今日は、人間の性質についてのお話です。

変化できない人は、「知らない味」を「まずい」と表現する、というお話をしてみましょう。

 

「緑茶+砂糖」、「カルピス+紅茶」という異端

最近は暑いですよね~。

なので最近の私は、寒天ゼリー作りにハマっていたりします

冷たいし、自作なので低糖質にできて、食後のデザートとしてよく楽しんでいたりするんですが。

 

それでいろいろ味の組み合わせも試しているんですが、面白い発見もあったんですよ。

例えば「緑茶+砂糖」とか、「カルピス+紅茶」って、普通の日本人的感覚からすると異端じゃないですか。

実際にネットで見てみると、「カルピス+紅茶」なんて、「口に含んだだけで、まずくてはき出した」みたいな人もいて。

 

でもこれって実は、「知らない味」を「まずい」と言っているだけなんですよね。

つまり、変化できない人ほど、大人になると「知っている味」=「おいしい」として、「知らない味」=「まずい」とするんだと。

これが分かると、「世の中には意外と多くの組み合わせがある」と分かって、常識を外せて可能性が見えるかと思います。

 

「緑茶味の寒天ゼリー」は和風スイーツ

例えば「緑茶+砂糖」って、日本人の感覚からすると「うえーっ」って感じでしょ(笑

台湾とか海外では、結構普通にあるんですけどね。

それでも私自身、寒天ゼリーを作るまでは、そう思って避けてました。

 

でも寒天ゼリーで、「緑茶味の寒天ゼリーってできないかな?」と緑茶に甘味を加えて試してみると、これがおいしかったんですよ。

だって、普通に抹茶味のゼリーですからね。

あんこも添えると、普通に和風スイーツでしたから。

 

よくよく考えてみると、私たちは抹茶ゼリーとか、抹茶味のケーキやクッキーを食べるじゃないですか。

実はそれって、普通に「緑茶+砂糖」という構成なんですよね。

特に抹茶風の寒天ゼリーなんて、まさに「緑茶+砂糖」そのものです。

 

味はまったく同じなのに、形で判断している

なら、味はまったく同じなのに、形が違うだけで「おいしい」とか「うえーっ」とか言っているわけです。

これって、とても変なことだと分かります。

 

同じように、例えば「カルピス+紅茶」なんて、実際に味わってみると、ちょっとしたビックル(サントリー公式サイト)でしたから(笑

だって、ビックルは「乳酸菌+発酵フレーバー」で、一方で「カルピス+紅茶」のカルピスは乳酸菌、紅茶は発酵フレーバーですからね。

なら、ビックルを「おいしい」と言ってグビグビ飲んで、一方で「カルピス+紅茶」を「まずい」とはき出すなんて、とても変なことだと分かります。

 

味ではなく、記憶を味わっているに過ぎない

そこから考えるに、多くの人がただ単純に、「知っている味と形」=「おいしい」、「知らない味と形」=「まずい」としているだけのように思います。

つまり、実際の味を味わっているのではなく、記憶を味わっているに過ぎないんだと。

 

実は、そういう「記憶を頼りにおいしさを判断する」のにも、意味があります

というのも、大人になったら味覚が鈍化するからですね。

 

人は幼い頃ほど身体の基幹部分を作るので、味覚が敏感な方が毒を避けられて、うまく成長できます。

だから幼い頃は、ピーマンやにんじん、ショウガみたいな「クセの強い(毒性がありうる)もの」が食べられないことが多いわけです。

 

大人になると、記憶を頼りに安全を判断する

でも大人になると、基幹部分を成長させる必要はなくなるので、少々のものを食べても大丈夫です。

だから味覚が鈍感になるし、ピーマンだろうがにんじんだろうが、紅ショウガやピクルスみたいに、苦みや渋み、酸味の強いものも食べられると。

 

その場合、大人になると味覚が鈍化するので、「過去に味わったもの」ほど「安全、安心」と判断する方が効率的です。

そうすることで、味覚が鈍化しても、安全な食品を判断して「おいしい」と感じるわけですね。

特に、変化できないタイプの人ほど、「過去に味わったもの」でおいしさが固定されてしまうと。

 

なので、これは私の予想ですが、例えば最高級のフランス料理で、現地人はおいしく感じられるものでも、私たちはそれを知らないだけで「まずい」と感じうるわけです。

特に「記憶で判断する人」ほど、そういう傾向が強いんじゃないかなと。

 

記憶だけで判断していることもある

確か漫画「銀の匙(さじ)」だったと思うんですが、「幼い頃にいろんな味を食べていると、大人になって味わえる物の幅が広がる」みたいな表現があったんですよ。

私が最初にそれを見たときは、だいぶ違和感を持ったんですよ。

 

でもいろいろ予想するに、それがまさに「過去に味わったものを、おいしいとみなす性質」によって引き起こされる現象だろうと思います。

幼い頃に多くのバリエーションを知っていると、いろんな組み合わせを「安全だ」と認識できますからね。

もちろん、それは「変化できないタイプの人」のみに通じることで、「変化できるタイプの人」には無意味なんですが。

 

「記憶にないから」で判断しない

とはいえ、そういう性質は、大なり小なり私たちは持っているように思います。

なので、「本当は安全に味わえるのに、記憶を見るだけでまずいと判断している」ということが多くあるように思います。

 

それは生き方でも同じで、本当は自分に合うものなのに、記憶にないだけで「まずい」と判断してしまうと。

例えば今まで「自分を嫌う人たちばかりの社会」で生きていた場合、「自分を好きな人たちばかりの社会」に入ると、居心地が悪くなるのと同じです。

 

そして、「今まで味わったことがないから」というだけで、「まずい。苦手だ」と逃げてしまうようなものです。

属する社会だけでなく、仕事や人間関係、趣味や制作活動、ファン作りなどでも、それは起きうるでしょう。

 

まとめ

なのでこの辺の「ひょっとすると記憶を見ているだけなのかも」と分かると、柔軟に可能性を広げられるように思います。

「その苦手意識やまずさは、ただ記憶を見ているだけなんじゃないの?」ということですね。

 

ただ、好奇心が強い人とか、理屈で推測できる人は、こういう「経験していない領域の壁」を突破しやすくなるように思います。

それは、「あれと似たようなものか」と推測することで、安全性を理解できるからですね。

「カルピス+紅茶」だって、普通に見ると眉をしかめるものでしょうが、「ビックルと同じようなもの。冷やせばグビグビ飲める」と分かると、急に興味が出るでしょ(笑

安全を予測できるから、常識外のものでも好奇心が出て、味わってみたくなる、そういう流れです。

 

この辺が分かると、「苦手意識を持っていたけど、実は自分に合うもの」が見えやすくなるかもしれません。

その苦手意識は、記憶だけで判断しているだけかもしれませんからね。

特に、「自分に合う場所が見つからない」、「熱中できることが見つからない」みたいな人ほど、こういう思い込みを外せると、うまくいくかもしれません。

 

ということで今日は、変化できない人は、「知らない味」を「まずい」と表現する、というお話でした。

今日はここまで~。

 

余談

どうでもいいんですが、「お肉に酸味」も、日本人では苦手とされやすい組み合わせですよね。

「唐揚げにレモン」とか、「酢豚にパイナップル」とか。

 

これもおそらく、日本食では「お肉に酸味」という料理が少ないからじゃないかと思います。

同時に、日本人には「変化できるタイプ」が少ないので、記憶で判断しやすいのかなと。

逆に東南アジアとかメキシカンでは、そういう「お肉に酸味」は山ほど使うので、幼い頃から味わうことで彼らは大好きなんだろうと思います。

 

なので、そういう「酢豚にパイナップル」にOKを出せる人ほど、現状を打破しやすいタイプが多いんじゃないかと思います。

そうしていろんな世界を知っていくと、いろんなおいしさを味わえるようになるんじゃないかな、と思ったりもします。

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