今日は精神的なお話です。

好きなことにこだわらなくても、熱中できることを見つけられる、というお話もしてみましょう。

 

「草刈りを始めると、止まらなくなった」という出来事

ちなみに先日、植木の手入れとか、草刈りをしたんですよ。

私は今、親類の空き家に家賃ほぼタダで住まわせてもらっているんですが、ここには庭があって、植木とかあって。

で、植木もいい加減伸びてきて、「ちょうど誤字脱字チェックも開始したことだし、気分転換にいいか」と思ってやることにしました。

 

こういうのって、やり始める前までは「めんどいなぁ」って感じるんですが、一度やり始めると、止まらなくなりますね(笑

いわゆる「始めるまでは腰が重たいのに、一度始めると徹底的にやりたくなる現象」です(笑

大掃除とか、片付けとかも、勢いが出ると止まらなくなるものですよね。

 

こういう現象も、どんどん利用していいと思うんですよ。

すなわち、「好きなことにこだわらない」ことでも、熱中できることを見つけられる、ということです。

 

新しい世界の扉を開く場合、好きかどうかなんて分からない

「好きでもなくて、ただ面倒くさいと感じるけど、やってみたらはまった」ということって、多いように思います。

新しい世界の扉を開く場合って、好きかどうかなんて分からないものですからね。

むしろ、手をつける前ほど、「面倒くさいなぁ」とか、「手間だなぁ」と思ったりすることがほとんどのように思います。

 

でも実は、私たちが面白いと感じるのって、そういう「手間をかけられること」なんですよね。

そしてそれが、自分の人生をダイレクトによくするものであるほど、成果が出るので面白くなると。

 

「自分にとってのドブさらい」をしてみよう

その一番効果があるものが、「自分にとってのドブさらいをすること」じゃないかと思います。

以前もお話ししましたが、私がこの家に引っ越してきた時、裏のドブがすごいにおいを発していたんですよ。

そしてずっと「ああ、あのドブをなんとかしなきゃ」と気が重たかったんですが、あるとき思い切ってそのドブさらいを決意したわけです。

 

で、ゴム手袋を装着して、ドブに手を突っ込んだ瞬間、なんかすっごい吹っ切れたんですよね(笑

「もう引き返せない」、「汚れちゃったから、もういいや」みたいな。

すると、汚れをかき出すのが面白く感じられて、すぐに終えてしまったという。

 

「自分は既に汚れている」と気づけるかどうか

一番しんどいのは、その「ドブに手を突っ込む瞬間」じゃないかと思います。

ある意味、多くの人が「自分はきれいなままでいたい」という風に思っているように感じます。

「面倒なことや、手間のかかることには関わりたくない」、「自分はきれいなままで、全部うまくいけばいいのにな」みたいな。

でも、ほとんどの場合で、そんなお膳立ては起きないんですよね。

 

一方で、一度手を突っ込んでしまえば、「あ、自分は汚れているんだ」、「汚れていいんだ」と分かります。

すると、「自分で自分の人生を快適にできるんだ」と気づけます。

つまり、誰かが助けてくれるのを待たずとも、幸運が舞い降りてドブがきれいになるのを待たずともいいんだと分かるんですよね。

 

驚くことに、今まで何年、何十年も悩んでいたことが、自力でやればたった数日で解決したりするんですよ。

「あ、自分が汚れて手を突っ込めば、こんなにも簡単に解決できるんだ」みたいな。

そして、「今までの悩みは何だったんだ」と分かると。

しかも、日に日に自分の環境がよくなっていくから、しんどい作業でも楽しんでできます。

 

「自分は汚れている」と分かれば、吹っ切れる

苦しい人間関係とか、嫌な仕事とか、しんどい毎日というのは、多くの場合でその根本原因として、そういう「自分はきれいでいたい」という思いがあるような気がします。

「自分の評価を落としたくない」とか、「経歴に傷をつけたくない」、「人生に失敗を入れたくない」、「やること全て、成功していたい」みたいな。

そうして決断や損切りができずに、ずるずると苦しいことを続けてしまっていると。

 

でも、「自分は汚れているし、汚れていい」と分かれば、そういう思いを吹っ切れることができます。

で、思い切って「人生のドブさらい」ができると。

 

すると、どんどん自分の人生がすがすがしくなるので、「自分の人生を自分で快適にできて、手間をかけられるのが、楽しくて楽しくてたまらない!」となります。

そしてエネルギーが高まって、「もっと手間をかけられることはないかな?」、「もっと快適にできないかな?」と、熱中し始めます。

すると、工夫することそのものが楽しくなりますし、どんどん「もっと工夫できることはないかな?」と感じられるようになるわけですね。

 

まとめ

そういう風に、「好きなことにこだわらない」というのも、熱中できることを見つける一つの手段のように思います。

自分にとって、あえて「手間だな」と感じるようなことをしてみることですね。

 

新しい扉というのは、過去にはないものです。

「好きなことが分からない」という人ほど、そういう手間がかかることで、今まで目をそらしていたことに着手してみるといいでしょう。

それは、部屋の中の最も汚い部分を整理することかもしれませんし、自分が今まで見捨てていた心の汚い部分に手を入れることかもしれません。

多くの場合、それは「それをしたら、自分は汚れる」、「自分の価値がなくなる」と感じるものでしょう。

 

でも実際は、私たちは既に汚れているように思います。

本当は汚れているのに、無理に表面を美化して、それを保とうとしているだけ、みたいな。

だけど、そこで「自分はもう汚れているんだし、いいか」と思えれば、一番汚い部分に手を突っ込んで、きれいにできます。

すると、ぐっと自分の中がすっきりするので、内側からきれいになるんですよ。

だからこそ、ダイレクトに人生がよくなって、手を加えることが楽しくなると。

 

同時に、そういうものは、ビジネスの種にもできるものなんですよね。

そういう発想でも、楽しいことが見つかって、人生をより豊かにできるようにも思います。

 

ということで今日は、好きなことにこだわらなくても、熱中できることを見つけられる、というお話をしてみました。

今日はここまで~。

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