今日は昨日の記事に引き続き、精神的なお話です。

心理的に健康な人ほど、「目の前の幸せ」から全体の方向性を作れる、というお話です。

 

心理的に健康な人の特徴

昨日の記事で、「車のバンを改造して、半分バンで暮らしながら、日本各地を旅している人」を軽く紹介しましたよね。

それで、心理的に健康な人の特徴をいくつか説明したんですが。

 

今日はその続きで、実際に心理的に健康な人がどういう特徴を持っているのか、今日は3つほど紹介してみようかと思います。

  1. 心理的に健康な人は、「屈折」や「反発」という要素が少ない
  2. 心理的に健康な人は、余計な刺激をかき回さない
  3. 心理的に健康な人は、「自分のふさわしさ」から解放されている

 

これを一言でまとめると、今日の結論でもある「心理的に健康な人ほど、目の前の幸せから、全体の方向性を作れる」ということです。

 

(1)「屈折」や「反発」という要素が少ない

まず最初の「心理的に健康な人の特徴」ですが、心理的に健康な人は、「屈折」や「反発」という要素が少ないように感じます。

例えば昨日紹介した、バンで旅をしながら生きている人も、SNSでややこしいこととか、ひねくれたことは言わないわけです。

「これがおいしかったなぁ」とか、「あの場所は、親切な人が多かったなぁ」みたいに、自分の心を素直に表現できると。

 

だから、ある意味、見ていても主張がないし、いわゆる「反発」という要素がないんですよね。

望みがうまく実現できない場合でも、「さて、どうしよう」と考えて、「これを試してみるか」と素直に問題を受け入れられます。

 

(2)余計な刺激をかき回さない

なので、上記のバンで旅をしている人のTwitterアカウントでも、Twitterでも淡々としたメッセージになって、見ていてあんまり面白くないんですよ(笑

面白くないというのは語弊があるんですが、「刺激が少ない。余計な刺激をかき回さない」というイメージでしょうか。

 

だから、フォロワー数は数百程度で少ないんですよ。

年間何千万も稼いでいて、遊んで暮らしていけるのに、その程度なわけです。

でも、大好きな同類とうまくつながれていて、わきあいあいと楽しんでいると。

 

まぁSNSを販売促進のために使っている人は別ですが、そうではない人は、SNSを「他人と心地よくつながるための手段」にできているように思います。

SNSなんて、使い方は自由ですからね。

すると、憂さ晴らしをするためではなく、うまく楽しくつながる手段として使えると。

 

「見えない壁」がある人ほど、刺激が強い

一方で、心理的に不健康な人ほど、余計な刺激をかき回しやすいように思います。

例えば、「こうすべきだ」とか、「ああすべきだ」、「これは許せない」という主張が多くなります。

 

すると、刺激が強くなるので、そういう人のTwitterアカウントでも見ると、もうすごい心理的に揺さぶられるわけです。

不安になったり、怒りが出てきたり、「こうすべきだ!」とか、「許せない!」、「なぜこんな許されないことがまかり通るんだ!」みたいなものばかりで。

 

それは、「SNSを、好きな人たちとつながるために使う」のではなく、「SNSに振り回されて、使われている」という状態になっているからですね。

また、「フォロワー数が多いほど、お金も入るし、豊かになれるし、幸せになれる」とも思い込んでいるように感じます。

「多くの人から評価されること」が、「自分の価値が高まる」と思い込んでいると。

本当は、その「心理的に揺れることで評価されること」自体が「こじれた行動」なのに、それに気づかずに、こじれた行動を増やしてゆくわけです。

 

(3)「自分のふさわしさ」から解放されている

他にも、心理的に健康な人は、「自分のふさわしさ」から解放されているように思います。

これは言い換えると、「いろんなものに触れて試せるし、楽しめる」ということですね。

 

最高級の和牛A5ランクを食べることもあれば、「今日はうどんがいいな」と思えば、やっすいうどんを楽しむこともあると。

バンで寝ることもあるし、温泉宿で泊まることもあります。

自作をすることもあれば、専門の人に発注することもあります。

金額とか、他者からの評価とか、そういうものから解放されているんですよね。

 

一方で、「見えない壁」が多い人は、「これじゃなきゃ、私にふさわしくない」と制限します

「最高級の和牛じゃなきゃダメ」とか、「高級ホテルのスイートでないとダメ」、「安物はダメ」、「私はそれがふさわしいんだ」みたいに、ふさわしさを求めてしまうと。

 

でも、よくよく考えてみると、「私は最高級なものでないと、私はふさわしくない」ということ自体が、劣等感の塊でしょ。

「私は、ありのままの私でいてはいけない」という、自分が自分のふさわしさを認めていないわけです。

 

大量のお金を使って、自分の劣等感を強めていく人

だから、そういう人は高級なものを食べるほど、「私は常にこうでなければならない」と劣等感を強めていきます

それは、自分を認められていないからですね。

 

こうして、「大量のお金を使って、自分の劣等感を強めていく」という、こじれのスパイラルに入ります

そして「私はふさわしい人間にならなきゃ」と「もうこれ以上浪費できない」の間で揺れて、怒りや絶望に振り回されて、心理的に混乱していくと。

 

自分が何をしているのか分からない状態

ここまで来ると、自分が何をしているのかも分からなくなるんですよね。

だって、欲しいものを得ようとして高級なものをやっと手に入れたのに、喜びは一瞬で、全然満足できなかったり、お金はどんどん減っていくわけです。

なのに、「あれだけお金をかけたんだから」と、自己正当化をして「あれはいい行動だったはずだ」と信じ込みます。

 

内心では「何か違うぞ」と分かりつつ、でも「最高級を味わって、あんなに一瞬で喜びが終わるなら、私はどうしたらいいの?」と不安になります

そこで「金額と自分の価値は関係ないんだ」と気づいて方向転換できればいいんですが、ほとんどの場合で自己正当化を続けます。

「私は正しいはずだ。間違ってなんかいない」と、「私は正しい」と思い込みます。

裏を返すと、「これ以上、少しの失敗もしてはいけない」と、失敗におびえているとも言えるでしょう。

 

その先にあるのは、「億万長者になって、最高級を味わい続けるしかない」みたいな解決策でしょう。

他にも、「大富豪に見初められる」、「夢の仕事で大成功をする」、「賭けで大もうけする」、「超有名企業に入社する」みたいな形もあるかもしれません。

こうして、「非現実的な夢を願う、でも具体的な道筋がまったく分からない人」ができあがってしまうと。

 

幸せは、目の前にある

これって、とても混乱していますよね。

「何をすれば自分が幸せになるのか」が分からないんですから。

それで、「億万長者になれば」と淡い夢を見て、「それが実現できない限り、自分は幸せになれない。満たされない」と思っているんですから。

 

心理的に健康な人は、そうではないんですよ。

だって、「幸せは、目の前にある」んですから。

「お肉を食べたいな。じゃあ、どうやって食べよう」と考えて、工夫で自分にできる範囲で実現して、「ああ、満たされた。幸せだなぁ」と感じます。

 

これは、仕事とか、属する環境でも同じです。

「今の仕事、今の人間関係は嫌だな。じゃあ、どうやって対応しよう。対応しきれないなら、どうやって離れて、新たな人間関係を作ろう」

そう考えることで、一歩一歩変えてゆけると。

 

そこには、「こうすべきだ!」という主張もなければ、混乱もないし、「億万長者にならなきゃ」みたいな意味不明な幻想もありません。

そうやって、目の前の幸せから、全体の方向性を作ってゆく、という流れになります。

 

まとめ

なので、昨日の記事から続くまとめとして、願いが叶わない場合、そういう「自分の欲求に素直になる」ということをイメージしてみるのもいいかと思います。

それは、「反発して、戦って、暴れ回るもの」というよりも、「素直に、落ち着いて、気楽に考えて動くもの」というスタイルです。

 

「方向転換」はとてもネガティブで、「今までの自分が間違っていたと認める」ようなものですが、それを乗り越えると楽になれるかなと。

そこもシリアスにとらえるのではなくて、「方向転換は、気楽にやるものだ」とするわけです。

すると、目の前の幸せとか、「これ、嫌だな」という思いに素直になって、うまく方向転換してゆけるかもしれません。

 

ということで今日は、心理的に健康な人ほど、「目の前の幸せ」から全体の方向性を作れる、というお話でした。

今日はここまで~。

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