今日は、結構どうでもいい、人のタイプ分けについてお話してみましょう。
ちなみに今日の話はかなりの推論というか、憶測な傾向が強いので、ご注意ください。
あんまり信じないようにお願いします(笑
「図で描く方が分かりやすい」は本当?
小学生とか中学生の頃、ノートを取る場合、「図で描く方が分かりやすい。できるだけ図で書け」ってよく言われていたと思うんですよ。
矢印を使ったり、四角で囲んで、図にしていたんじゃないかと思います。
そして大人になっても、マインドマップみたいに関係図で示したり、中には簡単なイラストまで加えることで、理解しやすくしたりして。
それで、関係性を理解できるようにしよう、という目的なんだろうと思います。
実は私の場合、もうずっと図で理解することはやめていたりします。
いや、学生時代も言われるがままに、ずーっと図で書いていましたし、マインドマップもやってみたんですけどね。
どうにも私には、それは合わなかったと。
論理の方が重要になることもある
じゃあなぜ図で書かなくなったのかというと、私は論理の方が重要だったわけです。
で、世の中には、絵の方が把握しやすいタイプと、論理の方が把握しやすいタイプがいるように感じます。
そして、世の中では9割ぐらいの人が「絵の方が把握しやすい」で、1割ぐらいが「論理の方が把握しやすい」かなと思ってます。
これが分かれば、「無理に図にする必要はない。むしろブログやプログラミングのような論理形式の方が、分かりやすい」と分かって、力を発揮しやすくなるように思います。
まぁこのブログでも何度も触れていますが、世の中には「目に見えるものを理解するのが得意な人」と、「目に見えないものを理解するのが得意な人」がいるように思います。
そして、「目に見えるものが得意な人は、変化をしない場で生きるのが得意」で、一方で「目に見えないものが得意な人は、変化する場で生きるのが得意」かなと予想しています。
「目に見えるものが得意な人」は、変化しない場が合う
「目に見えるものが得意な人」は、変化をしない場で生きるのが得意じゃないかと推測しています。
それは、見た目で素早く状態や関係性を理解できるからですね。
例えば細々とした人間関係を知ると、すぐに記憶できるんじゃないかなと。
だから、図で示す方が理解しやすいし、覚えやすいわけです。
ただし、こういう性質は、変化に弱いと言えます。
というのも、関係がどんどん変化すると、そのたびに関係図を作り替えなきゃいけないからで。
だからそういうタイプの人ほど、変化をしない場の方が、より細かい関係性を理解できて、世の中に詳しくなります。
こういう「目に見えるものが得意な人」が好きな人ほど、インスタグラムみたいな「写真や画像で見せること」が好きかなと思います。
それは、視覚的に表現できるからですね。
言葉はそういう写真や画像で示せないことを補足するための、サポートツールでしかありません。
すなわち、「視覚的要素」がメインで、「言葉や論理」はサブでしかないと。
「目に見えないものが得意な人」は、変化する場が合う
一方で、「目に見えないものを理解するのが得意な人」は、常に変化をするような場で生きやすいかなと思ってます。
それは、刻々と変化をするような場では、「その時の状態」を理解しても、意味がないからですね。
状態は常に変わるので、むしろ「なぜ変化するのか」とか、「変化する論理」、「時系列で起こる順番」みたいなものが重要になります。
だから、論理や原理、時系列での変化などの体系を好むんだと。
こういう「目に見えないものが得意な人」に共通するのは、絵や写真単体よりも、ブログやプログラミング、物語という形にする方が得意なことが多いように思います。
例えばブログって、とても論理じゃないですか。
まぁもちろん、ブログにもただの辞書的な記事もありますが、説明があるようなブログ記事って、とてもプログラミングや物語に似ていると分かります。
それは、関係性よりも、「何がどう変化するか」が重要になるからで。
「私はこう思い込んでいた。だけどこういう出来事があって、こう思うようになった」
「こういう場合、うまくできませんよね。でもこういう道具や発想があると、こううまくできるんです」
「世の中ではこういう現象が起きている。それは、こういう原因があったから、こうなっているんだ」
どれも、変化に着目していると分かります。
メインは「変化を認識すること」
ブログだけでなく、例えばプログラミングも、「何をどう変化させるか」を示すものだと言えます。
「こういう入力を、こう処理して、こう結果を表示する」みたいに。
物語も、「こういうキャラが、こういう出来事と出会って、こういう形に変化してゆく」ものだと言えます。
もちろん、図や絵を用いて関係性を示すこともありますが、メインは「変化を描くこと」で、それを補足するために視覚的な要素を使うわけです。
無理に図でノートを取る必要はない
なら、目に見えないものが得意な人ほど、無理に図や絵でノートを取る必要はないと分かります。
実際に私の場合も、ブログネタをメモする場合、図はほぼ使いませんからね。
メモは、だいたいが文章で、列挙形式で書きます。
「こういう現象がある」、「こういう原因がある」、「こういう具体例がある」と、列挙してメモしていくだけです。
で、ざーっと必要な内容を列挙でメモして、最後に「どういう順番で示すのがいいかな」と時系列で考えて、それで完了です。
それで十分に理解できるようになると。
むしろ、こういうのは図にすると、最後の「どういう順番にしよう」という部分が実現できなくなるので、図は逆効果だと分かります。
すなわち、図は状態を描くことはできますが、時系列や論理の調整がしにくいと。
自分の生きやすい場や環境を選ぼう
そして、こういう性質が分かると、自分の生きやすい場や環境が分かるように思います。
目に見える方が理解しやすい人ほど、変化しない場が合っていて。
一方で、目に見えないものを理解するのが得意な人ほど、変化する場の方が生きやすいんだと。
ある意味で、目に見えるものが得意な人ほど、安定期に定住するほど活躍できるタイプだと言えるでしょう。
一方で、目に見えないものが得意な人は、激動期に活躍できたり、もしくは移住や旅をする方が、能力を発揮しやすいタイプかなと思います。
「何も変化しない場」がストレスになる
実際に、目に見えないものが得意な人って、「何も変化しない場」そのものがストレスになりやすいんじゃないかと思います。
チャンスも見えないし、「こんなことを一生続けるんだろうか」とか思うと、お先真っ暗になって。
他にも、例えば「もがいても、何も変わらない」という状態も同じで、暗いトンネルに入っているように感じて、未来も真っ暗に感じてしまったり。
そんな風に、「変化しない環境や状況は、苦しい」になるわけですね。
でも、現実に変化が出てくると、ぐっと「なんだか面白くなってきた」と感じるんじゃないかと思います。
「これからどういう未来になるんだろう?」と予測したり、「なら、どういう準備をすればいいだろう?」と対策をするのが面白くて。
そういう変化がある時代や環境の方が、エネルギーが出るタイプかなと思ったりもします。
まとめ
なので、目に見えないものが得意な人は、無理に図で認識する必要はないかなと思ったりもします。
逆に、そういう人は、ブログとかプログラミング、物語みたいな、「変化するもの」が得意なように感じます。
そういう部分をうまく自分に組み込めると、それが強みになるかもしれません。
いやまぁ、これは仮説でしかありませんが、こういう発想もいいかなと思ったりもします。
ということで今日は、「無理に図で理解する必要はなさそう」というお話でした。
今日はここまで~。