今日も精神的なお話をしてみましょう。
「精神的なこじれをなくしたら、どういう状態になるのか」というお話です。
こじれをなくしたら、どういう状態になるのか
昨日の記事でも説明しましたが、最近の私は、だいぶ精神的に楽になれてきたように思います。
学生時代の生き苦しさを100とすると、ここ数年は3~4ぐらいに減って、気楽に生きられるようになったというか。
学生時代は、まさに「毎日だらだらと血を流しながら生きている」という感覚で。
でも、今ではほぼなくなりましたからね。
で、学生時代の私とか、「精神的なこじれをなくしたら、どういう状態になるのか」とか、分からなかったんですよ。
実際にこのブログを読んでいる人でも、今もこじれを整えようと工夫している人もいるかと思いますが、どういう感覚に近づけばいいのか分からないかもしれません。
なので今日は、「精神的なこじれをなくすと、どういう感覚に近づいていくのか」という実感をお話ししてみようかと思います。
すると、「ああ、今の方向でいいんだ」と分かって、安心して進めるようになるかと思います。
「感情が平坦。だけど自由に上下させていい」感覚
じゃあ「こじれをなくしたらどういう状態になるのか」というと、「感情が平坦になる。だけど自由に感情を上下させていい」という感覚になるかと思います。
ちなみに、その反対の「こじれを持つ状態」は、「感情の起伏が自分の意思に反して、大きく起きてしまう。そして自由に感情を変えられないし、『感情を安定させよう』と思っている」という感覚でしょう。
言い換えると、「心の基本状態が平坦か、他者から揺さぶられるか」と、「『上下させていい』とするか、『安定させなきゃ』としているか」という2点が違うところです。
心の基本状態が平坦になる
こじれをなくすほど、心の基本状態が平坦になります。
ほら、よく「淡々とやる」とか言いますよね。あれと同じ感覚です。
ただ、より正確に言うと、「(意識して)淡々となるようにしよう」ではなくて、「(意識せずとも自然と)淡々となる」という感覚です。
そもそも、「意識して淡々としよう」というのは、「外部の情報によって、感情がやたらと上下されてしまう」から、「淡々としなきゃ」と感じるわけで。
こじれが減ってゆくと、外部からの情報によっても、大きく揺さぶられなくなります。
なので、感情が平坦になるので、「なんか安定したな」とか、悪く言うと「なんか人生にドラマティックさがなくなったな」という実感になります。
「感情を上下させていい」と許せる状態
だから、「感情をもっと自由に上下させていいな。むしろ、感情をどんどん使えば、人生がドラマティックになるな」と感じるんですよ。
だって、基本があまり感情が揺れないので、感情を揺らす方が心地いいんですよね。
例えば喜びだって、喜びすぎるリスクがない場合は、純粋に喜べばいいわけで。
そして哀しみだって、落ち込んだり泣いたりすれば、すっきりするでしょ。
不安や恐怖だって、「本当に怖いものは逃げればいい」、「ほんのわずかに怖いぐらいの方が、なんか好奇心が一番刺激されるな」と分かります。
すると、不安や恐怖でも、うまく「好奇心が刺激されるぐらい怖い部分を触ろう」とできます。
そうやって、自分の感情をうまく上下させて、楽しめるようになるわけです。
すなわち、「感情を上下させていい」と、うまくコントロールできるようになると。
「全身が震えるような喜び」はなくなっていい
で、こじれを直していくと、「全身が震えるような喜びが、以前のように感じられなくなった」となるかと思います。
実際にこじれを直していくと、「こじれを直した状態での喜び」は地味に感じるように思います。
なんと言うか、嬉しいことがあっても、あまり嬉しく感じないと。
褒められてもあまり嬉しくないし、認められても「まぁ、そういう意見もあるよね」と流せるようになります。
で、そんな「全身が震えるような喜びは不健全なので、消えるのでいい」と私は思ってます。
というのも、こじれを持つ場合、感情をコントロールできません。
だから、喜びもコントロールできずに、激しく増幅してしまうからですね。
「怒りや哀しみがコントロールできずに激しくわき起こる」のと同じで、「喜びもコントロールできずに、激しくわき起こる」ということです。
「飢餓状態で食べるおにぎり」と同じ
これはたとえて言うなら、「飢餓状態で食べるおにぎり」と同じかと思います。
こじれを持っている場合、「自分の価値観で生きると責められて苦しいし、他者の価値観に従っても認められない」と、どっちつかずで心が飢えているわけです。
そこで、褒められたり、もしくは自分の価値観で行動できたら、飢餓状態なのでどちらも「最高においしい!」と感じます。
だけど実際のところ、それは飢餓状態だから「異常なまでにおいしい」と感じるわけです。
そして、健康になるために、「もっとそれを味わいたい」とすると。
「喜びも減っていく」という感覚でいい
一方で、少しずつ自分なりに生きて栄養が満たされてきたら、少しずつその「異常なまでに興奮するおいしさ」は消えていきます。
まぁそれは当然で、健康的になれば、少しの栄養でよくなりますからね。
そしてこじれを直していくと、「人生の喜びも減っていく。あのときの刺激的な喜びが得られなくなった。これでいいんだろうか」と不安に感じるものです。
で、その「喜びも減っていく」という感覚でいい、ということです。
こじれを持っている場合、その喜びは「異常なまでに興奮する喜び」です。
言い換えると不健康な喜びなので、適度な喜びに落とすのでいい、ということですね。
これが分からないと、例えばアーティストがドラッグにはまるように、刺激を求め続けてしまうように思います。
最初に「飢餓状態で食べる、強烈な喜び」というドラッグを味わってしまったからこそ、その喜びを得続けようとしてしまうと。
でも、それは不健康な状態だと分かると、「適度に落としていい」と分かって、心を平坦にして、適度な喜びを得られるかと思います。
まとめ
そんな風に、少しずつでも「感情が平坦になる」という方向性に向かっていれば、こじれが直ってきた証かなと思います。
自分に向き合って、「過去にこういうことがあって、だから私はこう行動するようになったんだ」と気づいて衝撃を受けてゆくと、少しずつ感情が平坦になっていきます。
それを続けていくと、少しずつ「以前よりも、興奮しなくなったな。揺さぶられなくなったな」と感じるかと思います。
で、それでいい、ということですね。
ちなみに、うつ状態になることでも、感情が平坦になるので注意が必要ではありますが。
でもそれは、「過去にこういうことがあって、だからこうするようになったんだ」という気づきを連続させているかどうかで判断できるかと思います。
過去と向き合い、理解してゆけていれば、どんどんこじれは直っていきます。
この感覚が分かれば、「ああ、私はちゃんといい方向に歩いているんだ」と分かって、安心できるかと思います。
ということで今日は、「精神的なこじれをなくしたら、どういう状態になるのか」というお話でした。
今日はここまで~。