なんか最近はアホほど長文ブログを書いてますが、これは単純に、最近は全然本を書いてないからです(笑
おかげさまで十分に豊かに生きられる状態で、最近は本の執筆よりも、ブログを書くことの方にワクワクが来ているんですよね。
プロットの理論も、ここ数ヶ月で飛躍的に向上できましたし。
で、本を書く分の体力が余ってしょうがないので、こんなにもブログが長くなっているという。
まったりしているようでいて、実は作家向け記事のために、執筆しているときと変わらないぐらいの作業をしているような気もしますが(笑
ということで、今日の本題です。
今日は、精神的なお話です。
「なんで勉強しなきゃいけないの?」と言われた場合、私ならどう答えるか、というお話をしてみましょう。
「なんで勉強しなきゃいけないの?」にどう答えるか
とあるサイトで、「なんで勉強しなきゃいけないの?」と子どもから訊かれたら、どう答えればいいのか……というのがあったんですよ。
こういうのって、いきなり言われるとどきっとしますよね。
勉強だけでなくて、「なんで働かなきゃいけないの?」、「なんで生きなきゃいけないの?」、「なんで自殺しちゃいけないの?」、「なんで人を殺しちゃいけないの?」とか、似たようなテーマの問いかけは多くあるわけで。
こういう問いかけは、シンプルだからこそ深い問題を抱えているものです。
「みんながしているから」、「そう決められているから」とか言っても、勉強していない人とか自殺している人は多くいるわけで。
「あなたのためよ」、「将来のためよ」とか言っても、新たな意味を提供できればいいんですが、ほとんどの場合、そういう「意味」は語り尽くしているものです。
その上で、当の本人が「無意味だ」と判断を下しているのであれば、同じような言葉を繰り返しても無意味です。
じゃあ、どう答えればいいのか。
それについて、ちょっと考えてみましょうか。
勉強をするのは、一つの手段
もうややこしい説明は後回しにして、私ならどう答えるかを先に触れておきましょう。
私の場合、「勉強するのは、一つの手段だよ」と答えるでしょう。
「勉強をするのは、君が豊かになって幸せに生きるための、一つの手段に過ぎないよ」と。
だから、他にもっといい手段があれば、そちらを選べばいいかと思います。
多くの人が、「勉強をするのが一番効果的な、豊かになって幸せに生きるための成功法則だ」と思い込んでいるだけです。
間違いの多くは、手段を目的にしてしまうことにあります。
「勉強をする」ことそのものを目的にすると、苦しくなるだけですよね。
例えば私たちが東京にいて、「大阪に行きたい」という場合、新幹線を使うことができるでしょう。
でも、それ以外でも、飛行機だって、電車のローカル線だって、夜行バスでもレンタカーでも、自転車でも徒歩でも行けるわけです。
大阪から東京までの距離でも、15~20日ぐらいあれば歩いて行けますからね。
手段は山ほどあります。
でも、そんなときに「新幹線に乗る」という手段が全てになると、苦しくなるのは当然だと分かります。
手段を目的にするから、おかしなことになる
いったい何のために勉強しているのか。
究極の目的は、「自分の内側にある、『真心からの欲求』に従って生きるため」です。
まあそれだと分かりにくいので、「自分が豊かでいることで、その豊かさを人々や周囲に分かち合い、周囲に喜んでもらうこと」をとりあえずの目標としておきましょうか。
勉強をすることとか、働くこととかは、全てその目的を効果的に実現するための、一つの手段です。
その手段を目的にしてしまうから、おかしなことになってしまうわけですね。
すなわち、的を外した行動を取ってしまうと。
例えば「年収1億円」という目標を立てる人がいますが、これが手段と目的をはき違えているいい例になります。
そもそもお金は、使うためにあるものです。
お金は墓場まで持って行けませんからね。
ならば何に使うために、500万円ではなく、1億円みたいな大金を求めるのか、ということです。
例えば、もし「長期的に生きられる安心が欲しい」、「お金を使ってチヤホヤされたい」、「周囲からすごいと言われたい」とかいう場合、それは精神的な問題を解決することでも同等の満足が得られると分かるでしょう。
「嫌なことをしたくない」、「大好きなことをしたい」のであれば、年収1億もなくても、好きなことをして収入を得ればいいだけです。
それはクリエイティビティーでも解決できるわけですね。
「子どもたちに楽をさせてやりたい」、「人々を豊かにしたい」のであれば、お金でなくても残せる豊かさがあるでしょう。
欲求を実現する方法は、たくさんある
欲求を実現する方法は、本来、数限りなくあるものです。
「年収1億を得ることは、多くある手段のうちの、一つの手段でしかないんだ」と分かれば、「年収1億」にこだわることはなくなります。
そういう観点から見れば、「年収1億」を目的とするのは、的を外していますよね。
まあ偶然それがベストな手段になることもありうるでしょうが、他の多くの手段を無視してそこに固執する必要なんて、ありませんよね。
むしろ、いろんな手段を持っている方が、「これがダメでも他に手段はいくらでもある」と安心できるでしょう。
勉強だけでなくて、「新人賞を取る」ことを目的としてしまう人がいます。
「漫画家になる」、「作家になる」、「独立する」ということを目的とする人もいます。
先にも触れた「年収1億円」とか、「人脈を作る」、「今月これだけの作業ノルマをこなす」とかいう内容を目的としてしまう人もいます。
全部、的を外した行動です。
だから、苦しくなるんですよ。
目的を「自分が豊かでいることで、その豊かさを人々や周囲に分かち合うこと」に置けば、後は全部手段になります。
お金も、健康も、自分の命ですら、「どう使うのか」という手段になります。
すると、「運がいい」というのは、「自分の欲求を満たす手段を多く持っていること」だと分かります。
運がいい人は、「あれ? 年収1億でなくとも、新人賞を取らなくても、これでも自分の欲求を満たせるやん?」と気づきます。
だから、手が届かないものを必死で手に入れようとしなくても、苦しんで努力しなくても、すぐに手に入る身近なもので、十分に欲しい環境を実現できるわけです。
そんな風に、手段をたくさん持っている人(運がいい人)ほど、安心して、落ち着いて、豊かで、分かち合えるようになります。
まとめ
だから、「なんで勉強しなきゃいけないの?」という問いかけには、私は次のように答えるでしょう。
「勉強をするのは、君が豊かになって幸せに生きるための、一つの手段に過ぎないよ」と。
だから、他にもっといい手段があれば、そちらを選べばいいかと思います。
勉強するのも、働くのも、作業をするのも、独立するのも、全部一つの手段に過ぎません。
手段は山ほどあります。
他の手段を組み合わせて、クリエイティブに人生を作り上げることでも、望む豊かさは得られる、ということですね。
わざわざ新人賞を取らなくても、メジャーで大成功しなくても、大好きなことでお金を得られるようになります。
その手段が断たれて希望を失っても、絶望しなくていいんですよと。
私が伝えたいのは、そういうメッセージです。
こういう知恵は、「勉強をしていい成績を取る」よりも、よっぽど人生において役立つことじゃないかな、と思います。
それが自信をもたらして、元気が出て、希望と共に毎日を生きられるコツなんじゃないかなと。
そして、苦しい状態にいる人にとっては、厳しい現状から抜け出せる知恵になるんじゃないかと思います。
ということで、今日は「なんで勉強しなきゃいけないの?」と言われた場合、私ならどう答えるか、というお話をしてみました。
今日はここまで~。