今日も精神的なお話です。

「心理的に健康な人ほど、欲求に対して素直に向き合う」というお話をしてみましょう。

 

バンで暮らして旅をしている人

SNSを見ていたら、ちょっとした面白い人を見かけたんですよ。

それは、車のバン(少し大きめのワゴン車)を改造して、半分バンで暮らしながら、日本各地を旅している人でした。

 

その人は投資やトレードで収益を上げているので、どこでも仕事ができるわけです。

そしてバンにベッドやら簡易キッチンを設置しているので、バンで暮らすこともできると。

で、いろんな風景に出会いながら、工夫をして自分なりに生きている人でした。

 

それでその人を見ていると、「あ、とても心理的に健康な人だな」と感じたんですよ。

なので今日は、その人の特徴を通して、「心理的に健康って、どういう状態なのか」というのを説明してみようかと思います。

すると、自分の内面にある「屈折がない状態って、こういう感覚か」と分かって、自分に素直になれるかなと思います。

 

心理的に健康な人は、欲求にストレート

じゃあどういう部分が「心理的に健康」かというと、「欲求に対してストレートに向き合える」ということだろうと思います。

心理的に健康な人は、自分の欲求を素直に受け入れられるんですよ。

 

例えば、「お肉が食べたい」と思った場合、「食べたいね」と受け入れます。

だから、「じゃあ食べようよ」と、すぐに欲求と行動開始が結びつきます。

ここに抵抗がないんですよね。

 

こじれている人は、「見えない壁」が多い

一方で、こじれている人というのは、「じゃあ食べようよ」までに、すっごい数の「見えない壁」があるわけです。

「お金が減る」とか、「そんな時間はない」、「我慢しなきゃ」、「冷蔵庫に賞味期限切れ近くのものがあるから、あれを先に片付けなきゃ」、「菜食主義じゃなきゃダメだ」とか。

 

他にも、もっとこじれている場合は、怒りが出ることもあるでしょう。

「楽に肉を食べる奴は許せない」とか、「お金を無駄遣いする奴、食べ物を粗末にする奴、我慢しない奴は許せない」みたいに、怒りが出てくるんですよ。

 

本当は「自分が食べたい」なのに、そんな風に「他の人が許せない」とすり替えうると。

それは、「自分がこうしたいのにできない」と自分を責めるのが嫌なので、その代わりに「相手を責める」という代償行動です。

こじれている場合の怒りなんて、だいたいそういう「原因は自分の中にある」というものですからね。

 

そんな風に、こじれている人ほど、いろんな「見えない壁」があるわけです。

だから、なかなか「食べたいなら、食べようよ」というところまでたどり着けないと。

 

こじれている人は、正当化が大好き

この感覚は、こじれている人ほど分からないかと思います。

というのも、こじれている人ほど、「でも現実として、食べられないこともあるでしょ」と正当化するのが好きだからですね。

 

以前も触れましたが、SNSでも、こういうってよくあるかと思います。

「世の中には貧しくて、お金がなくて、食べられない人もいるんです!」

「あいつは自分がお肉を食べられるという、幸せな環境に生まれてきたことを知らないんだ!」

で、「私は貧しくて、お肉を食べられないんです! それは食べられる人が幸せだから、そうできるんです!」と主張して、「私は貧しくて正しい」と正当化してしまうと。

 

心理的に健康な人は、どうするか

まぁ、心理的に健康な人でも、実際に「すぐには食べられない」ってことはあるんですよ。

なら心理的に健康的な人はどうするのかというと、そんな正当化とかせずに、「じゃあどうやったら、できる範囲で実現できるかな」と考えます

 

例えば、お肉が食べたいのに、お金がなかったとしましょうか。

なら、「安いお肉はないかな。半額セールやってないかな」と考えたり、「豆腐とかでかさ増しして、より安くお肉の味を楽しめないかな」と考えたり。

「ビーフジャーキーとか、お肉味の食べ物を、長時間かじるのもいいな」とか、「ソーセージ、缶詰肉を、うまく使えないかな」、「ポテトに少しのベーコンをかけるだけでも、だいぶおいしいよな」と考えたり。

そうやって、工夫できるんですよね。

 

次第に工夫や管理ができるようになる

すると、次第に大きめの工夫や、長期的な管理もできるようになります

「お肉は定期的に食べたくなるから、安売りの時に大量に仕入れて、保存しておくのもよさそう」

「業務用のお肉味フレーバーを仕入れると、安くできないかな?」

「ラードみたいな油なら、肉屋でほぼタダで得られるから、その辺から工夫して作れないかな」

ここまで来ると、だいぶ専門的な知識になってくるし、長期的な計画や管理がうまくなるものです。

 

そういう人は、どんどん工夫して欲求を満たせると分かります。

そしてそれは「お肉」だけでなく、「お金」や「時間」などにも適応できます

だから、長期的にお金や時間を管理してゆけて、お金や時間に余裕ができるわけですね。

 

正当化するから、願いが叶わなくなる

ある意味、自己正当化するから、願いが叶わなくなるわけです。

自己正当化というのは、「被害者になる」と同義ですからね。

「私は何も悪いことをしていないのに、お肉を食べられない被害者だ」と思うことで、不公平だとします。

不公平と感じるから、周囲を責めるし、「何も悪いことをしていない私に、周囲は分かち合うべきだ」と感じます。

 

豊かな人からすると、それは逆ですよね。

「被害者意識にとらわれて、何もしていないから、何も得られないんだ」と感じます。

 

これは、「どちらが正しいか」ではなく、「どちらを選びたいか」ということです。

私たちは、どちらを選ぶこともできます。

で、私の中では、工夫や管理をして豊かになる方が好きだな、という話です。

 

まとめ

なので、そういう「自分の欲求に素直になる」ということをイメージしてみるのもいいかと思います。

「これをしたいな」と考えたら、「じゃあしようよ」と素直に向き合うわけですね。

 

「こうしたいな。ならそうしようよ」

「こういう人生にしたいな。ならそういう人生にしようよ」

そんな風に、ストレートに欲求を受け取って、それまでの間で悩まないと。

 

その上で、工夫や管理をして、豊かさを増やしてゆくと。

すると、「ああ、屈折がない状態って、こういう感覚か」と分かって、願いに着手しやすくなるかもしれません。

 

このお話は、明日にも少し続きます。

あまりに長文になったので、ここで区切りということで。

 

ということで今日は、「心理的に健康な人ほど、欲求に対して素直に向き合う」というお話をしてみました。

今日はここまで~。

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