今日も精神的なお話です。
「恐怖を細切れにすると、好奇心になる」というお話をしてみましょう。
恐怖にどう対処すればいいか
昨日のお話で、「焦りの方向は現状維持になりやすい、恐怖の方向に進むと現状を出やすい」って説明しましたよね。
「焦る」というのは、「先が見通せる」を意味するので、その先にあるのはだいたい今と同じ競争世界です。
だから、焦って進んでも競争から抜け出せなくて、現状維持になりやすいと。
一方で「恐怖を感じる」というのは、「先が見通せない」を意味するので、その先は未知の世界が広がっていると。
だから、恐怖を感じる方向をいろいろ試すほど、現状を打破するような、新しいものに触れやすいと。
でも、やっぱり恐怖って、怖いじゃないですか(笑
いやまぁ、怖いから恐怖なんですが(笑
じゃあそういう恐怖を感じる時には、どうすればいいのか、ということです。
それが、「恐怖を細切れにすると、好奇心になる」ということです。
恐怖と好奇心は同種のもの
「恐怖と好奇心」って、一見すると対極のもののように感じますよね。
片方は怖いし、もう片方はわくわくするしで、全然違うように見えるものです。
でも実は、恐怖と好奇心は同種のもので、「好奇心」をさらに強めた先にあるのが「恐怖」だったりします。
裏を返すと、「恐怖を細切れにすると、好奇心になる」ということです。
例えばすっごい怖い、落差の高い断崖絶壁があったとしましょうか。
落ちたら一発で死ぬような場所です。
そういう場所って、怖いですよね。
低い崖だと、わくわくドキドキになる
でもそこで、例えば高さをもっと低くして、「落ちたら海だけど、死ぬことはないし、助かる方法もある」という程度の崖になると、これがわくわくドキドキになるんですよ。
そして、「ちょっと眺めを見てみたい」となると。
それは、そこには未知の世界が広がっているからだろうと思います。
これが好奇心ですよね。
ほら、ホラーとか怪談話でも、ああいうのって「常識を外れた、未知の世界」じゃないですか。
最初はとても「仕事に疲れたなぁ」みたいに夢のない現実的ことを言っているんですが、少しずつ「あれ?」とか、「おかしいな?」みたいに、「未知の世界」が襲ってくるわけです。
そして、非現実で不気味な世界が広がるんですが、それが最後まで何だか分からないと。
だから怖いんですが、それを「お話」としてまとめるので、恐怖の度合いが低くなって、「知りたい」というわくわくドキドキの好奇心になると。
プールの飛び込み台を楽しむ感覚
さらに他の例で言うと、私が小学生の頃、近くのプールで飛び込み台があったんですよ。
で、私が小さい頃は、もうその飛び込み台の近くに立つだけで、もう怖くて逃げ出すほどで。
でも成長すると、周囲の子も飛び込んで遊ぶし、「なんかできるかも」みたいな、妙な自信ができるんですよね。
そして飛び込み台の上に立つと、やっぱり怖いんですが、思い切って飛び込んでみると。
すると、ふわっとした一瞬の恐怖の後に、どぼーんとプールに落ちて、「無事だった!」と分かった瞬間に、もう強烈な快感が生まれるわけです。
で、その「ちょっと怖いぐらいの経験」を求めて、何度もジャンプしてゆきます。
慣れてくると、「今度は飛び込み台の上から、さらに上にジャンプしてみよう」とか、「頭から飛び込んでみよう」みたいに、より「もう少し怖い方へ」と工夫していくと。
「もうちょい怖い方へ」で楽しむ
そんな風に、「もうちょい怖い方へ、もうちょい怖い方へ」というのが、わくわくドキドキの好奇心なんですよね。
もちろん、いきなり高すぎる場所から落ちたら、トラウマになって「二度とやらない」となるんですが。
でも、適度な恐怖と安全は、気持ちよく感じるわけです。
で、多くの場合、まったくの未経験で未知の分野を前にすると、恐怖を感じるものです。
特に、「今まで無意識に見ないようにしていた方向性」とか、そう感じるでしょう。
すると、実はそういう「今まで見ないようにしていた方向性」が、自分に合うわくわくドキドキの道だったりするんですよね。
まとめ
なので、恐怖を感じたときは、それを細切れにしてみるといいでしょう。
すると、わくわくドキドキの好奇心にできて、楽しめるかと思います。
こう考えると、「恐怖って、なんだか面白そう」って感じますよね。
現状から出る人って、怪談話を楽しむ感覚で、新たな世界を楽しむように感じます。
もちろん少しの恐怖はあるんですが、安全を確保して少しずつ進むから、少しずつ楽しめるようになると。
そういう感覚で生きると、恐怖を好奇心にできて、どんどん新たな世界へと出られるかもしれません。
ということで今日は、「恐怖を細切れにすると、好奇心になる」というお話をしてみました。
今日はここまで~。