヤ人は歴史的に自分の国を失って、世界中に散らばらざるを得なかったんですよね。

だから、ユダヤ人は「通貨」ですら信用できなかったと。

なので、そういう教育がしっかりしたんじゃないかなと思います。

 

それと同じように、「お金(正確には通貨)」を絶対的な豊かさとして考えると、これからは痛い目を見そうに思います。

日本円の価値は、どんどん変わりますし、私たちはそんなシステムの中に組み込まれているわけですから。

まぁお金を使わずに物々交換をすれば、そういうシステムから離れられますが、やっぱり物々交換は面倒ですからね。

なので、お金という便利なものをうまく使いたい場合、投資(お金を別の形にしておくこと)についても知っておくといいかと思います。

 

で、投資で豊かになるということは、寄付で豊かになるということと同義です。

だから、寄付感覚で投資すると、きっと投資もうまくいくんじゃないかと思います。

「この人たちを助けよう」、「この会社にお金をもたらすと、きっと未来にいい価値を作ってくれる」、「未来はこれが大切になる」、そう考えることにお金を使うわけですね。

すると、いい寄付ができるのと同じように、いい投資ができるかと思います。

寄付のコツと、投資のコツは、同じなんだということです。

 

まとめ

なので、「寄付と投資は本質的に同じ」だと言える、ということですね。

そう考えると、お金の使い方について、より一歩を踏み込んで考えられるかなと思います。

 

そしてこのブログでも、これからもいろいろとそういう内容には触れていこうかと思います。

 

ということで今日は、なぜ「寄付と投資は本質的に同じ」と言えるのか、ということについてお話ししてみました。

今日はここまで~。

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