ここんとこビジネスのお話が続いていたので、今日はスピリチュアルのようなお話です。

「幽霊はいるのか」を私なりに語ってみましょうか。

 

幽霊はいるのか?

先日、こんな質問をいただいたんですよ。

霊(幽霊)はだいたい統合失調で解決出来るというブログを見ました。
中村さんは実際に霊はいると思いますか?

 

おそらく質問者さんは、この記事(「霊が見える」という人は統合失調症だと思えばいい)を見たんだろうな、と思います。

先に結論だけ言っておくと、「霊だけでなく、全ての現実は、脳内イメージの産物」ということです。

で、私の答えは、「いるかいないかは、好きな方を選べばいいですよ」ということですね。

 

簡単におさらいしておくと、統合失調とは、脳内で「イメージを現実だと錯覚してしまう現象」のことを言います。

そしてその統合失調機能は、人類であれば全員が持っている脳機能です。

 

例えば私たちが小説や映画を見たら、ハラハラドキドキして、身体的に反応が出ますよね。

でも現実では、それって「ただの文字の羅列」であったり、「ただの映像」じゃないですか。

その物語が現実に起こっているわけではないのに、私たちは心拍数が上がったり、汗が出たりするわけです。

すなわち、私たちは大なり小なりイメージを現実だと錯覚してしまうから、小説や映画を楽しめることになります。

もし統合失調機能がなければ、「ただの文字の羅列」、「ただの映像」としか感じられませんからね。

 

で、問題なのは、その統合失調機能が強すぎる場合です。

繰り返しますが、統合失調機能は、「イメージを現実だと錯覚する機能」です。

統合失調度が高い人は、「あそこに幽霊がいそう」とイメージしてしまえば、それが「現実にいる」と脳内でリアルに感じてしまうことになります。

すなわち、「あそこに幽霊がいそうと思ってしまう」→「幽霊をイメージしてしまう」→「脳内でリアルにイメージが再生されてしまう」→「現実に幽霊がいると感じられるほど、リアルに幽霊の存在を感じる」という流れになります。

 

「いる」とは何か

じゃあここで、ちょっと認識論を語ってみましょうか。

そもそも、「幽霊がいる」の「いる」とは、何をさして「いる」と言うのでしょうか?

例えば質問者さんの目の前に、机があったとしましょうか。

見ることもできますし、手で触れることもできます。

 

でも、もし周囲の人たち全員が、「机なんてないよ」と言ったらどうでしょう。

どんな人に尋ねても、「机なんてない」と言います。

ひょっとすると、周囲の人は、触ろうとしてもすり抜けてしまうかもしれません。

 

では、その机は本当に「ある」のでしょうか?

質問者さんが異常なのか、それとも周囲が異常なのか。

なんだかちょっと恐ろしくなりますよね。

「幽霊がいる」と感じる人は、これと同質なことを味わっている、ということです。

幽霊はいるのでしょうか、いないのでしょうか。

 

私たちは、同じ世界を見ているようでいて、全然違ったものを見ている

そういう風に見てみると、実のところ、私たちが認識できる世界というのは、私たちが思っているよりもはるかに脆弱(ぜいじゃく)で、曖昧なものだと言えます。

私たちはつい、「みんなが同じものを見て、同じように認識している」と思いがちです。

それはあたかも、「この世界は、一つの共通した、普遍的ものである」という風に感じられるかもしれません。

 

ですが実際のところは、私たちは同じ世界を見ているようでいて、全然違ったものを見ているものなんですよ。

例えば、ある人がリストラされたとしましょうか。

で、その人に対して、「なんて不幸なの! リストラされるなんて、これからどうお金を得ればいいんだろう?! これから預金は減っていくばかりだ!」と言う人がいます。

その一方で、同じくリストラされた人に対して、「よかったね、今リストラされて。今はまだ求人が多いし、それに今まで『独立して挑戦してみたい』って言っていたから、預金があるならそのいいチャンスだよ」と言う人もいます。

 

片方は、脳内で「リストラされることは、お金がなくなることだ」というイメージをリアルに感じて、うろたえているわけです。

もう片方は、脳内で「リストラされることは、挑戦へのいいきっかけだ」というイメージをリアルに感じて、前向きになっていると。

ではなぜこんな風に、「現実」に対する認識の違いができてしまうのでしょうか。

 

現実とは、リアルさで決まる

実は、「自分にとっての現実」とは、「正しいかどうか」で決まることではありません

「リアルに感じられること」が「(自分にとっての)現実」になります

どんなに正しいことでも、リアルさがないものは、非現実だと感じられます。

これは分かりますよね。

「火星の地下に、火星人がいるんだよ」とか言われても、本当に火星人がいたとしても、リアルに感じられなければそれは非現実になりますよね。

 

その昔、無線通信の理論を提唱した科学者は、最初は「気が狂った科学者だ」と周囲から嘲笑されました。

それは、「電線をつながずに情報を渡す」ということは、人々にとってリアルではなかったわけです。

でも、今ではスマホとか無線LANとか使っていて、リアルに恩恵を味わっていますよね。

すると、無線という技術が私たちにとっての「現実」になるわけです。

 

じゃあ、「無線」と「幽霊」で、いったい何が違うと言うのでしょう?

 

「実感できる世界」は、人の数ほどある

実のところ、私たちは、「現実」を正確に認識することはできません。

私たちは、「リアリティ」というフィルターを通してでしか、現実を認識できないわけですね。

だから、「実感できる世界」は、人の数ほどあります

「霊がいる」と実感できる人もいれば、「霊はいない」と実感する人もいると。

どちらも、それがリアルな体験です。

そして、それが「その人にとっての現実」となります。

 

言うなれば、私たち全員は、現実ではなく、現実が地面に映した影を見て生きているようなものです。

私たちは、「地面」しか見ることができないわけです。

そしてその「地面」が、私たちにとってのフィルターになるわけですね。

で、そのフィルターによって、私たちが感じる現実も、色鮮やかなものにもなれば、白黒でよどんだものにもなる、ということです。

 

これは、「幽霊がいる、いない」という問いかけだけではありません。

「この世界は、不幸な世界か、それとも幸せな世界か」

「この世界は、苦しみに満ちた場所か、それとも豊かさに満ちた世界か」

「自分は、生きる価値のない人間なのか、それとも生きる価値のある人間なのか」

それらの「現実」も、フィルターによって決まる、ということですね。

 

まとめ

だから、人によっては、「幽霊がいる世界」はリアルに存在します。

そして人によっては、幽霊はいないでしょう。

どちらも、脳内が作り出した幻影でしかありません。

 

で、自分の意思でそれを選べる領域もあります。

なら、後は「好きな方を選びなさい」というのでいいんじゃないかと思います。

 

生き方も同じで、「好きな生き方を選びなさい」でいいように思います。

学校では、問いかけに対する答えは○か×かで決まるものです。

それに慣れていると、つい白黒つけたがってしまうんですよね。

でも現実世界では、「はっきり分からない状態で生きる」ということの方が多いように思います。

 

現実なんて、私たちが思っているほど、統一されたものではありませんよ、と。

無線技術と同じように、幽霊も、実感できる人には現実ですし、リアリティがない人には非現実です。

豊かさも分かち合いも、愛情も優しさも、実感できる人には現実ですし、リアリティがない人には非現実です。

そんな中で、自分なりに好きな方を選んで生きればいいかな、と思います。

 

ということで、今日は「幽霊はいるのか」というお話をしてみました。

今日はここまで~。

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