今日は精神的なお話です。
「編集者の意見を気にしすぎない方がいい」、というお話をしてみましょう。
新人賞に応募して、自信を失っている状態の人
とある漫画家志望さんがいて、その方はすっごい自信を失っていたんですよ。
その方は新人賞に応募しているんですが、そこそこ予選通過はしつつも、デビューすることはできずに、長期にわたって停滞しているようで。
で、出版社によっては、短いながらも「こうするといいよ」みたいな選評が送られてくるようなんですよね。
それで、「どこをどうよくすればいいのか、分からない」と悩んでいたんですが。
そして、結果として自信を失ってしまっていると。
まあ、これは自信を失って当然なんですよ。
というのも、自信というのは、自分軸で動くと身につくものだからですね。
読んで字のごとく、「自信」は「自分軸を信じること」ですからね。
逆に、他人軸で動くほど、すなわち自分の考えよりも他人の考えを優先するほど、自信は失います。
で、漫画家志望の方に限らず、メジャーを目指して投稿する場合、編集者の意見や選評を信じすぎない方がいいかと思います。
うまくいかない人ほど、「編集者や選者に受け入れられよう」とするんですよ。
そして、編集者の言葉をまるで神様からの下知のように、絶対的なものだと扱ってしまうわけです。
編集者は「すごい人」ではない
でも、編集者なんて、神様でもなければ絶対的にすごい人でもありません。
ほとんどの場合、金持ちでもなくて、自力でビジネスを立ち上げるほどの才能もなくて、毎朝満員電車に揺られているような普通のサラリーマンなんですよ。
似たようなものとして、「新聞を読め」みたいに、新聞を絶対視する人もいますよね。
これも、ほとんどの新聞記事なんて、しょーもない普通のサラリーマンが書いているわけです。
なら、簡単なことです。
例えばお金持ちになりたい場合、誰から学ぶのか、ということですね。
もし私がお金持ちになりたい場合、資産を持ちもしないような編集者や新聞記者が書いている内容からではなく、実際にお金持ちが書いている本からノウハウを学ぶでしょう。
自由に生きたい場合、実際に自由に生きている人から学ぶでしょう。
自分なりにスモールビジネスをやっていきたい場合、スモールビジネスでうまくやっている人から学ぶでしょう。
それが分かれば、編集者の選評や新聞の記事なんてものは、自分の目的を実現する情報としては、さほどウェイトを置く必要がないと分かります。
編集者は、見る目を持っているわけではない
だいたい、編集者はそれほど見る目を持っているわけではありません。
もし彼らに見る目があるのであれば、打ち切りになる漫画はありませんし、短編で試してから長編化するような試みもすることはありません。
でも実際は、打ち切りは山ほどありますし、反響を試すために、読み切り掲載とか短編連載を多くやっていると。
すなわち、彼らは「何が売れるか、自分でもあまり分かっていない」んですよ。
そんな人の意見を絶対視すると、自信を失って当然でしょうと。
これは、「他者から選ばれる」という要素を含む場合、どんな場合でも当てはまります。
選者は、絶対でもなければ神でもないと。
例えばAKBプロデューサーの秋元康さんだって、オーディションで相当優秀な子を落としているんですよ。
で、他のオーディションで拾われて、有名になった人が多くいるわけです。
彼自身も、「僕に見る目はない。だから落とされたからと言って、落ち込まないことです。落とされたら、『相手に見る目がなかった』と思うぐらいでいい」と言っているんですよね。
私自身も、ゲーム制作監督としてシナリオライターさんを募集して選んでましたが、少しのサンプルだけで能力なんて正直分からないんですよ(笑
実際、正式採用した人が全然だめで降りてもらって、保留で確保していた人がすごいパフォーマンスを発揮した、みたいなこともちょくちょくありました。
それぐらい、選ぶ側も、誰が本当に能力がある人なのか分からないんですよね。
編集者に頼らない、という生き方
それに編集者は、作家の人生を考えているわけではありません。
彼らは「出版社が売れること」を考えていて、作家の人生やビジネスを成功させようとは思っていません。
売れなくなったら即打ち切りますし、その後に作家さんの人生をフォローしてくれることもありません。
純粋に、「ビジネスとして価値があるから使う」、という関係です。
そんな人に、自分の人生とか、ビジネスの命綱を預けないことです。
(もちろん「売れなくてもあなたと一緒に作りたい」という編集者もいますが、そういうのは全て個別問い合わせになるので、彼らは新人賞みたいな募集はしません)
自分の人生の決定権を他者にゆだねるから、自信を失うんですよね。
まあよく言うことですが、出版社や編集者は、作家側が選ぶものです。
嫌な編集が担当になったら、降りてもらうなり、変わってもらうなりすればいいんですよ。
それができるだけの能力を、身につければいいだけの話です。
楽しく作る方が、能力は上がる
で、どのみち能力を上げるなら、他の人の顔色をうかがってビクビクしながら作るよりも、楽しく作った方が成長も早いですよね。
なら、編集者の顔色をうかがいながら作るのではなくて、ファンと共に、喜びながら作る方がいいかと思います。
人に喜んでもらって、「自分の作品を心から喜んでくれる人がいる」という喜びを味わいながら、成長することもできると。
そしてそういう「喜んでもらえる」という感情は、圧倒的な速度の成長をもたらしてくれます。
それに、ファンがいれば、いつ出版社から切られても安心ですからね。
むしろ、「いつでも出版社を選べる」という立場でいることで、よりよい環境を選べるようになります。
そういう意味でも、編集者や出版社を見るのではなくて、ファンを見る方が安心するんじゃないかと思います。
まとめ
そんな感じで、編集者とか選者の意見なんて、ほどほどにしておくぐらいがいいかと思います。
自分が何を欲しているのか、それを知ることですよね。
お金を欲しているなら、お金持ちから学べばいいだけです。
自分なりのスモールビジネスを欲しているなら、スモールビジネスをしている人から学べばいいだけで。
もしくは、「この人は将来すごいことになる」と予測できる人から学べばいいわけです。
それが分かれば、「編集者」はお金持ちでもなければ自由もない、うだつの上がらない普通のサラリーマンでしかないと気づきます。
そういう人に、自分の人生とか、ビジネスの命綱を渡すのは恐ろしいことです。
「ここから切られたら、全てが終わる」なんて状態にはしないようにする、ということですね。
もっと自分の感性を信頼していいんですよと。
私たちは、彼らのようなうだつの上がらないサラリーマン以上のお金持ちになって、自由を得て、大好きなことで楽しく生きられる力を持っていますよと。
それを、自分で制限しないことですね。
すると、自信も得られて、安心した状態で編集者とやりとりができるかと思います。
ということで、今日は「編集者の意見を気にしすぎない方がいい」、というお話をしてみました。
今日はここまで~。