今日も精神的なお話です。

「今は、ひたむきに自分軸を貫く人が格好いい」というお話です。

 

イーロン・マスクが若者から支持される理由

以前、ちょっとしたアメリカ関連の記事かツイートで、「イーロン・マスクは特に若者からウケがいい」って内容を見かけたんですよ。

知らない人のために説明しておくと、イーロン・マスクは電気自動車で有名なテスラの社長で、宇宙開発のスペースX社の社長でもあります。

そんな彼はアメリカではすごい人気なんですが、若者から特に支持されている、みたいな。

 

これ、なんとなく分かるんですよ。

これは私の中にあるイメージですが、彼はあんまり「社会での奪い合い」に参加していないように感じます。

そして彼は、「新たなものを作る」という、自分が目指す方向に突っ走っていて。

だから、好かれているし、支持されているんじゃないかな、と思ったりもします。

 

なので私の中では、今のような時期ほど、そういう「自分の目指すもの」に集中している人が格好いいように感じます。

これは裏を返すと、「奪い合いにうんざりしている人が、多く出てきた」ということだろうな、と思います。

 

今は、のびのびと生きられない状況

それを一番感じるのが、中学生とか高校生ぐらいの若者だろうと思います。

彼らは、社会についてよく分かりません。

でも、テレビとかニュースを見ていると、世の中がどんな状況かは分かるんですよ。

 

今はコロナウイルスの災害中なので、みんなが目くじらを立てて、怒鳴ったり、哀しんだり、他者を批難したりしています。

それで、批難する方もされる側も、双方がそれで正当性を主張しているものです。

でもその裏では、それぞれが陰でこっそり自分たちの利益や利権を確保しようとする、そんな腹黒さもちらつくわけです。

すなわち、そういう「批難し合っている大人たち」を見ていると、誰が正義なのかも分からないし、何が正しいのかも分からなくて。

そんな風に、「よく分からないけれど、大人のみんなが怒鳴ったり泣き叫んだりして、居心地の悪い、ひどい世の中だ」という雰囲気は実感で分かるわけです。

 

そしてそんな怒りや哀しみの中では、のびのびと生きられませんよね。

自分の意思を出しにくいし、我慢ばかりするようになって。

本当は争いなんか嫌で、喜んで楽しく生きたいのに、大人たちはそういう「奪い合い、ののしり合い」に終始していると。

ちなみに私の中では、「互いが自分を正義だと思って、互いに批難し合うこと」を「奪い合い」と定義しています。

すなわち、「自分は正義である。相手は悪である」と信じて疑わない存在同士が感情をぶつけ合い、相手を否定し排除しようとすることが、「奪い合い」なんだと。

 

誰について行きたいか

そういう中でイーロン・マスクを見ると、彼は全然違う生き方をしているわけです。

彼はあまりそういう「奪い合うための、ののしり合い」に参加せず、自分の目指すものに脇目を振らずに突っ走っているんですよ。

そこには、「未来がこうなったらいいな」という夢があるんですよね。

すなわち、彼は「争って奪い合うよりも、新境地で、新たな未来を作ろうよ」というスタイルで生きているわけです。

そして、「道は苦しく険しいけど、俺たちは自分なりの未来を作れる。行きたい場所へ行って、可能性を作れるんだ」と、背中で生き方で語っていると。

 

すると、そりゃもう若い世代からすると、「もしついて行くなら、そういうイーロン・マスクのような人について行きたい」って思って当然でしょ。

奪い合い、ののしり合い、少しでも自分の利権を得ようとして、それで利益を得ていたとしても、それは他者を蹴落として得た豊かさです。

だから、若い世代からすると、そういう大人ほど「醜い大人だ。ああいう風にはなりたくない」と感じるわけです。

特に優しい子ほど、「奪って誰かを泣かせてでもその場にとどまるぐらいなら、分け前なんていらないので、新たな場所で可能性を見つけ出したい」と願うんじゃないかと思うんですが。

 

どういう大人になりたいのか

すなわち、若い世代から見ると、「成功したいかどうか」というよりも、「どういう大人になりたいのか、どういう人間になりたいのか」という話です。

だから、若い世代ほどイーロン・マスクを支持すると。

 

彼は、今までも、今でも、全く完璧ではないんですよ。

移民だし、山ほど失敗しているし、謝罪とか賠償とか、何らかの立場を辞任せざるを得なくなったり、自分から辞任したり。

それに離婚も何度もしているし、自分を批判する人には辛辣に返したりもしているので、聖人ではないと。

 

でも、自分軸を持ち、自分に素直に生きているわけです。

そこには、「奪い合う醜さ」がなく、「自分で作ればいいんだ」という独特の明るさがあるんですよね。

 

「成功しているかどうか」は関係ない

ある意味で、ヒーローですよね。

自分の目指すものにひたむきに進んでいて、何度も失敗しても挑んでいるわけです。

 

だから、若い世代から見ると、「成功しているかどうか」はさして重要ではないように感じます。

ただ、「こういう大人になりたい」という魅力があるんですから。

映画でも物語でも、主人公のヒーローって、決して成功者ではないものです。

最後に英雄になったとしても、それまではずーっと劣勢で、追い込まれるし、妥協も強いられるしで。

だけど、「それでも自分なりに未来へと進もうとする」、その部分が重要なんだと。

 

「自分の目指すものに集中している人」ほど格好いい

これはイーロン・マスクだけでなく、私たちでも同じです。

見ていると、今はやっぱり「自分の目指すものに集中している人」ほど、私から見ると格好いいように感じます。

そこには独特の「奪い合おうとはしない明るさ」、「目指すものに力を合わせる明るさ」があるし、「新たに切り開く」という希望があるからですね。

 

なので、そういう「奪い合うのではなく、新たに切り開く」という生き方を目指すのもいいかと思います。

自分で先陣を切れない場合は、切り開こうとしている人のサポートをするのもいいでしょう。

もしくは、人を助けるのが好きな人は、本当に困っているごく少数の弱者を、自分にできる程度に助けるのもいいですよね。

 

そういう場合、道は険しくてもいいんですよ。

だって、誰も簡単に切り開けるとか、「これですべての人を助けられる」とは思っていませんから。

まずは自分を救い、自分で自分を生かせるようになり、そして目指す方向に向けて歩いて、そして切り開いた部分を分かち合ってゆくと。

 

だから、苦しんでいても、うまくいかなくても、それは「そういう生き方にあこがれる人」からすると、それも一つの魅力です。

そして少しでも道が開けたり、小さな希望が見えたときは、一緒に喜べます。

すなわち、「社会的に成功しているかどうか」は関係なくて、「一緒に知恵を出して、前進してゆけるか」が重要になると。

そしてそういう体験が重なるほど、失敗も喜びに変わっていくので、どんどん自信もつくし、乗り越えようとするエネルギーが出てくるわけです。

 

まとめ

そんな風に、今のような時代は、自分軸で新たな豊かさを作ろうと集中している人ほど、格好いいし、あこがれられるように感じます。

そこには「貧しくても、苦しくても、希望がある」という独特の明るさがあると。

 

私の周囲にも、そういう「自分の目指すものに集中している人」が多くいますが、やっぱり見ていてもすがすがしいし、格好いいですからね。

そういう格好良さがあると分かると、より自分に自信が持てるんじゃないかと思います。

 

ということで今日は、「今は、ひたむきに自分軸を貫く人が格好いい」というお話でした。

今日はここまで~。

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