今日は精神的なお話です。
「今はうまくダウンサイズできる人が強い」というお話です。
今は多くの人が余裕を失ったから、攻撃的になっている状況
最近は、なんだかみんながとげとげしくなっていたり、SNSでも攻撃的なものが多いですよね。
それで、「なんだかささくれた世の中だな」みたいに感じたりもして。
なぜそうなっているのかというと、多くの人が余裕を失っているからだろうと思います。
それは当然で、余裕があるほど人はゆったりできますからね。
逆に余裕を失うほど、奪おうとしたり、自分の豊かさを確保しようとします。
だから攻撃的になって、奪い合いも起きるし、利権などの「限られたパイ」を巡って争いも起こりやすいと。
そういう場合、うまくダウンサイズできる人ほど、余裕を作りやすいように感じます。
そしてそういう人ほど、次の種をまくことができて、新たな豊かさを作れるかな、と思ったりもします。
「今まで通りに暮らす」は大きすぎる欲求
世の中では、「今まで通りに暮らしたい」って人が多いですよね。
ある意味、「現状維持をしたい」と言えるのかもしれませんが。
でも実は、今のような時期ほど、そういう「今まで通りに暮らしたい」という思いが争いを生み出すことになります。
というのも、「今まで通りの水準で暮らす」ということが、そもそも大きすぎる欲求になってしまうからです。
去年からコロナウイルスの影響で、どーんと世の中の豊かさが落ちました。
まぁある意味、コロナウイルスは台風とか地震と同じような「災害」と言えて、これが世の中にある豊かさをどーんと落としたわけです。
だから争いが生まれる
その災害によって、例えば今までは、世の中に一人あたり10の豊かさがあったとすると、今は災害で8ぐらいに減っちゃったと。
なら、「今まで通りに暮らしたい」とは、「今までのように、10の豊かさがあることを当然として生きる」ことを意味します。
でも、世の中には一人あたり8しかありません。
すると、「2ほど足りない」となって、奪い合いが起きてしまう、ということです。
今、世の中にはそういう「今まで通りに暮らしたい」という人が大勢います。
特に、自分を変えられない人ほど、変化を拒否します。
だから、争いも出てくるし、奪い合いが出てきてしまうと。
うまくダウンサイズできる人ほど、余裕を作れる
でも、うまくダウンサイズできる人ほど、余裕を作れます。
それは当然で、世の中に一人あたり8しかなくても、「6~7ぐらいで生きられればいいや」とできるほど、余るものを作れますからね。
すると、その余裕を「新たに作ること」に費やせます。
だから、私は今のような時期は、「豊かな人」と「貧しい人」がいるのではないように感じます。
「余裕を捻出できることで、豊かになっていく人」と、「余裕を作れないことで、貧しくなっていく人」がいるのかな、と思います。
今はそういう「豊かになる方向に進む人と、貧しくなる方向に進む人」が出てきた状況であり、これからどんどんその格差は広がっていくように思います。
ひまわりの種を、食べるか、植えるか
これは、ひまわりの種で考えると分かりやすいでしょう。
私たちは、ひまわりの種を食べることで、生きていけるし、満腹感を味わったり、安心や楽しさなどを得られます。
一方で、その種を植えることで、増やすこともできます。
ただし種を植える場合、その種を食べることはできません。
それに、植えてもうまく成長するとは限りませんし、その多くがダメになってしまう可能性もあります。
だけど、学んだり研究することで、少しずつでも種を増やしてゆけます。
すなわち、「目の前の種を、今すぐ食べたい」という欲求を抑えて、できるだけ「未来のために、植えよう」と早い段階からできる人ほど、後々になって多くの種を味わえる、ということです。
この「ひまわりの種」が、お金や時間、健康などの豊かさになり、「種を植えること」を「投資」と呼びます。
投資とは、別に株や不動産を買うだけではなく、自分の能力や道具に投資したり、自由な時間を確保したり、工夫をするために学んだり、うまく育つように試行錯誤をすることなども含みます。
ある意味、「他の人からひまわりの種を奪う」のではなく、「新たな種を実らせる苗木を作り、育てる」ってことですね。
新たな種を作ることは、楽しめる
で、実はそういう「新たな種を作り育てる」ことって、嬉しいし楽しいものなんですよ。
だって、実際にひまわりが芽を出して、成長して花が咲いて、種が増えると、「やってよかった」と報われるし、より豊かさが増えるからですね。
だから嬉しくなって、「もっと育てたい」と思うようになります。
そして、そういう「新たに作り、育てることに熱中できる人」ほど、浪費をしなくなります。
それは当然で、作れば作るほど豊かになるので、「作ること以外のものは、最低限でいいや。見栄なんてどうでもいいや」と割り切れます。
実際、のめり込んでいるゲームとか小説とかあると、それに熱中するために、他の欲求とか結構どうでもよくなるでしょ(笑
だから、豊かさ作りを楽しくできている人ほど、質素な生活をしていることが多いと。
普通の人ほど、「浪費して『自分は金持ちだ』と見せている人ほどお金持ちだ」と感じやすいものです。
ですが、統計ではむしろ、豊かな人ほど平均以下で暮らしていることが多いんですよね。(参考:トマス・スタンリー著「となりの億万長者」)
ダウンサイズは豊かさ作りのスタート地点
だから、ダウンサイズは豊かさ作りのスタート地点だと言えるでしょう。
実際、好きで起業するような起業家の初期段階とか、みんなそんな感じでしょ。
「最初ほど質素に生活して、余る豊かさを少しでも多く捻出して、それを全額投資」みたいな。
で、どんどん実って、少しずつ余裕ができた段階で、初めて少しずつ豊かさを味わっていくことになります。
先に快楽を味わうか、先に未来を取るか、その違いですね。
でも、多くの人がそういう「ダウンサイズ」をできないんですよね。
おそらく、それだけ自分を変えるのが苦手なんだろうな、と思います。
もしくは、「自分はこういう水準で生きていたんだ。落としてはならない」みたいな、変な見栄とか自尊心があるのかもしれません。
「私は今まで貴族だったんだ。平民や貧民のような生活ができるか!」と言って、今まで通りの浪費を続けてしまうと。
そういう人は、これから落ちぶれていって当然かな、と思います。
まとめ
なので、今はどんどんダウンサイズできる人が、余裕もできるし、豊かになれるかと思います。
生活をダウンサイズするのは、別に敗北を意味しませんよ、ということです。
それどころか、より豊かになるための入り口かなと思います。
実際、私たちは夏が来れば涼しい格好をして、冬が来れば暖かい服を着ますよね。
それと同じで、豊かさが増えたら少しずつ味わえばいいし、豊かさが減ったらダウンサイズすればいいと。
そして、今は「足りない」という人が多いですからね。
すると、「新たなひまわり畑」を作れる人ほど、どんどん求められるし、豊かになれるように感じます。
そう考えると、うまく状況に対応してゆけるかなと思います。
ということで今日は、「今はうまくダウンサイズできる人が強い」というお話でした。
今日はここまで~。